はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

青い玻璃の子馬 その8

2019年05月04日 09時47分56秒 | 青い玻璃の子馬
「おまえは強い娘だな」
意外な言葉に、泣きじゃくっていた娘は、泣きながらも、奇妙なものをさぐるようにして、目線を虚空におよがせる。
「生きることは、おまえにとって罰だというのなら、わたしもきっとそうなのだろう。戦いの中で、生き残ることができたのは、たった一人の従弟と、わたしだけだ。
父母も兄弟ももちろん、妻も子も、みんな死んだ。わたしは皆を捨てて逃げた。なぜ逃げたといえば、死ぬことが恐ろしかったからだ。
そうしていまもって、わたしはおまえのように、強い意志でもって、死のうとしたことはない」
昨日、崖に立った。
あれは、虚ろな心が、楽な方向へと、やはり『逃げよう』と仕向けたからにすぎないのだ。

ようやく、馬超はわかった気がした。
自分を鬱屈とさせていたもの、どこにあろうと、自分は場違いだという気持ちが拭えなかった理由が。
「わたしは、戦いを放棄した人間だ。奪われたからこそ戦った。だが、ますます失った。辛うじて残されたものだけを守るため、生きているのだと自分では思っていたが、そうではなかったようだ。
わたしは、いまもって、命を絶とうと思えない。あの日、妻子を捨てて逃げた日より、わたしは、なににも立ち向かわずに、流されるままの人間になったのだ。
それでいて、自分では戦っているつもりであったのだから、笑わせる。逃げつづけていたからこそ、何者にも立ち向かっていなかったのだ。
わたしは、この巴蜀に来て、なにも見ようとしていなかった。おまえのように、目が見えないわけでもないのに、やはり、決して明けない夜の中にいたのだよ」
語る馬超に、それまで、泣きつづけていた娘が、ゆっくりと体を起こした。
それを見て、馬超は言う。
「余計なお節介であったな。おまえは、わたしよりも、ずっと戦ったのだろう。それでどうしても耐えられないというのであれば、おまえが死を選ぶことを、わたしが止めるべきではなかったのだ。すくなくとも、わたしにはその資格はない」
「わたしに、死んでもよいとおっしゃるのですか」
「おまえがそう望むのならば」
すると、娘は、上半身だけを起こした姿勢のまま、ちいさく声をたてて笑った。
「止めてみたり、勧めてみたり、おかしな方。わたしが戦ったとおっしゃる。なぜです」
「耐えることも、また戦いだろう。ただ流されることをよしとした者には、生への執着がないかわりに、死も軽いものなので、あえてわざわざそこへ向かうことも考えない。生ける死者のようなものだ。もともと、心が死んだようになっている。
だから、わざわざ痛い思いをして、本物の死を選ぼうとしないのだ。いや、死そのものに鈍感になってしまうのだ。おまえはそうではない。生としっかり向き合ったからこそ、死に執着するのだ」
「そんな誉め言葉を、はじめて聞きました」
「耐え続けよなどということを、わたしは言えぬ。すまぬな、わたしは、ほんとうにどうしようもない」

誰一人救える力もないくせに、多くを巻き込んで戦った。
殺すことはたやすい。
しかし、生かすことは、とてもむずかしい。
この理屈も知らぬまま、ただただ、熱に浮かされたように、周囲に動かされ、自分もまた、たっぷりとうぬぼれて、戦いをつづけた。
たくさん殺した。
敵も、味方も。
そうしていま、ただ生きている。

これが一度でも英雄と呼ばれた者の、不様な末路なのだ。
情けないと思う。うんざりだとも。
しかし、等身大のおのれが、いまのこの姿なのだ。
馬超は、薄暗い森のなかに差し込む木漏れ日が投じる、おのれの影を、はっきりと見た。
いま、ようやく、自分の姿を真正面から見た気がした。

