ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

一粒の麦の話は、異邦人への救い拡大の話

2020-01-18 | 礼拝説教
明日の主日礼拝での説教箇所はヨハネ12章 簡単そうで難しい箇所
黒崎幸吉先生のネット上で公開されている記事から予習をした

2章20節 禮拜せんとて祭に上りたる者の中に、ギリシヤ人數人ありしが、
「神の国がユダヤ人より異邦人に移ることの序曲ともいうべきものであった」


12章21節 ガリラヤなるベツサイダのピリポに來り、請ひて言ふ『君よ、われらイエスに謁(まみ)えんことを願ふ』
彼らがピリポに紹介の労を依頼せる所以は、彼らがおそらくベツサイダの附近の住民であったからであろう。十二使徒中ピリポとアンデレのみギリシャ語源の名を持っている


12章22節 ピリポ往きてアンデレに告げ、アンデレとピリポと共に往きてイエスに告ぐ。
ユダヤ人の反対を受けつつあるイエス、またイエスは従来ユダヤ人のみに伝道していた。ギリシャ人が訪ねるのを躊躇したのであろう。
ピリポはアンデレと相談した。


12章23節 イエス答へて言ひ給ふ『人の子の榮光を受くべき時きたれり。
ギリシャ人らが熱心に、反対にその選民ユダヤ人は不信に、このことが己の死の近きことを示す一事実であることを感じた
異邦人の救われんがためにまずイエスが十字架上に死に給うことが必要であることを(10:15-17)彼らに示し、また彼らもまたこの死を経ることが必要なることを教え給うた。
「栄光を受くべき時」とは死を経て復活昇天し給う時を言う。
▲ギリシャ人はおそらく智慧や知識、すなわち哲学をイエスから学ぼうとしたのであろうがイエスはこれに対して自分の十字架の死を示し給うた(Ⅰコリ1:22-23)


12章24節 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。
12章25節 己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし。
弟子たちやギリシャ人らもまた彼に倣いてその生命を棄つべきこと、而してこれによりてのみ永遠の生命に至ることを教え給うた。
ここに異邦人のキリストの弟子たるべき要件を示し給うた。
師弟の関係に入るごとき程度のものではなく、イエスまず死に給い、弟子たちもまたその生命を憎まなければならない。
キリストの弟子たることは至難であることを示している。
「生命を憎む」とは己の生命を愛することの反対であって、神に仕えんとする者はこの世におけるその生命が、いかに多くの妨害を与うるかを知るが故にこれを憎むに至るのである。
▲▲ギリシャ人は本来自己を愛しこれを完成しようとした。ヒューマニズムはこの点において福音と対立する。


12章26節 人もし我に事へんとせば、我に從へ、わが居る處に我に事(つか)ふる者もまた居るべし。
キリストの弟子たらんとする者はイエスの進み給う十字架への途に、彼の後に従って進まなければならぬ。
キリストに仕うる者はキリストの居給う処にいるのであって、従って彼とその苦難を共にしなければならぬ
しかしながら同時にその栄光も、これをキリストと共にすることができるのである(黙14:4)。
ゆえにこの道は苦難の途であると共に栄光の途であって、イエスより離れて苦難の途を避くる者はこの栄光に達することができない。
この御言によりイエスに従わんとするギリシャ人らにその困難について教え給う。
▲キリスト者はイエスを信ずるだけでなくイエスに仕える者でなければならぬ。イエスを自己の救いに利用しようとする者は真のキリスト者ではない。


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私設応援団に囲まれて、喜んで走り抜く

2020-01-18 | 聖書研究
へブル書12章1-3節を読んで、喜びと励ましを受けた

当時の信仰者を取り巻いていたのは、11章に書かれている、旧約時代の信仰の先輩の勇者たち。

現在、偶像崇拝者の多い日本で、忍耐するべきことの多い日々の信仰生活を続けている私達を、雲のように取り囲んで応援してくれている証人たちには、どんな人だろう。

旧約時代の信仰の勇者だけではないはず。
新約の恵みの時代の信仰の勇者たち、パウロ、マタイ、ペテロ、その他の信仰の先輩たちも、その他、私の教会を建て上げて来てくださった方々、聖書の翻訳者、信仰書や注解所の著書たち、その他、数えきれない人々が、見守り応援をしてくださっている。

だから、
施設応援団の一人一人と、もっと個人的な霊的な交わりを持ちつつ、
一つ一つの重荷とすぐにまとわりつく罪を脱ぎ捨てつつ
信仰の創始者・導き手であり完成者であるイエスをしっかりと仰ぎ見つつ

