アコログ

色んなコトを感じ思ったこと。 誰かに伝えたくなったこと。 日々の記憶。忘備録。

大正天皇の桜

2015-04-20 21:38:47 | お寺のこと
ちょっと散りつつありますが、
桜が満開になった、春の日




観音堂の前のしだれ桜も満開です



境内にある4本の桜の木の中で、一番の老木かと
腰も曲がってるし。。と思ってた、
葉っぱと一緒に咲くこの桜の木



最近、石にも意味があると
石に彫られたものを見て、歴史を感じ、
あ~なのか、こ~なのか
という事をしてまして…(笑)
そーんな事を共にしてる、同じ歴史好きの
H先生と一緒に眺めていたら
ふと、隣の石碑に気がついたのだが...





ここは、自分の家
生まれ育ち、ウン十年であるが、
初めて気づいたのだった(笑)

思えば幼少の頃、その石碑に登ったりもしたっけw
そ~んな、ま~ったく目立たない石碑には
なかなか重要なことが書かれておったのだった



東宮殿下行啓記念
明治41年9月16日
有志之賛成ヲ得テ四十餘株ノ櫻樹ヲ植付ス

な~~んて書かれておるます

この時代の東宮殿下(皇太子さま)とは、
後の大正天皇である東宮嘉仁親王ですねぇ

記述では、明治41年(1908)地方見学及び
特別工兵演習見学のために同年9月8日
から10月10日まで、福島、山形、秋田、青森、岩手、
宮城と東北全県を巡啓された...と、あります。

ちなみに、大正時代は15年しかありませんし
何か大正天皇はちょっぴり影が薄くって(めちゃ失礼
大正ロマンが好きな割に、天皇陛下のことは
イマイチよくわかってなかった私です

在位が短かかったのは、病弱だったから。

たったの47歳で崩御された大正天皇は
側室そのものを事実上最初に廃止し、
一夫一婦を貫き、子煩悩で家庭的な方だったみたい
つーか明治まで、天皇陛下にはお妾さんが
おったんですね
知りませんでしたー

そ~んな、殿下が来県した記念の桜ですよ~






ちなみに観講とは。。
観音講のことで 観世音菩薩を信仰し、
参詣するために組織された団体...ですが、
ウチでは、観音講は2つあり、
観音さまのご縁日である、毎月18日に御詠歌を上げる
寺の観音講。(祖母の時代までで今はやってません。)

もう1つは、観音堂のおまつり(毎年5月にあります)
を取り仕切る、材木町の町内の青年部の観講。

区別するために、観音講と観講なのかもw

この大正天皇の桜の木を植樹したのは、
町内の青年部の観講の方ですね
後ろ面の彫られた名前を見ると、
その時代の町内の観講の方の名前です。



ちなみに「四十餘株ノ櫻樹」とあるけど、
この子と兄弟株な桜の木が40株余、あるんだぁ~
どこに植わってるんだろ~?と気になるわたしですw