白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ523

2025年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年四月五日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

飼い主さあ、大江健三郎の小説読んでる途中で「ヤマイヌ」か「オオカミ」かわからないって言ってなかった?

 

うん。重要な箇所だけどわからないところだね。大江がそういうふうに書いた理由はただ単にわからないってことが問題なんじゃないんだよ多分。「ヤマイヌ」にせよ「オオカミ」にせよ、柳田國男とかの記録を見ると日本列島には古くから狼信仰があってね、どちらに「咬まれた」かはどうでもいい。山神信仰とリンクする狼信仰が語られるエピソードの中で「咬まれた」って話が組み込まれることが大事だから。登場人物のひとりである「妹」が「壊す人」の巫女になる過程で通過しなくてはならない儀式として「咬まれた」ことになるんだけど、「咬む」側が「狼=大神」という構造を是非とも組み込まないといけなかったからさ。実在した「ヤマイヌ」か「オオカミ」かという問題は問題じゃない。

 

ふ~ん。タマがテレビで聞いたことなんだけど日本狼はもう絶滅したって話。じゃあ最初はどんなのだったのかなあと思って。

 

おそろしく古いよ。「日本書紀」に出てくる。秦大津父(はだのおほつち)って人が見かけたエピソードにこんなのがある。二頭の狼が喰い合おうと闘ってるところに居合わせてね、声をかけるのさ。「狼はたいへん高貴な神であって荒々しい行いをこのむ。でもそんなことやってるところを猟師が見つけたりしたらあっという間に捕獲されておしまいだよ」って。そう聞かされた狼は相争うのをやめて血だらけの体をきれいに洗って毛繕いしなおした。そんで両方とも仲直りして命をまっとうしたって話。

 

「山(やま)に二(ふた)つの狼(おほかみ)の相闘(くひあ)ひて血(ち)に汗(ぬ)れたるに逢(あ)へきりき。ーーー『汝(いまし)は是貴(これかしこ)き神(かみ)にして、麁(あら)き行(わざ)を楽(この)む。儻(も)し猟士(かりびと)に逢(あ)はば、禽(と)られむこと尤(けやけ)く速(すみや)けむ』」(「日本書紀3・巻第十九・P.236」岩波文庫 一九九四年)

 

きれいに毛繕いし直したの?なんだか猫みたい。

 

そうだなあ。夜になると独特の鳴き声で仲間たちが呼び合ってたらしい。その声がなんとも怖くて大昔から信仰の対象になってたみたいだ。でも近代明治国家になって軍隊が山の奥深くまで軍事管理するようになると同時に大資本があちこちの山間部で不気味な開発を始めた。それで自然環境破壊が一挙に進んで以降、狼が生きていけるような森林はどこもかしかもめちゃめちゃに破壊・汚染されて絶滅するほかなくなったってこと。で、昨今はどうなってるかというと人間同士の戦争が過激化して原発施設や核兵器で人間自身の生活がめちゃめちゃになりつつある。その意味ではかつての大神信仰=狼信仰と今の核開発とはそれこそ真逆のおかしな世の中になってると言うしかないね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。釈迦坊主。ラップというのは何でもかんでも言葉を詰め込めばいいというわけではない。見るからにマッチョでなくても全然構わない。何が言いたいのかあんまりはっきりしていなくてもいいというか、どう言えばいいのかわからないというところに生まれる音楽というものもあるわけで、むしろそういうものが音楽になったりならなかったりという場所は今なお健在。しかし釈迦坊主の今作はどこか微妙な孤独感というかリリシズムを感じさせる。

 


Blog21・「同時代ゲーム」が語る「公表できる二度目の死」あるいは「戦死広報」の記録者

2025年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

手紙を書いている「僕」はいう。村=国家=小宇宙の五十日戦争は日本国の「正史」から抹消されていると。それは「戦われた」にもかかわらず「揉消し・証拠隠滅・言論弾圧」された。

 

