出稼ぎ労働者のエチオピア人女性。その経験は何を教えてくれているか。連載最終回で松村圭一郎は何人かの印象的な言葉を再び取り上げている。
アンバルの言葉。
「『そんなことないわよ!嘘よ。私がここで病気になって寝ていても、誰も心配なんかしてくれないわ。働いて懐にお金があってこその話よ』」(松村圭一郎「海をこえて(4)」『群像・11・P.348』講談社 二〇二三年)
アンバルはエチオピアの村にいる家族のいうことは「嘘」だと家族の目の前でいう。女性たちがどんな生き方を選ぶかは女性たちが決める。エチオピアの村の中にいるかぎり男性の思い通りに動かされて終わるばかりだという現実を指摘している。
次にラザの言葉。夫に帰国するよう迫られて帰ってはみたものの。また海外へ出稼ぎに「行きたい気持ちはある」と述べる。
「『行きたい気持ちはある。ディノに三輪タクシーの一台でも買えたらよかったんだけど。うちにはコーヒーの土地もないし。土地があれば問題なかったのに。ディノは貧しいからねーーー』」(松村圭一郎「海をこえて(3)」『群像・9・P.479』講談社 二〇二三年)
村に戻ってみても「夫はラザを養ってくれるわけではない」。逆に夫は「ラザが養っていかねばならない存在」なのだ。夫が怪我をしたとかそういうことではまるでない。エチオピアの大都市中心部のほんの一部は別として、そうではない大変多くの村の伝統的生活というのはものの見事なまでの家父長制であり夫たち男性が家族を養うことができなくても家父長制であり続けているという転倒した社会だ。
さらにウバンチの言葉。海外での出稼ぎ労働はもう十五年以上になる。ウバンチもエチオピアの村のなかにいては思いも寄らなかった生き方を見出した。
「『お店でも、仕事でも、何か自分で生活できる確信を得てからじゃないと、結婚は考えられない。ーーーそれは働くわよ。平等がいい。私が起きて食事の準備をしたら、夫が家の掃除とか、ベッドを整えたりする。だから仕事から帰ってきたら、家がきれいになっているの。あとは座って夕食を食べるだけね。私だけが働いて、家のことは全部、夫にやってもらってもいいわ』」(松村圭一郎「海をこえて(13)」『群像・10・P.481』講談社 二〇二四年)
いずれの女性も出稼ぎ労働をはじめたとたんに性格やライフスタイルが急変したというわけでは全然ない。連載を通してみてきたわけだが本人も家族もかなり葛藤を抱えている。しかし「変化」した。「変化」は何によってもたらされたのか。「移動」である。
松村圭一郎はグレーバー+ウェングロウ「万物の黎明」から引用する。失われたものとは何か。「移動の自由」。
「じぶんの環境から離れたり、移動したりする自由」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.570」光文社 二〇二三年)
たとえば北米最大の都市だったカホキア。「暴力的統治、知の統制、カリスマ的政治」の三位一体が頂点に達した十五世紀頃、瓦解した。
「どのような要因の結合があったにせよ、一三五〇年ないし一四〇〇年頃には大量の離反が発生した。カホキアの大都市は、多様な人びとを、しばしば遠距離から集める支配者の力能と通して築かれた。こんどは逆に、それらの人びとの子孫が、端的に立ち去ってしまったのである。『空白地帯』は、カホキアの都市が象徴していたすべてのものの自覚的拒絶を意味している。とすれば、なぜそうなったのだろうか?カホキア臣民の子孫たちのあいだでは、移住は社会的秩序全体の再構築を意味すると考えられていた。そこでは、離脱すること、服従しないこと、あたらしい社会的世界を構築することという、わたしたちの三つの基本的な自由が、単一の解放のプロジェクトに統合されているのである」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.533」光文社 二〇二三年)
こう言い換えることができるだろう。
「わたしたちがいま社会運動(ソーシャル・ムーヴメント)と呼んでいるものは、多くのばあい、[この時代には]文字通りの物理的移動(フィジカル・ムーヴメント)というかたちをとっていたのである」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.534」光文社 二〇二三年)
ケアの関係について。様々な形が考えられるにもかかわらず「人類」が「喪失した」ものとは何か。
「たがいに関係し合う方法を自由に再創造(リクリエイト)することによってみずからを再創造するという能力を、人類がどうして喪失したのか」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.581」光文社 二〇二三年)
さらに「なにかがひどくまちがっていたとしたら」としてグレーバーらは次のように問いかけている。
「人類史のなかで、なにかがひどくまちがっていたとしたらーーーそして現在の世界の状況を考えるならば、そうではないとみなすのはむずかしいのだがーーー、おそらくそのまちがいは、人びとが異なる諸形態の社会のありようを想像したり実現したりする自由を失いはじめたときからはじまったのではないか」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.569」光文社 二〇二三年)
また以前引用した箇所だが、昨今の考古学的な知見をかんがみて、ほんの「例外」に過ぎないとされてきたことが長いあいだに硬直し「規則」と化してしまっていた「通例」をどんどん押し退けていっていることに触れておく必要があるだろう。
「複雑さはいまだ、往々にしてヒエラルキーの同義語として使われている。いっぽう、ヒエラルキーとは指揮命令系統(『国家の起源』)の婉曲語法である。つまり、大量の人びとがひとつの場所に住み、共通のプロジェクトに参加することを決めた瞬間、かれらは必然的に第二の自由、すなわち命令を拒否することを放棄しなければならず、そのかわりにたとえば、命じたことをしない者を殴ったり監禁したりする法的機構を導入しなければならない、というわけだ。
これまで見てきたように、これらの仮定はいずれも理論的に必要不可欠というわけではないし、歴史がそれを裏打ちしていないこともしばしばである。鉄器時代のヨーロッパの専門家である人類学者キャロル・クラムリーは、自然であれ社会であれ、複雑なシステムがトップダウンで組織される必然性はないと長年指摘してきた。ところが一般的にはそのようには考えられていない。おそらくそのような態度は、研究対象についてよりも、わたしたち自身のありかたをより多く語っているといえる。このような指摘をしているのは彼女だけではない。しかし、たいてい、このような意見はだれの耳にも届かないのである。
そろそろ、耳を貸すべきときだろう。というのも、『例外』が急速に『規則』を上回りはじめているからである」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.582~583」光文社 二〇二三年)
「移動」することは「問題」だろうか。むしろ「移動」を「可能性」として捉えるべき時期に入っていることは確かだとおもえる。