聖霊の内住は霊的な事実である。そんな気がするという程度ではなく、しっかりとパラカレオーされて、自分に死んで、導きに委ねて仕える。悔い改め、砕かれて、変えられて従うべきであり、自分自身でありこれ計画して動くと律法的になり失敗する。
それで、注意、叱責を受けるようなことがあったら、静まってその意味をよく考えなくてはならない。自分の思いをいったん消して、悔い改めて、神のご計画に従うように方向を考える方向を変えなくてはならない。
しかし、牧師などから受けた助言はそれを受け止めるだけの霊的なレベルに達していないと、本質的なことが理解できなかったり、反発を感じたりするものである。言われてサッと従えるためには霊的識別力、信仰の成熟が必要である。
主人の在宅訪問医は、WHOにのっとって終末医療に医療麻薬を使っておられた。身体的苦しみ、社会的苦しみは理解できるが、僕たちには霊的な苦しみについては何もできない。こちらの家庭では霊的な問題がないようだから良いなぁと言われたことがある。
日本の医師はたとい研修を受けても、神を信じていないなら、全く理解できない。しかしクリスチャンには、霊的な問題を解決できるイエス・キリストの贖いを信じて、罪が赦され、神と和解している。医師免許がなくても、社会的な資格がなくても、聖霊に満たされているクリスチャンには若いの務めが主によって委ねられる。
主に遣わされる時に備えて、日々祈り、内面から整えていただくために、主に身をゆだね、明け渡します。
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