「老人たちは、五十日戦争の事実を歴史から抹消しようとする努力において、大日本帝国の意図に徹底的な協力をした。そうでなければ、村=国家=小宇宙の創建以来もっとも勇ましく、もっとも悲惨な出来事としての五十日戦争について、それを経験した者らにすら、当の期間の記憶が丸ごと欠落したとでもいうように、谷間と『在』の誰ひとりそれについて語ることのない事態がもたらしえただろうか?五十日戦争における村=国家=小宇宙の交戦国、大日本帝国の国家権力は、当然に五十日戦争という事実の揉消(もみけ)し、証拠隠滅(いんめつ)に力をつくし、まことに緻密(ちみつ)な言論弾圧をおこなった」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.301」新潮文庫 一九八四年)

 

死者が出たのは村=国家=小宇宙の側の人々だけでない。

 

「厖大な量の黒い水が、凄(すさま)じい勢いで奔出し」、「大日本帝国軍隊の混成一中隊全将兵が、たちまち押し流されて溺死し」、「かれらの死体は厳重な箝口令下に収容し火葬することが、大日本帝国軍隊の、第二の作戦行動となった」。

 

「《壊す人》が、老人たちの夢をつうじて告知していた、戦争開始の日がおとずれた。谷間の全体を沈め、両側の山腹に荒い波を立ててうちかかる濁水は、堰堤をその持久力の限界においていた。かれら自身、洪水に押し流される危機に身をさらして見張りをつづけてきた斥候隊が、大日本帝国軍隊の接近を告げに駈け戻った。かつて大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊りが爆破されたとおりに、土塁のダイナマイトは点火され、悪臭の露の底にあった厖大な量の黒い水が、凄(すさま)じい勢いで奔出した。川沿いの道路を行軍して来た大日本帝国軍隊の混成一中隊全将兵が、たちまち押し流されて溺死した。かれらの死体は厳重な箝口令下に収容し火葬することが、大日本帝国軍隊の、第二の作戦行動となった」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.312~312」新潮文庫 一九八四年)

 

「大日本帝国軍隊の混成一中隊全将兵」も「溺死」している。そして「死体は厳重な箝口令下に収容し火葬する」ことが「大規模な作戦行動として」決定され、「露天で焼かれた」。

 

しかしそれだけでは五十日戦争の記録は残されてしまうかもしれない。実際に「露天で焼かれ・火葬」されたにせよ、五十日戦争がなかったことにされている限り、混成一中隊全将兵は生きているものとして「軍籍に記録される」。「軍籍に記録されるかぎり、これら混成一中隊の将兵は、それで死におおせえたのではなかった」ということになる。戦死したなら戦死したで「正規の戦死広報」で公表されなくてはならない。

 

そこでどういうことになったか。「この作戦で死んだ将兵たちが、しかしその後も順当に昇進すらして、中国、東南アジアの戦場を転戦することにな」り、「その後も順当に昇進すらして、中国、東南アジアの戦場を転戦することになったのである。それも五年も、十年も、太平洋戦争の終結以後にいたるまで」。五十日戦争を知っているひとりの将校が「事務机で作戦を練り、中国、東南アジア、アリューシャン列島、沖縄、そして様ざまな海域を通過する輸送船において、かれら混成一中隊の将兵が、今度は公表できる二度目の死をとげる機会を見つけ出した」。

 

「大規模な作戦行動としてそれらの死体は回収され、露天で焼かれたが、しかし軍籍に記録されるかぎり、これら混成一中隊の将兵は、それで死におおせえたのではなかった。この作戦で死んだ将兵たちが、しかしその後も順当に昇進すらして、中国、東南アジアの戦場を転戦することになったのである。それも五年も、十年も、太平洋戦争の終結以後にいたるまで。かれら死せる混成一中隊の将兵に、こちらは生きている聯隊本部付きの一将校がその永い期間つきあいつづけた。将校は孤独な一室に事務机で作戦を練り、中国、東南アジア、アリューシャン列島、沖縄、そして様ざまな海域を通過する輸送船において、かれら混成一中隊の将兵が、今度は公表できる二度目の死をとげる機会を見つけ出した。そのようにしてすべての黒い洪水による死者に、名誉ある死に場所を選んでやり、その上で正規の戦死広報を送りとどけるのが、この将校の壮年時をすべてささげた仕事となった」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.316~317」新潮文庫 一九八四年)

