ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

話の長い牧師をどう思う?

2020-05-02 | 喜び
数年前に召された夫は寡黙ではあったが信頼できる人で、夫婦の間に言い争いはほとんどなかった。
ところが、教会の牧師はベラベラとよくしゃべる。礼拝では1時間半近くしゃべる。
集会で30分のメッセージの依頼があっても、必ず時間オーバーしてしゃべる。
相手が聞いていても、居眠りしていても、おかまいなくしゃべる。
コロナ対策で、ライブ配信となって、複雑な家庭の中で礼拝をすることになっている兄姉がいても、いつも通りにしゃべる。

牧師と求道者として個人面談を始めた時、しゃべり続ける様子に驚いたものだった。
もう、そのへんで良いのではないの?と思ったこともある。耳に優しい受け入れやすい言葉ばかりではなく、信仰を厳しく問われるような、悔い改めの応答を求められるから。

しかし、今、どんな事情の中であっても、神のことばを丁寧に研究して、確信をもって、原典連続公開説教を続けてくださっている牧師を、神からメッセージを預けられた人、預言者と認めて、尊敬しています。

語っておられる方拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。へブル12:25

自宅でライブ配信で礼拝をしていると、画面から背を向けて、飲み物を取りにいくことも簡単にできる。脇をむいて気をそらすことは、会堂に座っている時と違って自由にできる。出エジプトでの民たちのように、ブツブツつぶやくことも容易である。

しかし、よく考えて、注意し続けなくては危ない。私たちが天から語っている方に背を向けることを続けると、自己の行為の結果が自己に戻って来ることになるから。自分から気を付けることを続けなくてはならない。

自分の部屋で、ひとりで、霊とまことの礼拝をささげることには、私は大きなチャレンジを感じています。Zoomを用いての礼拝の後の分かち合いは、一人一人がしっかり聞いて応答するために必要な働きとなっていて、感謝です。

 住宅街を散歩中に、玄関先で咲いていた

田舎にいた時、庭で楽しんで、花をサラダに入れてみたことがあります。夫は黙って驚いていたが、同じものを牧師に出したら、どれだけの話に広がるだろう・・・・(笑)
名前を忘れたので食用花で調べた。ナスタチューム。
 https://platz-shop.in/edibleflower-book/ エディブルフラワー図鑑
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