「あなたは、どなたなのですか」
「名乗らぬ。聞いて楽しい名前ではない。すまぬな、死んでよいと言っておきながら、手助けはできぬ。臆病者と笑ってくれてよい」
「いいえ、笑いません」
青翠は、涙の乾かぬ顔をして、手探りで地面をさぐりつつ、身を起こす。馬超が助けてやろうとすると、青翠は、首を横に振って、それを拒んだ。
「帰ります。今日はもう、死ぬ気は失せてしまいました」
「邪魔をして、すまなかったな」
馬超が、青翠が投げた杖をひろいあげ、渡してやり、そして心から謝罪すると、青翠は、涙にぬれたた顔のまま、かすかにほほ笑んだ。
「あなたも、無明の闇のなかにいらっしゃるのね」
そうだ、とは、馬超は答えなかった。
好んで闇のなかにいるのである。
おのれの悲劇を嘆くばかりで、ぼんやりと周囲を眺めまわすばかりで、なにも眼に入っていなかった。
この娘はちがう。
闇のなか、必死でもがき、苦しみ、それでも逃げられない運命に、絶望してしまっているのだ。
同じ闇でも、この娘は、ちゃんと見えない目で、おのれの運命を見すえている。
この娘の闇と、自分とでは、闇は闇でも、いる場所がちがうと、馬超は思った。

青翠は、見送りはいらないからと言って、来た道を、そのまま杖を頼りに帰ろうとする。
馬超は、踵をかえそうとする青翠を止めて、乱れに乱れた髪を直してやり、はだけた着物をもどしてやって、泥土を、人が見て不審に思わぬ程度に清めてやり、そしてやってきた道へと向かわせた。
青翠は、山を下りはじめたが、一度だけ振りかえると、言った。
「ありがとうございます。さようなら」


董氏に最後に会ったのは、馬岱であった。
あの女も同じことばを最後に残して、そして逝ったという。
さようなら、と。
父親が、その死を目前に、それでも必死に助けあげた娘。
その父親は、なにを思って、娘を必死で守ったのであろうか。
わたしは、息子を守ることはできなかった。
この娘は、生きねばならない。
いつまでも明けない夜のなかにいるなどと、嘆かせつづけてはいけない。
もう一度だけ、自分にまだ力が残っているのなら、なりふり構わず、動いてみてもよいのではないか?





馬超は、山を下りると、その足で、まっすぐ趙雲の屋敷に向かった。
趙雲よりも金持ちの知り合いは何名か思いついたが、事情を説明するのが面倒だった。
趙雲ならば、ある程度の事情は、すでに知っている。
正直にずばり言ってしまえば、まったく気心の知れていない相手であったが、この際、あれやこれやと気にしている場合ではなかった。
信頼という点においては、だれよりまさっているというところが、なんとも心強い点ではある。

馬超は、趙雲があらわれるなり、まるで家臣が主君にするように、深々と頭を下げ、言った。
「頼む、なにも聞かずに、わたしに金を貸してくれ!」
こんなに真摯に、人に頭を下げたのは、韓遂と同盟を組んだときくらいだろうか。

沈黙。
呆れているのか、おどろいているのか、頭を深々と下げてしまったために、趙雲の反応がわからない。
とはいえ、相手が何も言わないうちには顔を上げられぬと、馬超はしばらくそうしていた。
やがて、趙雲の、なぜだか怒りのこもった声が耳に届いてきた。
「帰れ、愚かものめが。貴様に貸す金など、一文たりともないわ」
「なんと」
無礼な、といいかけ、あわてて馬超は、頭をもう一度下げた。
この際、誇りだなんだと気にしている場合ではないのだ。
そう決めて、ここにやってきた。
なぜここまで、ひどく罵倒されなければならないのは、謎だが。
「頭を上げてくれ。あんたは、頭を下げる相手をまちがえているぞ」
「なんだと?」

