昨日夕方のテレビニュースから堰を切ったように始まったマス-コミによるカルト的SNS礼賛報道。
やるだろうなと思っていたら本当にやってしまうところが拙劣、見え見え、またしても政財官界に恩を売ったつもりで実はより一層自滅への意志表明をして見せたに等しい。
よくやるよと呆れ返りながら昨夜「二代目タマ’s ライフ385」を書き上げてUPしたのだった。再録。
もう十年以上前からアメリカ、特にイギリスでは問題になっていたこと。しかしここまで来ると知っているのに知らないふりしてクラスメートのいじめ自殺を追認する小学生や中学生レベル。保育所からやり直したほうがいいだろう。
それから、SNSの普及はサルに銃を持たせるようなものでしたね。もう後戻りはできませんが。
そして私も多分サルなんですよね。
>もう後戻りはできません
だろうと思います。けれどもそこに「推し進める意義」が再び見えてきたように思えます。
新型コロナ流行前に加速主義という言葉が流行しました。推し進めていくと世界中の人々の存在価値がどろどろに溶け去って昔の絵本「ちびくろサンボ」に出てくる虎のように果てしなく運動し続けるバター状態になってしまいます。
そこで気づく人は気づくわけです。商品価値と商品価格との違い、必要労働と剰余労働との違い。とすればいわゆる「この手取りってのは何なの?」と。
ほとんど期待できないかも知れませんが、
>文字通り一心同体
ゆえにかえって内部から裂け目が生じてくる過程を目撃することは可能なのではないでしょうか。