 

なんとも不可解な「公表できる二度目の死」の機会を見つけ出し、「その上で正規の戦死広報を送りとどけるのが、この将校の壮年時をすべてささげた仕事となった」というわけである。将校も「厳格に秘密をまもらねばならぬ仕事の性格上、かれは最後に残った死んだ兵士の処理が終れば、ほかならなぬかれ自身にも、自分のための戦死広報を割りふらねばならぬ」ことになってくる。

 

そういう仕組みをひとりの将校が黙々と遂行する。ところが「その幕引きが国の敗北にかさなって失職し」、「大日本帝国軍隊の命令系統は崩壊して」しまう。

 

「生きている人間よりも死者たちの方が近しい関係にある生活を永く送り、もの悲しい徒労感のつもってくるままにその仕事を終え、しかもその幕引きが国の敗北にかさなって失職した時、将校はどのような余生のおくり方を考えただろう?厳格に秘密をまもらねばならぬ仕事の性格上、かれは最後に残った死んだ兵士の処理が終れば、ほかならなぬかれ自身にも、自分のための戦死広報を割りふらねばならぬと、覚悟していたのではないだろうか?しかし将校が仕事を完了した時、大日本帝国軍隊の命令系統は崩壊していた。そこでかれは、生きたままひとり姿をくらましてしまうことになったのである」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.318」新潮文庫 一九八四年)

 

大日本帝国自体が敗北した。今度は「戦後民主主義」の世の中を生きていかなければならない。思いも寄らぬ事態の転倒を引き受けるほかない将校はどうしたか。「そこでかれは、生きたままひとり姿をくらましてしまうことになった」。

 

工藤庸子はこの「将校」こそが語りの中に出てくる「無名大尉」なのではないかと問うている。

 

さらにもっと以前、「僕」が子供の頃に村=国家=小宇宙の伝承をちくいち語って聞かせた父=神主が「無名大尉」というほかないまま話を進めたのは、読者としても、実はそんな理由があったからかもしれないと思うのである。ただ単に五十日戦争の「正誤」を糺すのが問題ではなく、一般的な歴史(正史)の陰へ「揉消し・証拠隠滅・言論弾圧」された歴史が幾つもあったのだろうと考えさせられる。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1119

2025年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、アンビエント、エクスペリメンタル、ポップ、ジャズを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

 

Alva Noto&Ryuichi Sakamoto「Logic Moon」

猫は飼い主と一緒に部屋へ入ってきて窓辺から外を眺めている。楽曲ON。パターン化されたグリッチの反復が大げさに膨らむことなく心地よい。ピアノはグリッチ音ととも始まりながら広がりを見せる。けれども音数は限られていて極めてミニマルな音楽として反復される。ピアノとグリッチとの組み合わせは決してこれでなくてはならないという制度的なものからほど遠いところを浮遊していく。部屋が音で満たされているイメージはあるのだが音の側から近づいてくるというわけでもない。後半はほぼ同じパターンの繰り返しのうちに一定の厚みを保っている。その厚みの中でどこという方向づけがなされない静穏さがたゆとう。


Blog21・二代目タマ’s ライフ522

2025年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年四月四日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

飼い主さあ、「あら玉」で四月から年があらたまる制度になってるって言ってたけど、テレビ見てたらね、よく見る番組でも出てくる人たちが変わったみたいだ。年度末会計も終わったってわけ?

 

まあそういうことだね。少なくとも国は。

 

じゃあ「ぬば玉」はどうなるの?

