毎日、治療哲学で学んでいるシュタイナー哲学は、シュタイナー教育としても、世界的に有名で教育機関でも博士の思想が影響しています。
また、純粋に哲学を学ぶ方や、シュタイナーの予言などに興味がある方などにも親しまれています。
私の場合は、仕事や私生活の中で潜在意識の探究に役立っています。
シュタイナー哲学やヒルティ哲学は、キリスト教学の思想なので、そればかり学んでいると自分の思考が片寄る(片寄らない人もいる)ので、人の道としての儒教哲学や、内省を深めるために仏教哲学を学んでいます。
どれも、正しい真理の探究が基本です。
これらの3哲学を同時に学んで行くと、自分に不都合な事態が起きたとしても、あまりこころ(潜在意識)が揺れなくなります。
利他的と利己的の違いは、自分の利益を除外して人に親切にする利他と、自分の利益を最優先に思う利己。
私は、長い間、真理を学習していながら利己的な人生を送ってきました。
時には、利他的な行動もありましたが、利己的に生きてきた方が遥かに多い。
瞑想中、自分の過去を振り返り、反省が進むにつれ、利己的な映像を多く見せられました。
自分が正しいと思っていた事にも、数多くの偽善がありました。
反省は、真理の基準でおこなわないと心(潜在意識)の反省はできません。
仏教に、「七仏通戒偈(しちぶつ つうかいげ)」という教えがあります。
「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶきょう)(あらゆる悪をなさず、もろもろの善を実行し、みずからその心を清らかにすること。これこそ諸仏の教えである)」という漢詩があります。
最初の「あらゆる悪をなさず」の「悪」は、道徳の善悪より、もっとすぐれる真理の善悪です。
日常的に思っていることや、無意識に思うことが悪に通じることが多いと思います。
無意識に、人の言葉でイラッとしたり、意識的に不安や心配をすると善から離れます。
そのあとに、「もろもろの善を実行し、みずからその心を清らかにすること」とありますから、悪しき習慣を直し、感謝に生きなさいということだと解釈しています。
そんなことで、利己的から利他的に自分をつくり創り変えるには、感謝も大切ですが、反省はもっと大切だと感じます。
また、純粋に哲学を学ぶ方や、シュタイナーの予言などに興味がある方などにも親しまれています。
私の場合は、仕事や私生活の中で潜在意識の探究に役立っています。
シュタイナー哲学やヒルティ哲学は、キリスト教学の思想なので、そればかり学んでいると自分の思考が片寄る(片寄らない人もいる)ので、人の道としての儒教哲学や、内省を深めるために仏教哲学を学んでいます。
どれも、正しい真理の探究が基本です。
これらの3哲学を同時に学んで行くと、自分に不都合な事態が起きたとしても、あまりこころ(潜在意識)が揺れなくなります。
利他的と利己的の違いは、自分の利益を除外して人に親切にする利他と、自分の利益を最優先に思う利己。
私は、長い間、真理を学習していながら利己的な人生を送ってきました。
時には、利他的な行動もありましたが、利己的に生きてきた方が遥かに多い。
瞑想中、自分の過去を振り返り、反省が進むにつれ、利己的な映像を多く見せられました。
自分が正しいと思っていた事にも、数多くの偽善がありました。
反省は、真理の基準でおこなわないと心(潜在意識)の反省はできません。
仏教に、「七仏通戒偈(しちぶつ つうかいげ)」という教えがあります。
「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶきょう)(あらゆる悪をなさず、もろもろの善を実行し、みずからその心を清らかにすること。これこそ諸仏の教えである)」という漢詩があります。
最初の「あらゆる悪をなさず」の「悪」は、道徳の善悪より、もっとすぐれる真理の善悪です。
日常的に思っていることや、無意識に思うことが悪に通じることが多いと思います。
無意識に、人の言葉でイラッとしたり、意識的に不安や心配をすると善から離れます。
そのあとに、「もろもろの善を実行し、みずからその心を清らかにすること」とありますから、悪しき習慣を直し、感謝に生きなさいということだと解釈しています。
そんなことで、利己的から利他的に自分をつくり創り変えるには、感謝も大切ですが、反省はもっと大切だと感じます。