ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

パッション18:19--24 私のメモ

2020-04-10 | 礼拝説教
19  大祭司アンナスがイエスに尋問をしたのは、まず弟子達について、続いてイエスの教えについてであった。 アンナスの知りたかったことは何だったのだろう。人間関係に関心があったのかな

20 イエスは弟子達に話したと言わず、世に向かって公然と話したと答えた。公然と話したというのは、この夜明け前の非公開の裁判に対する皮肉でもある
21 イエスが話したことは、イエスの話を聞いた人から聞くように言った。
「彼らならわたしが話した事がらを知っています(完了形)」と言われたが、実は、この時弟子たちはイエスの語られた内容をちゃんと知っていたとは言えないのだけどなあ。
要するに、自分の目も耳で聞いて確認しなさいと言っておられるのか。
イエスは、教えの内容の弟子たちを証人にしないで、わたしから聞いた人々に尋ねるように言っている。
22 大祭司が何かを言う前に、そばにいた役人のひとりが平手でイエスを打った。
イエスが打たれた最初の時
23 イエスは大祭司に、悪いというなら、悪い証拠を示せと命令した。
正しいというなら、なぜわたしを打ったのか、と問い詰めた。
有罪にする証拠を見つけられなかった
24 アンナスは善悪の判断がつかなかったのだろう。縛ったままカヤパのところに送った。アンナスのところに連れて来られる前に兵士、千人隊長、ユダヤ人たちから送られた役員たちに縛られたまま、何もしないで、送り出したことになる

 いたやかえで 板屋楓
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パッション ヨハネ18:15-18 私のメモ

2020-04-10 | 礼拝説教
15 もうひとりの弟子は、どうして大祭司と知り合いだったのだろう。漁師ではなかったのか。もうひとりの弟子ヨハネは、書かれてはいないが立派な家系の人だったから、イエスと一緒に中庭に入れた
16 ペテロは外でもんのところに、戸に向かって立っていた。一般の人は入れなかったのだろう

もうひとりの弟子ヨハネは、門番の女をほんの一言で動かすほどの力があったのか。門番が女。どんな門だったのだろう。
ヨハネは門の中から出て来て、ペテロを中に入れた。

門番をしているはしためが、あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と聞かれた時、私はそんな者ではないと否定したが、同時に、イエスには罪がないことを証言する機会を失ったことになる。
門番の女から与えられたペテロへのテストその1

18 炭火で火にあたって暖まっている男のしもべたちや、下役人たち、つまりイエスを捕まえて縛ってここまで連れて来た人たちと同じところに、ペテロが一緒になって、火にあたって暖まっている様子は、平和な感じがするような、変な光景です

 山道で見た藤
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パッション ヨハネ18:12--14 私のメモ

2020-04-10 | 礼拝説教
12  3節の部隊に、千人体調が増えたのか? 祭司長、パリサイ人たちの下役人たちをユダヤ人の下役人たちと言いかえている。

逮捕した。縛った。

13まず、連れて行った先は、アンナス その時の大祭司カヤパのしゅうとのところ1
まず とあるので、これからあっちこっちに連れて行かれることを意味している
アンナスはその年の大祭司カヤパのしゅうと ローマが大祭司を任職していた。

14 カヤパはユダヤ人に助言をした人だった。 アンナスは、24節でイエスを縛ったまま大祭司カヤパりのところに送ることになる
アンナスのは予備審問で形式的、有罪であるることは先に決まっていた
アンナスは大祭司としてカヤパのしゅうと、先輩にあたるのか。先輩としての威厳も決定権も持っていないな



 ねずみもち
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パッションの夕べ ヨハネ18:1-11 私のメモ

2020-04-09 | 礼拝説教
18:1-2 弟子たちとともにいることが3回も書かれて強調している
18:2 裏切ろうとしていたユダ 引き渡すの現在形の分詞 サタンが入った時からずっとすでに引き渡しているのと同じか
18:3 ユダは、受け取って やって来た
一つの部隊と、祭司長からとパリサイ人からのそれぞれの下役人 一致はできない人たち。何によって一致して来たのだろう。4「ナザレ人イエス」と言うひとであると思うところで一致していたようだ
18:5「それはわたしです」エゴーエイミは2回書かれている。この言葉には力があったから、ユダも役人たちも、あとずさりして地に倒れた。
18:8もう一度エゴエイミと言っている。 弟子達はそのまま去らせよ。ゆるせアフィエーミの命令形
18:9イエスが預言を成就するためにこう言ったことを誰も理解していない
18:11杯を飲む覚悟ができている
ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 




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前の記事「イエスの洗足の意味 すごい!」の前提の修正

2020-04-07 | 礼拝説教
ヨハネ13章からは、イエスは語り教える対象を、一般の人々ではなく、弟子達に絞っている。

13:1.父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
イエスがどのようにして極みに至る愛を示したのかが4節から書かれている。
その前に1-3節に、イエスが知っていたことが3つ書かれている
・父のみもとに行くべき自分の時が来たこと
・父が万物を自分の手に渡されたこと
・ご自分が父(神)から来て父(神)に行くこと
イエス様は、この世から父のみもとに移動する時をご存じです。
悪魔の動きもユダの心も、すべてイエス様の両手の中にあった。
イエス様はご自分の行き先がはっきりしていた。

コロナウィルスに感染して死ぬのではないかと、不安や恐れが蔓延していますが、私はどんな理由であれ、必ず死ぬ時は来ます。いつか、どのようにしてかは、イエス様がご存じてすから委ねます。死後、眠った後の携挙の時には、イエス様とともに父なる神様のみもとに移動することを信頼して、喜んで待っています。

時には、不安、恐れ、誘惑、迷いによって、心が揺るがされることがありますが、それもイエス様ご存じですから、逃げることも隠れることもできません。むしろ、罪を認めて告白して赦しを得て、イエス様に聞き従います。

人間の罪のために、すでに地はのろわれてしまっているこの世から、救い出してくださるお方はイエス様です。政治や経済や哲学の力は、神の前では力がない。天地を創造し、この世の歴史を前に進ませているの全知全能の神をもっと深く正しく知って信頼して、イエス・キリストの弟子として、残された人生を生きて行きます。

前の記事「イエスの洗足の意味 すごい!」には、読み誤りがあった。読み込み方に自分の思い込みを入れ過ぎていた箇所がありました。
弟子であり続けるために、今日もまた悔改めて、もう一度、原典から、13章全体も読み直します。


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