 

「あら玉」の話がなんで「ぬば玉」になるんだ。飼い主のほうが聞きたいよタマさん。

 

そういえば「玉かぎる」の歌もまだたくさんあるって言ってた。

 

う~ん。こんなのがあるよ。職場ではふたりの関係を隠して何食わぬ顔で仕事してるって話。

 

「まそ鏡見とも言はめや玉かぎる磐垣淵(いはかきふち)の隠(こも)りたる妻」(「万葉集」『日本古典文学全集 万葉集3・P.206』小学館 一九七三年)

 

職場で情事してたの?

 

そこまではわかんないなあ。職場には内緒で隠れてつきあってるところがメインだし。でも二人の間に関係があるのは確かだね。まあしかし宮中で勤務中に情事したってはっきり言ってる歌もあるよ。

 

「天皇(すめろき)の神の御門(みかど)を恐(かしこ)みとさもらふ時に逢へる君かも」(「万葉集」『日本古典文学全集 万葉集3・P.206』小学館 一九七三年)

 

へぇ、じゃあ源氏物語とかって特にめずらしい話でもないんだね。

 

っていうか、源氏物語の新しさは「作者が女性」だってところが大きい。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。釈迦坊主。ラップというのは何でもかんでも言葉を詰め込めばいいというわけではない。見るからにマッチョでなくても全然構わない。何が言いたいのかあんまりはっきりしていなくてもいいというか、どう言えばいいのかわからないというところに生まれる音楽というものもあるわけで、むしろそういうものが音楽になったりならなかったりという場所は今なお健在。しかし釈迦坊主の今作はどこか微妙な孤独感というかリリシズムを感じさせる。


Blog21・「同時代ゲーム」に見る「夢の世界から現実世界への移行」と「五人の俘虜の死」に際して

2025年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

夢か現かわからない価値体系の中で行われたと考えられる「五十日戦争」。工藤庸子が指摘する「稀薄化と消滅」。「僕」は手紙にこう書いている。

 

「村=国家=小宇宙の神話と歴史を書く者として、僕はそれをこの戦争の内的構造を見るかぎり自然なことに思うが、人びとの夢のなかにのみある《壊す人》のあり様(よう)と、谷間での『無名大尉』のあり様との間には、この五十日戦争の進みゆきにしたがって、あきらかな類似関係が見られるようになった。それはものごとの表と裏としての、つまりは両者が、正と負の記号をつけて作戦を伝達したのに対して、『無名大尉』もつねに夢のなかにのみ自分の作戦の先ゆきを読みとるようだったというのだ。この寡黙、剛勇の職業軍人は、自分が眠りにおちるやいなやずっと夢を見つづけることを自分からは語らず、部下にはそれを聞きただすことが許されていなかったから、かれがどのような夢を見たかは、その断片のみがつたわっているにすぎないのだが。そのうち『無名大尉』は眼ざめている間も白昼夢を見ているらしいふるまいに及ぶようになり、かれに心服している部下の将兵にも不安を呼びおこすほどになった。それは五十日戦争も最終の段階に到ってからのことだが、その時期になって、ーーーいや、盆地に進駐した最初の日すでに、中隊長は白昼夢を見ているようであった、われわれが自分の眼を信じなかったのだ、と軍医は分析したということだ」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.335」新潮文庫 一九八四年)

 

次の箇所では「子供らの伝承」として「懐かしい気持をさそわれる大男」があらわれる。そして大江はこう書く。「懐かしい大男とは、夢の世界から現実世界へと移行した《壊す人》にほかならなかった」と。

 

