ヨハネ14章はゲッセマネの祈りに代わるものだと、牧師が語られた。
よくわからなかった。でも2回は「ゲッセマネ」という言葉を聞いたので、気になっていた。
思い当たるのは、ゲッセマネでイエスが深くおそれもだえて祈っている間、弟子たちは眠ってしまった。こんな時にどうして、寝るな、目をさましていなさいと何度も言われても寝てしまうのか?・・・
夜、ベットに入ってからも気になったので、起き上がって聖書を開いてみた。
イエスは3度目にペテロ、ヤコブ、ヨハネたちのところに来て、
「立ちなさい、さあ、行くのです」マタイ26:46)
「立ちなさい。さあ、行くのです。」と言われた。(マルコ4:42)
「立ちなさい。さあ、行くのです。」と言われた。(マルコ4:42)
「起きて、祈っていなさい」と言われた(ルカ22:46)
マタイ、マルコ、ルカが書いたゲッセマネの祈りをヨハネは書いていないが、三度、眠っている弟子に、立て、起きろと語りかけたことは、ヨハネ14章で真理がわからないまま質問をした弟子が、トマス、ピリポ、-イスカリオテでないユダの3人であることに通じる。
このことから、ヨハネ14章での、何度言っても、よくわかっていない、霊的に眠っているような弟子たちに辛抱強く教えさとし、教えているイエス様の悲しみ、苦しみ、弟子たちに対する愛、忍耐つよさを感じ取った。
イエス様は、最後まで父なる神に従って、贖いのみわざを成し遂げて、よみがえらされました。復活なさいました。この同じことばで、「よみがえれ」「復活しろ」「立ちなさい」と言われる。弟子たちには、私たちには、イエスの模範がある
ゲッセマネの祈りでは、本来私たち罪人がおそれ苦しむべき恐れ苦しんで祈り終わって立ち上がった。その立ち上がったという同じ言葉を用いて、眠っている弟子たちに、「立ち上がって、祈り続けよ」と言われた。模範を示された。
私たちクリスチャンは、キリストが復活されたことを大前提に、霊的に目覚めさせていただいて、この世の誘惑に引き込まれることなく、聖霊の助けを求めて、苦しみが取り去られるように祈るではなく、苦しみの中でももっと祈れるように力を与えて下さいと、祈り求めよう。
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