車で只見町に向かった。
深い意味はなかったが、ここから高校時代合宿をしていた
南郷村に向かうバスが出ていた。
以外に思われるかもしれないが、文化部でも合宿はするのだ。
当時のうろ覚えの記憶を確定させたかった。
記憶をたどる、などという格好のいいものではない。
「そーゆーのをセンチメンタルっていうんじゃね?」
と言われてもかまわない。
とにかくもう一度見ておきたかった。
途中で立ち寄った金山町の道の駅「こぶし館」。
どこもこの手の建物は立派だよね。
当時の私にとって合宿する場所などあまり重要ではなかった。
どこでもよかった。
合宿のあとには必ず県のコンクールがあったのだ。
その事に集中していたのだ。
合宿中に曲を仕上げなければならなかった。
私たち喜多方高校音楽部の合宿地は、いつも南会津の南郷村
にある廃園になった幼稚園だった。
なぜ南会津?遠いのに。
当時もそう思ったが、元園長と顧問の先生が毎日晩酌をしていたので、
個人的な付き合いがあるのかな、程度に考えていた。
しかし今考えると、絶妙な場所だ。
会津若松市の幼稚園で夜の8時ごろ楽器の練習などしようものなら、
途端に近所から苦情がくる。
しかし南会津の元幼稚園は周りがすべて田んぼ。
思いっきり音を出すことができたのだ。
只見駅に着いたとき、当時の記憶が蘇った。
そうだ、ここからバスにのった。
しかも汽車が遅れても待っていてくれたのだ。
駅舎は記憶にないが、この駐車場はそのままだ。
コントラバスの追加料金を払ったんだよな。
チェロまでは手荷物として扱われるが、コントラバスは大きすぎるので
子供料金くらいの追加料金をとられるのだ。
今は、知らないよ。
そしてどこにも曲がらずに30分くらい走った記憶がある。
さっそく車のナビで確認。
この道だ!田島町に通じる道。間違いない。
さっそく走ってみた。
元の幼稚園など影も形もない。
予想はしていたが、これほど何もないとは・・・
その時「福島県立南会津高等学校」の看板が目に入ってきた。
「ここで交歓会をやった」
さっそく車を駐めた。
さすが学校。30年くらいでは動かないね。
この学校は1階が駐車場で2階が昇降口になってる。
なぜって?1階は雪に埋まるんだよ。
合唱部と器楽の奇妙な交歓会だったが、当時はそんな事は
全然思わなかった。
「かわいい子いないかな」というのが最大の目的だからだ。
奇妙は交歓会は、うちの部にまだ合唱の残党がいた時代の名残りなんだろうね。
ここの高校には合宿所から右に曲がって、歩いて10分くらいの
時間がかかっていた記憶がある。
逆にたどってみよう。
しかし、何もなかった。
当然だよな。
廃園のままでも税金はかかるから、立て直すなり売るなりするよね。
もう元園長の子供の世代だし。
しかし、幼稚園で合宿をすると色々面白いことがあるんだよ。
練習は、個人練習、パート練習、全体練習に分けられる。
読んで字のごとしだ。
全体練習は幼稚園の講堂でやった。
おゆうぎ会ができるように、ステージが作ってある。
そこで座って演奏するのだが、園児用のイスなので座るとお尻が
はまってしまい、抜けなくなる。しかも背が低い。
エアコンなどなかったから、腕から塩を吹きながら演奏した。
そう、音楽には「体力」が必要なのだよ。
合唱部も腹筋運動をやるんだよ。腹式呼吸のためにね。
給食用の調理室で食事を交代で作るのだが、ここで部内の
女子の「女子力」が試されるわけだ。
しかしまぁ、どいつもこいつもひどい有様。
「やってトーライ」を生で見ている感じ。
今ではかえって作ることがむずかしい「メッコご飯」の連続だった。
メッコご飯とは、会津弁で芯が残ってしまった生炊きのご飯のことだ。
いちばんやっかいだったのはトイレ、いや便所と言おう。
昔の田舎だからボットン便所。
しかも廃園だから長い間に雨水が侵入して、かなり水位(笑)が高かった。
すごい、おつりがくるんだよ。
しかも幼稚園児だから男女のプライバシーとか、考えられていない。
共同なのだ。
ボットン便所だから「音」がでるんだよ。
年頃の娘は恥ずかしいだろ?
だから、男子は女子が入ってくると遠慮して出て行くんだよ。がまんして。
合宿の最終日、合宿用に個人で練習した曲の発表会と、
電気を消してローソクだけの明かりで、今回の合宿で感じたことを
発表するのだが、クサイだろ?
そうなんだよ。当時でも「今時?」と思ったもの。
新宿フォークゲリラのノリだよね。と言ってもわからないか・・・
話しが脱線してしまった。
村営の集会所は残っているかな。
ここの集会所には銭湯があって、毎日練習が終わると歩いて
通っていたのだ。
今で言うコミュニティセンターの走りのようなもの。
ここの銭湯は女風呂が道路に面している、という痛恨の
設計ミスをしたのだ。
男風呂と入れ替え、背の高い木を植えてなんとか営業を始めたが、
通路の突き当たりが女風呂の脱衣所の入り口という作りで、
誰かが入る度、中が丸見えになった。
みんなキャーキャー言っていた。
けっこう美味しい思いをさせてもらった。
歩いて通った場所だから、そんなに遠いことはないはずだ。
しかし見つからなかった。
集会所というものは、探せば今でも違う場所で新しい建物になって
見つかるはずだ。
でも、それでは意味がないのだ。
このまま田島を通って帰ろう。
そうか、この道は駒止湿原の道、国道269号線だったのか。けっこう遠かったな。
あの頃は銭湯の帰り、ホタルがいっぱい飛んでいた。
あの川は伊南川だったんだ。まだ、いるのだろうか。
もう、来ないだろうな。さよなら。
しかし、只見駅に着いたとき思ったのだが、
駅には現在列車は来ない。
数年前の洪水の被害で、まだ只見線は部分開通しかしていないのだ。
でも、かなり職員はいたぞ。
まあ、復旧工事の指揮とか色々仕事はあるのだろうが・・・
しかし、あのころ合宿が終わって帰りの汽車を待ってるとき、
ホッとしてうれしかったね。
ちなみに、汽車で只見駅から帰るとなると終点は会津若松駅だ。
私たち生徒は喜多方市民が多かったから、そこから磐越西線に乗り換えて、
喜多方市に向かう。
私の音楽部の顧問の先生は会津若松市に自宅がある。
毎日バスで、喜多方市にある学校に通っていたのだ。
だから、先生は会津若松駅で降りれば良いのだが、やはり生徒だけに
するわけにはいかないと思ったのだろう。
私たちが喜多方駅に降りるのを確認するだけのために、喜多方市
まで一緒に乗ってきたのだ。
高校生ながらに、先生って大変なんだなって思いましたよ。
駅のホームでの終わりの挨拶と三本締め、恥ずかしかった。