ことばの意味がつかめずに、さすがに顔を上げると、軽蔑をかくさずに、こちらをにらみつけている、趙雲の顔があった。
こうなると礼節もなにもあったものではない。趙雲にとって、馬超は年長者であり、上位者である。
それを、ここまで罵倒した上に『あんた』呼ばわりだ。
誇り高い馬超は、一瞬、かっと頭に血をのぼらせたが、必死でおのれを自制する。さきほどあの山で思ったことを、怒りにまかせて忘れてはならない。
ここでまた、だれのためにもならない『おのれの面子』とやらに捕らわれてしまっては、またあとで後悔することになる。
奥歯をかみ締めて、怒りを押し殺していると、趙雲の方が、先に口を開いた。
「あんたは、俺の親父に似ている。単におのれの欲を晴らすために、女を何人もまわりにはべらせて、ふんぞりかえって、『家』を作る努力を放棄して、おのれの不遇を恨むばかりで、なにひとつ現実を見ようとしていない。
それでいて、自分が傷つけられることには敏感なくせに、人を傷つけることは平気なのだ」
「それは悪かったな」
おまえになにがわかる、とも馬超は思ったが、この男には、自分とまたちがう苦しみを持っているらしいということは、その表情から察することができた。
儒の精神から照らし合わせてみても、いや、それでなくても、父親は絶対的な存在であるこの世間において、父を罵倒する言葉を堂々と口にするという行為自体、常識はずれもいいところだが、この男の苦しみの元が、おそらく父親に起因しているものなのだろう。
趙雲に直言を吐かれたことで、かえって馬超も怒りが鎮まってきた。
「わたしが、どれだけ図々しい頼みをしているかは、よく承知している。わたしのことを、貴殿がどれだけ嫌悪していてもかまわぬ。好きなだけ罵倒してくれてもかまわぬ。しかし、金がどうしても必要なのだ。必ず返すゆえ、頼まれてくれぬか」

ふたたび沈黙。
趙雲の顔からは、軽蔑の表情はなくなっていた。
が、やはり表情は固いままである。
「平西将軍、いまひとたび言わせていただこう」
と、口調をあらため、さきほどとはだいぶ穏やかに、趙雲は言った。
「貴殿は、頭を下げる相手を間違っておられる。どれだけ罵倒されてもかまわぬと言ったが、貴殿を罵倒する権利があるのは、俺ではない」
「どういうことだ?」
趙雲は、ちいさく息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「あの娘を助けたとき、俺もあの山にいた」
「なんだと?」
「俺だけではない。もうひとり、いたのだ」
「だれが? 軍師将軍か?」
すると、ふたたび趙雲の顔が、軽蔑をかくさぬものに転じた。
「なぜ軍師がそこに出てくる。軍師が物見遊山に、あんたを見に行くと思うか? 今度、軍師の名を軽々しく出したら、それこそ庭にでて、勝負だ」
「すまん、いまのは失言だった。貴殿が軍師と懇意にしているというのが頭にあったから、つい余計なことを」
「ああ、まったく余計だ。それでいて、なぜに本来、気を回さねばならぬところに目が行かぬのか、さっぱりわからぬ。
あんたが、あの娘に言っていたことばではないが、あんたこそ、何にも見えていないのではないか」
「む?」
怪訝そうにする馬超に、処置なし、というふうに、趙雲はため息をついた。
「いいか、よーく考えてみるがいい。この成都で、あんな山の中にまで、あんたを追いかけてくる人間は、だれだ?」
「刺客…いや、細作か」
「もう、あんたは帰れ。そんなものがいたら、俺の地所だぞ。俺が斬っておるわ」
趙雲は、すっかり呆れて座を立つ。
「待て。謎解きの答えを言ってくれ」
「本当にわからないのなら、あんたは、たぶん、俺がいままで知っているなかでも最低野郎の部類に入るだろうな」

立ち上がった趙雲の表情から、馬超は悟った。
「まさか?」
「事実かどうかは、自分でたしかめろ。そういうわけで帰れ。そちらに断られたら、俺が用立てしてやるが、そうならないことを祈っている」
「貴殿、いいヤツなのか、悪いヤツなのか分かりにくいな」
「すまんな。俺のほうも、あんたをどう思ってよいのか、判じかねている」
「唯一の意見の一致だな。ともかく、先に礼を言っておく」
馬超が出て行こうとすると、趙雲が、最後に言った。
「先ほどの言葉は、あまりに言いすぎた。あんたは俺の親父にすこしだけ似ている。
ただ、俺の親父は、あんたと同じ状況になっても、あの娘を助けようとは考えなかっただろう。助けたとしても、娘を自分のものにするのが目的だっただろうな」
「貴殿の父は、どんなヤツだ」
「俺が言うとおりの最低野郎だよ。あんたは、自分の娘に、俺と同じ気持ちをさせちゃいけない」
それは押し付けの意見ではなく、趙雲の本音であっただろう。
そういう趙雲の顔は、思いもかけないほど翳りのある、悲しげなものであった。

つづく……


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