「感謝は大事ですよ」と言われれば、そう思い感謝してみる。
気がついたら感謝してみる。
でも、「感謝してるのに何も変わらない」と思って、その内感謝も忘れてしまう。
どんな心境で感謝するのでしょう。
生れてから何回か、
悩んだ事ありますか?
怒ったことありますか?
悲しんだことありますか?
だれでも絶対にあります。
悩み、怒り、悲しみを放置して感謝は出来ないのです。
何で悩んだのか?
何で怒ったのか?
何で悲しんだのか?
そこに、誰か対象者はいなかったか。
または、自分の思うように出来なかったとか。
この自分中心の考え方、正さから外れたエゴを取ってはじめて感謝ができるわけです。
いつも自分は正しく、他の人は間違っていると表面意識で思っている。
例えば、車で追突されたとしましょう。
追突ですから、過失割合が10:0と思います。
その後、ムチウチになって病院通い。
何時までも首が痛く「アイツが追突したからだ」と思う。
確かにそうなんですが、いつまでも「アイツが悪い」と思っていると怒りがおさまらない。
過去を思い出しながら書いてます。
「アイツが悪い」を、できるだけ思わなくした方が治りが早いのです。
いつも、ムカついていると治りが遅くなるのです。
また、何かのトラブルで、どう見ても相手が悪いと思った時、自分にも非があったとしても
1%位で相手が99%と思う。
これも、過失割合のように、感情割合が入ると相手を責めるのです。
その内、トラブルが収まり相手を責めた事も忘れてしまう。
ほんとうは、自分に関係した思いは自分に100%責任があるのです。
相手を裁いた、責めた想いが100%あったということです。
時が経ち、感情割合もなくなり、自分は言い過ぎた、思い過ぎたと思えば反省できる。
その繰り返しで、過去の怒りも悲しみを自己反省し、はじめて感謝ができるのです。
悲しみ、怒り、悲しみのマイナス感情はココロが汚れます。
誰かを責める、自分を責めるとココロが汚れる。
マイナス意識でココロが綺麗にはならない。
汚れた雑巾で、窓ガラスを拭いてもキレイにならないのと同じ。
汚れたココロで感謝しても、感謝にならないし、何も変わらないという話です。
気がついたら感謝してみる。
でも、「感謝してるのに何も変わらない」と思って、その内感謝も忘れてしまう。
どんな心境で感謝するのでしょう。
生れてから何回か、
悩んだ事ありますか?
怒ったことありますか?
悲しんだことありますか?
だれでも絶対にあります。
悩み、怒り、悲しみを放置して感謝は出来ないのです。
何で悩んだのか?
何で怒ったのか?
何で悲しんだのか?
そこに、誰か対象者はいなかったか。
または、自分の思うように出来なかったとか。
この自分中心の考え方、正さから外れたエゴを取ってはじめて感謝ができるわけです。
いつも自分は正しく、他の人は間違っていると表面意識で思っている。
例えば、車で追突されたとしましょう。
追突ですから、過失割合が10:0と思います。
その後、ムチウチになって病院通い。
何時までも首が痛く「アイツが追突したからだ」と思う。
確かにそうなんですが、いつまでも「アイツが悪い」と思っていると怒りがおさまらない。
過去を思い出しながら書いてます。
「アイツが悪い」を、できるだけ思わなくした方が治りが早いのです。
いつも、ムカついていると治りが遅くなるのです。
また、何かのトラブルで、どう見ても相手が悪いと思った時、自分にも非があったとしても
1%位で相手が99%と思う。
これも、過失割合のように、感情割合が入ると相手を責めるのです。
その内、トラブルが収まり相手を責めた事も忘れてしまう。
ほんとうは、自分に関係した思いは自分に100%責任があるのです。
相手を裁いた、責めた想いが100%あったということです。
時が経ち、感情割合もなくなり、自分は言い過ぎた、思い過ぎたと思えば反省できる。
その繰り返しで、過去の怒りも悲しみを自己反省し、はじめて感謝ができるのです。
悲しみ、怒り、悲しみのマイナス感情はココロが汚れます。
誰かを責める、自分を責めるとココロが汚れる。
マイナス意識でココロが綺麗にはならない。
汚れた雑巾で、窓ガラスを拭いてもキレイにならないのと同じ。
汚れたココロで感謝しても、感謝にならないし、何も変わらないという話です。