「じつは五十日戦争の最終段階で、次のような処理がおこなわれたのだと、子供らの伝承はつたえているのだ。五十日戦争の終盤において、誰も現実には見知っていない、しかし懐かしい気持をさそわれる大男が、原生林奥の学校キャンプにあらわれて、子供らの半数を一隊に組織した。その大男の直属の部下として、学校キャンプまでかれを案内してきたのが、自分たちのつくった迷路でがんばっていた子供らだったのである。そしてあらゆる年齢にわたる子供らの一隊は、幼い子は年長の者の背におぶわれ、また手をひかれて、子供ながらに敵軍から動きを察知されるような声音はたてず、大男にみちびかれて原生林のさらに奥へと歩みさった。この処置の後ではじめて、五十日戦争の終結をきざむ人びとの投降がおこなわれたのであったから、『無名大尉』の厳格な軍事裁判も、子供についてはただひとりとして処刑することができなかったーーー妹よ、《壊す人》の巫女(みこ)であるきみは、この子供らの伝承の隠された意味を、すでに読みとったことだろう。五十日戦争の敗北の前に学校キャンプにあらわれ、戸籍登録からはみ出たあらゆる年齢の子供らを組織した、懐かしい大男とは、夢の世界から現実世界へと移行した《壊す人》にほかならなかったのだと」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.387~388」新潮文庫 一九八四年)

 

さらに「五人の俘虜」の死に際してこんなシーンが描かれる。

 

「兵器工場の戦闘において銃弾をうけ、銃剣で刺されもした俘虜たちのうちの五人が、収容されて三日目の深夜に、そろって危篤状態におちいった。そして真夜中の教室の瀕死の俘虜たちの周りには、かれらの家族たちが、老人から幼な子までみなそろって頭をたれていた。日が暮れれば、原生林にひそむ者らの力が谷間にまで及んでいたことはすでにのべた。だからといって、俘虜たちを収容する小学校が、また中隊本部である以上、そこに警備に立つ歩哨(ほしょう)たちがいなかったはずはない。しかし水が滲みこむように警備陣を突破した家族たちは、危篤の者らの筵の寝床を囲み、静かにかしこまって膝(ひざ)を両手に置いていた。たまたま満月の夜で、中天にかかろうとする大きい月が谷間を照し出し、(そういう月夜に高みから見おろすと原生林の海から谷間が突出して見えるのだが、)その月の光で負傷者の顔が家族たちによく眺められるように、かれらの粗末な病床は窓のすぐ下に移されていた。そしてすぐにも息を引きとるはずのかれらの末期(まつご)の水として、原生林の最良の湧(わ)き水がみたされたズックのバケツには、それぞれに満月が映っていた」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.410」新潮文庫 一九八四年)

 

「真夜中の教室の瀕死の俘虜たちの周りには、かれらの家族たちが、老人から幼な子までみなそろって頭をたれていた」

 

「すぐにも息を引きとるはずのかれらの末期(まつご)の水として、原生林の最良の湧(わ)き水がみたされたズックのバケツには、それぞれに満月が映っていた」

 

これもまた工藤庸子が「村=国家=宇宙での由緒ある死に方」と指摘する形が変奏されたものと考えられる。「犬曳き屋」のエピソードの終わりにこうあった。

 

「そのうち『犬曳き屋』の女房は兵器工場で削ってもらった板で位牌(いはい)を作り、陰膳(かげぜん)をそなえて祈るなどして、原生林の黄色っぽい緑の薄明りを漂う、『犬曳き屋』の魂を納得させた。鳥撃ち帽をかぶりニッカーボッカーをはき、ペダル用の靴底でぎこちなく腐葉土を踏んだ『犬曳き屋』の亡霊は、日ましに稀薄になり、出現も間遠になって、ついには消滅したということだ」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.373」新潮文庫 一九八四年)

 

また「死人の道」について「僕」は手紙にこう書いていた。

 

『死人の道』は、自然な老衰による死をむかええぬ創建者たちのために、そのように穏やかな死への離陸をおこなわしめる、滑走路であったのではないだろうか」(大江健三郎「同時代ゲーム・P.190」新潮文庫 一九八四年)

 

そうあるように「村=国家=小宇宙での由緒ある死に方」になるべく近い形で弔われるよう取り計らわれたことになるだろうと思われる。