へブル人への手紙の説教を聞き直していて、へブル12:16,17の説教の後、献身への招きがあり、講壇の前に進み出て牧師から祈られたことを思い出しました。2008年11月で、離れたところの実家に行って3年目のことでした。
当時の私は、主日礼拝だけかろうじて守りながらも、平日は実家で身勝手な生活をしていた時のことでした。そのことをすっかり忘れていたのに、神様は覚えておられて、恵みとあわれみにより、9年の田舎での生活の後、教会のある街に帰って9年目に、今一度、神に、神のみわざ、教会に献身するようにと導かれました。
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「聖なる者とならんとて 主、我らをば召したまえば、
聖なるものを追い求めて 俗なるものと手をば切らん」
ある集会の初め、みことばが読まれる時に、すぐ隣のテーブルにポットのお茶を運んで来て、それがこぼれました。その方と私の隣に座っていた方は、急いでテーブルを綺麗にされるのを見ましたが、私は、その瞬間に、たとい私の大切な洋服が濡れることになっても、聖書から目を離さない、マルタになるまいと決心したのでした。
「勇気を失わずに」という話の中で、 「 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」コリントへの手紙第二 4章16節 が引用されました。
私の身体は確かに老化して来ていますが、落胆させられることなく、日ごとの祈りとみことばによって聖霊に満たされますように。そして、主に仕える熱心が与えられ続けて、最後の一息まで神に賛美と感謝をささげることのできる生活へと、深められて行くことになることを願います。
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「主を待ち望む者は 新たに力を受けてのぼる。
走り疲れず 歩みてうまず 鷲のようにのぼる」
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