ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

古い戒めと、新しい戒め

2020-05-16 | 礼拝説教
古い戒め マタイ22:37.39
「心を尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

新しい戒め ヨハネ13:34
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。


キリストは、罪人たちのために、身代わりになって十字架にかかって死ぬという大きな犠牲をはらう程に人々を愛した。自分を捨てて、神を愛し、神のみこころに従う生き方の、模範、手本と言えます

ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

自分の楽しみ、趣味、欲望を捨てることは、一度に全部を捨てられない。しかし、神様と私との間の交わりを実際に邪魔しているものは、捨てる決断をする勇気は必要です。 (長時間ユーチューブ YOSHIKIに身をささげていること等)




聖霊の満たしと導きに従って、慎重に歩を進めて行けば良い。
コロナ感染対策の緊急事態宣言にも従ってステイホームの中でも。

思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ12:3)



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主日説教の予習

2020-05-03 | 礼拝説教
ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました

神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神は、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります未来形。しかも、ただちにお与えになります未来形

時間の経過と、栄光を受けること、栄光を与えるこ、との関係を聞こう

子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、はあなたがたにも言うのです。

子どもたちよと呼び掛けて、弟子たちが後でわかることを期待いると、キリストの弟子達に対する愛を表現しているようだ。13:19と同じか?

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

誰が偉いのかと考えていた弟子達には、今の段階ではアガペーの愛で愛し合うことは理解できなかっただう。
イエス・キリストの復活後、聖霊に満たされて後に、父なる神の愛と御子イエスの愛が理解できて後に、兄弟姉妹が愛し合うようにと、今のうちからに伝えているのか。
ヨハネ13章31--35節

主日の朝の、大急ぎの予習メモ

 

ジャスミンは甘い香りを漂わせている。
キリストの愛のかおりを放つ人になりたいものです

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自由を放棄して忍耐する★

2020-04-26 | 礼拝説教
真の自由を得るということは、とても貴重なことです。
しかし、
持っている自由を、あえて放棄するという自由もあることを知った。
与えられている権利を、かえって行使しないという自由もあると知った。

パウロは、コリントの教会から献金を受けて当然なのにその権利を捨てた。
怒り、苦しみ、悲しみ、落胆、それらを屋根の下におおうように黙って隠して秘密にして辛抱した。

なぜか、その理由は、キリストの福音の宣教の妨げにならないようにという配慮だった。
私たちの教会の牧師も、時間とお金をかけて伝道し、個人面談をして教え、受洗したのに、まもなく急に信仰を捨てて教会に来なくなった人に対して、個人的感情を押し殺して、黙って忍耐している。
教えても、説教しても反応の鈍い信徒を忍耐して、さらに教え続けてくださっています。

なぜか、その理由は、霊的な宣教の働きに、物質的にも、また霊的なにも、すぐにこの世での報い得られなくても、天に希望を持っているから、忍耐できるのです。
ただ耕すだけで終わっても、種蒔きだけで終わっても、脱穀した後の収穫が少なくても、天に宝がたくわえられていて、分け前が備えられていることを、確信しているからです。

私も、福音のために仕えている方々、また過去の信仰の先輩たちと、同じ喜び、希望、分け前がいただける希望をもって、このコロナによるステイホームの時を、主とともに、兄弟姉妹とラインやズームで祈り励ましつつ、喜んで過ごしたいものです。

今日の説教個所 第一コリント9章9-12節

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今、すぐに悔い改めます

2020-04-25 | 礼拝説教
ふと、立ち止まって、「あれっこのままで良いのかな」と思ったとき
悔い改めるべきことに気付いたら、すぐに自らを点検して悔い改めて、考えにおいても、行動においても、方向転換をしなくてはならない。しかも、すぐに。

身体の心配や思い煩い、この世の人が流している様々な情報、身近な人との比較・競争意識に心が占められています・・・・・・人からは見えなくても主はご存じです。

悔い改めの機会が与えられたのに、あくまでも頑なに突き進むなら
「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」と最終的宣告を受けて、暗やみの中に入ることになる。

光のある間に、主の懐に寄りかかって、みこころを聞くことを求めよう。ヨハネのように。 
(ヨハネ13章27節)

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ペテロの三度の否定から学んだこと

2020-04-11 | 礼拝説教
三度、ペテロがイエスを否定した時、鶏が鳴いた。
これ以上、ペテロがものを言うと、罪に罪を重ねることになるから、あわれみをもって、すぐに鶏がないて、ペテロの口を封じて、悔改めるように導いてくださったのだと思います。

牧師の前で、「わかりました。私、このようにやります!!約束します」などと調子に乗って言ったり、高慢になって兄弟姉妹の悪口を言おうとしたときなど、牧師がサッと話題を変えたりして、私の口を封じたことがあるのを思い出しました。

思いついたことを、しっかり考えないで、褒めてもらおうと、得意げに牧師の前で話をした時、そしてそれが神学的にずれていた時、そのことについて説明をするのではなく、雰囲気でそれを分からせてくださった。

牧師は洞察力があるので、私が罪を犯していること、神を誤解していることに気付いて、悔改めるようにと、さりげなく、促してくださったのでした。

神さまに私は、今後罪を犯さないように守ってくださいと祈るのではなく
私には罪の性質があり、しばしば罪を犯します。そして悔い改めるのに遅い時があります。

しかし、神様は、みことばや、様々な経験を通して、その度に悔い改めに導いてくださり、赦してくださいます。

姉妹と話していて、相手の方が言い過ぎたり、不信仰な表現をする時、私は心の中でそれを面白がって、同調するような返事をして、相手も自分もさらに罪に追いやることかあります。
はっきり否定して嫌われるのを避けたいという気持ちもあります。

今後、信仰の若い姉妹と話をする時、また、信仰年数が長いのですが、ちょっとズレているところのある姉妹と説教の分かち合いなどを話す時、牧会的な配慮をもっても対応しなくてはならない。相手の方々の訓練であると同時に、私自身の訓練です。

コロナ感染予防のために、説教への応答の分かち合いをこれから始める時、神様が事前に、私に注意を与えてくださいました。
あけびの雄花


 あけびの雌花


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