私達も、信仰の駆場を奮闘して走り続けよう。模範はイエス様。
イエス様は前に置かれた喜びのゆえに耐え忍んだ。
私達も喜びをもって走り続けよう。

コメント欄に続く

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4種類の地震が起こる

2020-01-16 | 聖書研究
へブル書の12章26.27節には揺り動かすという言葉が4回書かれているけれど、それぞれにどんな違いがあるのかを考えてみたいと思いました。
Heb12:26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす
Heb 12:27 この「もう一度」ということばは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。

そこで、
聖書に書かれている地震は、いつ、どんな時に起こるかによって、4つの種類に分けてみました。

1 この世での生活の中での地震
2 主の十字架と復活の時の地震
3 主の再臨のときの地震
4 主の再臨のあと、新しい天と地が造られるときの地震

1 この世での生活の中での地震
Act4:31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

Act16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。

Mar13:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。


2 主の十字架と復活の時の地震
Mat27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた

Mat28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。


3 主の再臨のときの地震
Mat24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

Luk21:26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。


4 主の再臨のあと、新しい天と地が造られるときの地震
Rev6:12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

Rev8:5 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。


Heb12:26 あのときは、その声が地を①揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も②揺り動かす」 
Heb 12:27 この「もう一度」ということばは、③揺り動かされないものが残るために、④揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。
① ③ ④ 1 この世での生活の中での地震
② 3 主の再臨の時の地震   
 又は4 主の再臨のあと、新しい天と地が造られるときの地震
どっちかな~~と思い、また調べたり考えたりします
エルサレムのAD70年のエルサレム神殿の崩壊の時を意味するのかな~

ただ、地面・土地が揺れ動く場合と、心や信仰が揺れ動く場合もあるので、もう一度、調べてみなくてはならないと思う

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震災から25年 主の訓練の年月

2020-01-16 | 聖書研究
多くの人は、あの震災がどうして起こったのか、今もわからないと言う
神様がいるなら、どうしてあんなに悲しいことが起こるのかとも言う


私は、天地を創造された神、全知全能の神のゆるしのもとで起こったことなので
意味も目的もあると信じています。
神は、遠くない将来には、地だけではなく、天も揺り動かす時がきます。


震災以降、慎みと恐れをもって、神に喜ばれるように奉仕することの訓練を受けました。霊の父からの懲らしめは、私達にとって益となります。神からの試練・訓練・懲らしめを忍耐して通る中で、私は聖なる生き方に変えられつつあります。


その時は悲しくても、後になると、これによって訓練された人々に、神が平安な義の実を結ばせてくださることに信頼します。そして、この世を去る時には、パウロのような立派な働きはできなくても、主の現われを慕い求めて、私のために用意されている義の栄冠を受けることができることに期待します。



へブルへの手紙12章10.11節
10なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
11
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます


第二テモテ4章7.8節
7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。


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出エジプト記3章 何度も尋ねるモーセ

2020-01-15 | 通読・出エジプト記
神は、モーセ、モーセと二回名前を読んで、モーセが「はい、ここにおります。」という返事を聞いて、モーセには聞く耳があることを確認した。
私自身にも声が聞こえた時には、逃げようとしないで、まず聞かなくてはならない


モーセは具体的な使命の内容を先に聞いてから、さらに詳しく主のことばに聞こうとした。私自身も、注意して聞き続けることが大切です


神は導き出した後にこの山で神に仕えることになると、使命を果たした後のことまで指示をしている。私自身は、言われたことにただ単純に従えばそれで十分だと思っていたが、みこころのとおりに使命を果たすためには、それでどうするのかという、もう一歩先まで見通す姿勢が必要であると知った。


神は尋ねるモーセに、イスラエル人に伝える言葉を口移しするように教えている
そこには3つの段階がある。

①まずモーセにアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神だと言って、
  モーセにわからしめた
②アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が私を遣わされたと言えと命じ、
  イスラエル人に言う内容を教えた
③行って長老たちに 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私に現れて「・・・・・」と言うように命じた
  長老たちに言う内容を教えた

①神のみこころを、イエス・キリストに、
②イエスキリストの霊、聖霊が、救われたクリスチャンに
③クリスチャンから、まだ救われていないクリスチャンに


あのピラミッドを建てたエジプトの王よりも、奴隷たちの神の方がはるかに偉大である。私の神は、世界中のどんな権力よりも偉大な方です。
その方が、失われた魂を救うために下ってこられ、私を神の働きに用いようとしておられます。どこに、どうして、何を語ったら良いのかと途方にくれますが、
その時になれば、主が私の口にことばを置いてくださることだろうと信頼します

明日は、小さな子育ての集会で、キッズスタッフをする予定でしたが、ママクリスチャンが怪我をして欠席なので、ピンチヒッターとして、私に若いママと話をする機会が与えらました。



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