自分の過去ブログを読んでみると念力系の想いが強い。
セラピストのテクニックより、一瞬で調整できる魔法を求める気持ちの強さ。
何年も前から、お師匠さんに念力を指摘され、その時はわかっても、その内また念力系もどってしまう。
瞑想中、眉間がムズムズするのが念力だと教わった。
自分の実力をアピールしたがる。
「わたしはこんなに凄い」と優越感に浸る。
慢心のこころが念力系を引き寄せる。
慢心は「過信」につながり、念力系の虜になる。
何でも想いどおりになるから、念力系はやめられなかった。
自分中心の「我」と慢心の「慢」
我慢が過ぎるとこころが揺れる。
念力系の、どこがいけないかといえば「愛」がないこと。
「愛」があれば、迷いもないし、不安もない。
そもそも病気にかかりにくい。
自分を分析すると「愛」がないことに気がつく。
まったくないワケではないが、かなり少ない。
「愛」がないと感謝できない。
「愛」がないと不平不満を思う。
こころの中で、なにか不満を感じるとき、決まって満たされない想いの中にいる。
自分の思いどうりにならない不安と怒り、焦り。
そんな不安感を一掃するため執着を絶つ。
執着は、いつも思うマイナスイメージの中にある。
「愛」の反対が「執着」
「愛」はだれかの役に立つこころ。
「執着」は自分中心のこころ。
不安や怒りに感じても、その苦手な想いを甘んじて受け入れる。
それができないと、いつまで経っても執着でこころが揺れつづける。
ひとつ執着を乗り越えると、また違った執着がやってくる。
何度もなんども、嫌いな執着に遭遇する。
「あなた、ココを直しなさい」と、苦手な問題集が何度も出題される。
執着をすて「愛」に生きるため、何度も試練がやってくる。
「なんだ、またかよ」という位、しつっこく試練がくる。
これから、何十回も試練がくるでしょう。
何度も、執着を乗り越えている内に、やっと同じような不平不満(執着)が来ても、
直ぐ乗り越えられるようになる。
「愛」の実力が上がっている証拠。
「愛」に生きるか、苦しみ(執着)に生きるか
それを選ぶのは自分自身。
セラピストのテクニックより、一瞬で調整できる魔法を求める気持ちの強さ。
何年も前から、お師匠さんに念力を指摘され、その時はわかっても、その内また念力系もどってしまう。
瞑想中、眉間がムズムズするのが念力だと教わった。
自分の実力をアピールしたがる。
「わたしはこんなに凄い」と優越感に浸る。
慢心のこころが念力系を引き寄せる。
慢心は「過信」につながり、念力系の虜になる。
何でも想いどおりになるから、念力系はやめられなかった。
自分中心の「我」と慢心の「慢」
我慢が過ぎるとこころが揺れる。
念力系の、どこがいけないかといえば「愛」がないこと。
「愛」があれば、迷いもないし、不安もない。
そもそも病気にかかりにくい。
自分を分析すると「愛」がないことに気がつく。
まったくないワケではないが、かなり少ない。
「愛」がないと感謝できない。
「愛」がないと不平不満を思う。
こころの中で、なにか不満を感じるとき、決まって満たされない想いの中にいる。
自分の思いどうりにならない不安と怒り、焦り。
そんな不安感を一掃するため執着を絶つ。
執着は、いつも思うマイナスイメージの中にある。
「愛」の反対が「執着」
「愛」はだれかの役に立つこころ。
「執着」は自分中心のこころ。
不安や怒りに感じても、その苦手な想いを甘んじて受け入れる。
それができないと、いつまで経っても執着でこころが揺れつづける。
ひとつ執着を乗り越えると、また違った執着がやってくる。
何度もなんども、嫌いな執着に遭遇する。
「あなた、ココを直しなさい」と、苦手な問題集が何度も出題される。
執着をすて「愛」に生きるため、何度も試練がやってくる。
「なんだ、またかよ」という位、しつっこく試練がくる。
これから、何十回も試練がくるでしょう。
何度も、執着を乗り越えている内に、やっと同じような不平不満(執着)が来ても、
直ぐ乗り越えられるようになる。
「愛」の実力が上がっている証拠。
「愛」に生きるか、苦しみ(執着)に生きるか
それを選ぶのは自分自身。