箱根神社のりっぱな獅子さん。
参拝で、鈴を鳴すことに集中していたら、いつもの利自即利他を念じるのを忘れてしまいました
鈴、お賽銭、逆?、礼の順なんでしょうかね~
はじめての神社祈願では、緊張して柏手を一拍多く打ってしまい、こっぴどく恥ずかしい思いをしたことがあります。
その後も、何度か同じ間違いをやらかしてますが、どちらかと云えば作法は人が作ったものなので、精神統一の方を重視してます。
座右の銘の「利自即利他」ですが、自他共にwin-winの関係にもなりますが、だいたいの意味が解っていても、日々真理を探究してなければ、当たり前ですが何の意味もありません。
私は、八正道の八つの徳目の正見(しょうけん)しかやっていませんが、一日を振り返って正しい見方をしたかを点検するわけですが、ここが出来ないと神さまからのご加護が吹っ飛んでしまいます。
正しい見方って主観ではありません。
自分の器で物事を見ること自体、邪さてんこ盛りですし、神仏だったらどう見るかが正しい見方の正見ですね。
八つもあるのに、まだ一つ目を学び終えてませんで、一生このままで二つ目に進めない気がしてます。
二つ目の正思(しょうし)、正しい思いですね、以下六つはツマミ食い状態で探究してますが、こんなんでいいのかなと思いますが、やらないよりマシでしょう。
探究って、知識を仕入れて実践することで、毎日学習するってことです。
知識を入れれば悟りバッチリなんて…、それもありかな…、波長は低くなることはあっても高くはなりませんね。
神さまは、波長が下がっていると人とのコンタクトを嫌います。
そういえば、波長が下がって喜ぶ神さまがいましたね、貧乏神さんがおりました。
執着が好みの疫病神さんもおりました。
共に、反省している人の姿は好みではないかも。
普通に考えて、こころに錆がある人にエンジェルが寄って来るかって思えば、ダークサイドしか来ませんね。
参拝だけではムリですかね~、いろんな思いはありますが。
欲しい欲しいと欲ばかりでは、神さま&天使は見向きもしない。
誰でも、何らかの悩みはあるかもしれませんが、その悩みの根源は執着ですが、正しい見方が乏しいと悩みが始まるわけです。
自分中心にものごとを考え出すと、貧乏さんや疫病さんとのお付き合いがはじまります。
私は、これほど頑張っているのに誰も分かってくれないとか、何かしらかのトラブルに見舞われます。
悩み悩んで、執着して身動きできない。
最近、なんで悩むことばっかりあるの、とか愚痴がでる。
もっと愚痴ろってダークサイドの方々が喜びます。
毎日、正しさを追求していると、大きな壁が現れたとしても早く解決してしまうものです。
人を嫌いになることも、怒ってしまうことも、裁いてしまうことも、罪悪感などのネガティブ感情も速攻で回避できるようになります。
それらは、ほんの小さなご加護です。
寝る前に、神棚の前で20分、その日を振る返って、間違った見方してしまった事を点検して神さまに詫びてます
ちゃんと詫びると、ご加護としてより良いインスピレーションをいただけますが、中途半端だと何も起きません^^;
それも謙虚に受け入れてます。
神さま&天使さんって、希望に向かって自助努力している人の正しい想いと行いを、常に見てますね