院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

炎上ブログの陰陽

2011年02月28日 | 日記

先々週、友人のブログが燻ぶり始め消火の手伝いをしたところ火に油を注いだ形になり、大炎上とはいかないまでも結構な勢いで炎上してました。

炎上中はブログを消滅させるか、おとなしく反論しないことが肝心ですね。

反論しないことは間違いを認めたと解釈される方が多いかもしれないが、沈黙してれば余計な悪想念を受けることもないので運気も体調も悪く成らないものです。

ここのところが非常に大切なんですね。

特にネットは危ない。

一瞬にして来てしまう。

例えば犯罪などの書き込みで、相手を弾劾する書き込みなどありますが、みんなで中傷する書き込み方は、書いている本人も見ている方も悪念が入ってしまうものなんですね。

それは倫理的に正しいことを書いていたとしても、中傷する投稿が多い場所での書き込みは、その人の正義感を知らず知らずの内に捻じ曲げてしまうところ。

できるだけ縁にならないことが寛容ですね。

目に見えないリンクが何年も何十年も縁として続いてしまう。

陰陽学では初期に学び体験するところなんですが。

私も意図して書き込みまたが、この二週間、落ち込ませようとする念が、びょんびょんと来て気分が下がり気味ではありましたが、今日はだいぶ減って来たような感じがします。

面白半分に中傷してしまったとかは気持ちの中で詫びれば解決しますが、そもそもそんなことなんか考えたことも無いと書いたことや、言ってしまったことを忘れてしまえば、そのツケは必ずご本のもとに何倍かの強さで返ってしまいます。

マイナスばかりの考えが続きポジティブになれない。

できるだけ拘らない、スルーがよろしいかと・・・。

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老人と過去の記憶

2011年02月23日 | 日記

もう、7~8年前のことになりますが、普通の施術では難しい感じのお客さんがみえられまして~

一連の施術を試みたのですが状態が安定せず、師に伺うことにして連絡し状況を説明すると、「秘儀をやってみなさい」と云われたのですが、当時、私にはそれほど自信が無く、ましてや疑いが多少なりともあり、とりあえず行ってみることにして、お客さんを壁方向に座らせ、背中から5~6発連続で気を打ち込んで反応をみてたのです。

お客さんには事前に、何かあったら深呼吸してくださいと言ってあったので、秘儀を行っている最中に深呼吸が始まったので、何か体に変化があらわれたのかと思いながら続けていたわけです。

秘儀が終わり、お客さんは安定してきましたが完全回復ではなかった。

一度で完全にはできない時も多々ありますが、疑いながら行っていたのと、まだ未熟だったこともあり真剣さが足りなかったと反省した記憶があります。

そんのことをいつも行っているわけではありませんが・・・。

それはさて置いて、お客さんと色々話して行く中で、「どんな想いでも何処かに通じてしまう」ような話しをしていたところ、以前同じことを話してくれた人が居たと話し始め、「数年前、何をしても長続きしなくて・・・、いい加減自分に愛想が尽きてしまって公園のベンチでふて寝をしてたら見慣れない老人が話しかけてきて、先生と同じことを話してくれたと・・・」。

一度きりしか会わなかった老人の言葉が気になっていたけど、その内忘れてしまって・・・、今、思いだしたと。

その老人が、今度は私に語りかけてくれて・・・。

本人には会いませんでしたが、インスピレーションで語りかけてくれた。

あたりが急に清々しい磁場になり後頭部から肩にかけて熱くなり、優しく語りかけてくれている。

邪悪なものとは、まるっきり対象的な慈愛に充ち包み込んでくれる体感。

十数年前、老人がそのお客さんに話している過去の記憶を見させていただいた。

優しい慈眼で、これからの私の人生の指針を話されて遠ざかって行かれた。

どこの誰かも聞かずにいましたが、いずれ再開できると話されたので、私もその時期が来るまでに徳力を積み上げようと思ったものです。

こんなことを書いて、「お前はイタコか?」などと思うかも知れませんが、そんなことは誰でもできることなんです。

コツさえつかめば何方でもできる。

先祖の思いを聞くことなど、それほど難しいことではないわけです。

既成概念を外して、常に、不平不満を言わず思わず、もちろん愚痴のひとつも話しても思わないようにする。

日々の感謝を土台として正しさとは何かを追求して行くわけです。

自分の立場が危かろうと取り越し苦労や不平不満より、これからできること、自助努力を優先させる思考に切り替えれば良いだけの話し、実に簡単、しかし今までの自分と決別するのにはそれなりの時間がかかりますね、ときどき猜疑心が入りますから、しかし自分が変わると人生観がガラッと変わって行きますのでお勧めしたいところです。

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過去の記憶・・・のつづき

2011年02月09日 | 日記

先般、過去の記憶のブログを書きまして「つづく」にしてますが、そのあとをどう書けば解り易いかと考えてまして・・・。

どちらかと云いますと、あの手のブログはメインブログに書くよりこちらに書いた方が無難かと思いまして、こちらに書くことにしました。


あの「過去の記憶・・・」のブログも分かりにくいと知人から指摘がありまして・・・。

要するに、伝えたかったのは、過去に心の傷があったとして、それがトラウマになって感情が揺れ続けてしまうなら、いっその事、その時点まで戻ってその事実を本人が納得するように修正してしまいましょう、ってことなんです。

またまた、意味不明でしょうか~

この話しを考える時には、読む方の既成概念をすべて取っ払って、気持ちを丸くまる~くしてから、謙虚な気持ちになられた方が理解し易いと思いますね。

そんなのあり得ないとか、証明してみろとか言われても本人しか分からないですし、私も証明できないので、あしからず・・・。

前置きが長くなりましたが、ここで一挙に書いてしまいましょう~

その人の過去、フラッシュバックを受けたところまで時間をさかのぼって、その事実を消すと云いますか修正するわけです。

本人は覚醒して、さらにその映像を見てますので、修正過程が体験できるわけですね。

これでも、まだまだ解らない!?

それでは、タイムマシーンに乗って、フラッシュバックまで戻り、衝撃的な体験を修正して帰ってくる。

今度は、奇想天外、もの凄く解りやすいですね、そのような体験をしてもらうわけです。

そんな体験自体がトラウマに成りかねないので、興味本意では入りづらい感じがします。

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人格向上への道

2011年02月03日 | 日記

気力がなく、悩み落ち込む時にいつも愛読している詩がある。

「あなたは、嘆いてはならない。

常に希望の道を歩み、常に努力の道を歩むことの辛さを嘆いてはならない。

己の環境を嘆いてはならない。

あなたに都合が良かろうと、都合が悪かろうとも、他人のせいや社会のせい、あなたの立場や環境を嘆いてはならない。

うまずたゆまず努力してゆきなさい。

そして、多くの教訓を胸に刻みなさい。

たとえ、途中、力尽きることがあっても、決して逆戻りしてはならない。

ふり返ってはならない。

そこに、しばし休み、たたずみ、力が満ちてくるのを待ち、力が満ちて来たならば、この人格向上の道を歩きはじめなさい。」

生まれて来たことのすべての意味がある訳ですね。

そしてこの詩は、自分を癒し他の人を癒すこともできる。

今年もまた、幾人の人たちに希望を与え切ることができるか、それに尽きるわけです。

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