昨夜は、クリスチャンキャンプに参加した子供達の報告会がも催された。
差し入れが豊かで、お寿司、ビザ、手打ちうどん、その他食べ放題。
お腹が一杯になってから、写真を見ながら彼らの説明を聞いて、とても楽しかった。
しかし、最後に、具合がとても悪い子が出て、車椅子に乗せて辛うじて飛行機に乗れた話を聞いて、目が覚めた。創造主であり支配主の守りがあって無事に戻れたのだと神様に感謝する思いになりました。
その時までの私は喜びは、美味しいものを食べていること、礼拝の後も、時間も場所も共にできること、私もちょっと献品できたことなど、自己中心的、肉的なものであったと気付いたのです。また、現在を満足して、先のことまで考えない、浅いものであったと思わされたのです。
先日、喜びを原語から検索していたとき、プレローという動詞と一緒に出ていて、正しい喜びは神様から受けるものであると教えられたことを思い出したのです。
気になって改めて86回出て来るプレローを調べた。満たす、満了する、完成する、成就する、完了する、とても重要な言葉です。
使徒13:52「弟子達は喜びと聖霊にみたされていた。」
ヨハネ16:24 「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」
こうして、みことばを開いている間に、私の喜びが変えられました。地の低いところに下られて、すべてのものを満たすために、もろもろの天より高く上られた方、イエス・キリストに祈り求めることができることを喜びます。
キャンプに行った子供達、その他、教会の子供たちが、救い主イエス・キリストをまことに主とする信仰に、健全に成長していくように。そして将来、牧師や宣教師その他、日本の教会をリードする者にそれぞれ建て上げられるように。また、教え導く牧師・教師、そして心を一つにして応援する信徒すべてが、新天新地に入れられて、ともに喜びを全うする者とされますようにと祈ります。
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