中には泣き出す者、不貞腐れる者、眼をそらす者もいたが、そういった輩には余計に厳しく言ってやった。
「もっと自分で考えろ!」
今からかれこれ35年前。
ちょうど私が今の彼等彼女等と同い年の頃の練習の話をした。練習内容、そして練習環境の話をした。部員数が20名にも満たない弱小な私立高校水泳部では、全て何から何まで自分達で考えるしかなかった、自分達で創意工夫してやるしかなかったのだ。
確かに、その頃の私のタイムと彼等彼女等のタイムは比べ物にならない程に私の方が遅い。
しかしながら、そこで培ったものは記録や順位では比較することが出来ないくらいの大きな財産として、今の私の人生の糧となっている。
あの「非科学的根性トレーニング」から学んだことは、数値では表すことは出来ない。まさにスピリッツであり、泥臭く言うのであれば「根性」そのものである。
何から何まで、無いものが無い世の中に生まれ、「根性」なんて言葉そのものが死語になってしまうんじゃないか?それくらいの勢いというか、流れの中で生きている彼等彼女等に、いきなり「根性論」を唱えるのはどうかとも思うが、だからこそ今、「根性」なんじゃないかなって思う。
「向上心」や「探究心」なんて格好イイものは、「根性」という土台の上に建てなきゃ長く続かないんじゃないかな?
どう思うよ、ピョン吉?
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