ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

出エジプト記 2章の改訂版

2020-01-13 | 通読・出エジプト記
出エジプト記2章を読んで、子供の頃の信仰教育の重要性を思いました。モーセは幼少期、母親のもとでへブル人としての信仰教育を受けていたので、大人になって、へブル人を同胞と思い、彼らのところに出て行った。幼い頃に植え付けられたアイデンティティを、ある日、思い出したのだろうと思います。

教会に初めて来られる方の中には、「教会学校に行ったことがある」と言われる人がいる。ちょっとでも思い出した時は神の招きの時。信じて応える方向に進まれるようにと祈ります。

幼い頃から教会に来ていて、中高生になって教会から離れている子たちのことも祈ります。両親や教会学校の先生達が話した福音を思い出して、それを「たわごと」だと考えて信じないのではなくて、思い出して真実だと信用する者となって、立ち返ることができるようにと祈ります。
聖霊が彼ら一人一人の上に働かれて、みことばを思い出させてくださる日が近いと信じて待ちます。

ルカ24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい

ルカ24:8 女たちはイエスのみことば思い出した

ルカ24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。



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出エジプト記 2章 幼少期の教育の重要性

2020-01-13 | 通読・出エジプト記
モーセは生まれて3カ月ので母親のもとで育てられ
ナイルの川辺でパロの娘に見つけられてから、もう一度母親のところに戻されて、母乳を飲んで育てられた。


モーセがパロの娘のところに連れて行かれて、王女の息子になった時、モーセは何歳だったのだろう。幼いモーセは、短い期間であっても、お母さん、お姉ちゃん、その他の家族から、天地の創造主であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神を礼拝することをしっかりと教えられたことでしょう。


それで、エジプト人として、他の王女の息子たちと同じように、最高の学問を学んでいたが、幼い頃に植えつけられていたアイデンティティを失うことがなかった。
もしかしたら忘れていたかも知れないけど、潜在的に残っていたことだろう。


そこで、幼児教育の重要性を思います。教会に初めて来られる方の中の多くの人が、「子供の頃に教会学校に行ったことがあります」と言われます。神様の選びの人には、福音の種が植えつけられているのでしょう。


幼稚園児の頃から、お母さんに連れられて教会に来ていたが、中高生になって教会から離れていた女の子が、最近また教会に来ていて、喜んで受洗準備をしています。彼女には、幼い頃から、母親や教会学校の先生が話したことを思い出しなさいという主からの語りかけを受けて、イエスのみことばを思い出して、従ったのでしょう。


子どもが幼くて、すぐに理解できなくても、いつか思い出すことができるように、みことばを教えて、信仰教育をすることは素晴らしいことだと思いました。

ルカ24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。
.ルカ24:8 女たちはイエスのみことば思い出した

 教会に戻って来られた学生たちは、前に聞いたみことばを思い出し、聖霊に促されて、教会に帰って来たのだろうと思う。

ルカ24:11 ところが使徒たちにはこの話たわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。

 しかし、同じようにみことばを聞いて育って来た子供の中には、まだ戻って来ていない学生がいる。親や教師が立ち返るように話すことばをたわごとと信じていない学生もいる。彼らが、たわごとではなく真実であると信じて、立ち返って来る日が近いと信じて、祈って待っています。


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出エジプト記 エクソドス 

2020-01-13 | 通読・出エジプト記
通読は出エジプト記に入る
ギリシャ語では、エクソドス ἔξοδοσ
以前に原典から調べていた時に、この言葉が新約聖書の中に3回出てきたことを知った。
今回、それがどこだったかを、もう一度あたってみた

参考)httpギリシャ語を文字化けしないで入力できる 「TypeGreek」
http://www.typegreek.com/


へブル11:22 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。 エジプトでの奴隷人から自由人に解放されることか。

ルカ9:3 栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期について一緒に話していたのである。 肉のからだを脱ぎ捨てて解放されて、永遠のからだを得て復活し、昇天なさったことを意味するのか。


2ペテロ1:15 また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。キリストの弟子は、最期、死ぬと、聖霊の宮である肉のからだを脱ぎ捨てて、解放されて、よみがえらされて、天の宮に入れられる

 このことから、出エジプト記に書かれていることは、
キリストが十字架と復活のみわざによってなしてくださったことの型、予表であり、
それはまた、私達キリスト者がどのように信仰の歩みをして、最終的に約束の地、天国に入れられることを意味していると思われるので
そのことが、果たしてそのとおりか、確認しながら読み進めようと思います

(私はギリシャ語は学校等で習ったものではないので、要チェック)


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near the cross 十字架のかげに

2020-01-12 | 讃美
十字架のかげに いずみわきて
いかなる罪も きよめつくす
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで 

Jesus, keep me near the cross;  主よ、十字架のかげにおらせたまえ
There a precious fountain,    そこには尊いいずみがわいている
Free to all, a healing stream,   いずみは、無代価で、慰めを与える流れ
Flows from Calvary's mountain.  カルバリの山から流れ出ている


In the cross, in the cross,    十字架に 十字架に
Be my glory ever,       私の讃美がとこしえにありますように
Till my raptured soul shall find  
Rest beyond the river. 私の歓喜にあふれた魂が、川の向こう(天国)で安らぐ日まで


この歌詞のキーワードは my raptured soul だと思いました 
喜びと感謝にあふれる日々の延長線上に天の御国はあると思いました

イエス様の十字架上で流された血潮により、私の罪は赦されました
それは信じる者には誰にでも与えられる恵みによるものです
イエス様の霊、聖霊は近くにおられて語り続け、癒し、きよめてくださっています
私は大喜びで、主を讃美します。
今も、これからも、そして天の御国に入れられてからも、永遠に



Jesus, Keep Me Near The Cross (Hymn)


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人間をとる漁師に、イエスがまずなられた

2020-01-08 | 伝道
イエス・キリストは、バプテスマを受けた後、悪魔の試みを受けて、旧約聖書のみことばによってサタンを追いやり、み使いが来て仕えた。そして宣教を開始して一番になさったことが、漁師たちに「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と言った。その時、まずイエス・キリスト自身が二人の人間をとったのだ。人間をとる漁師になるという模範、手本を自ら示された。


彼らはすくに網を捨てて従った。しかし、実際に人間をとることになったのは、イエスが栄光を受けられてからのことであった。
イエス様がシモンとアンデレを見つけたのにも、彼らがすぐに網を捨てて従ったのにも、み使いの働きがあったのかも知れない。


このことから、私達、イエス・キリストの十字架と復活を信じて聖霊を受けた者が、「回心をしたら伝道をして弟子づくりをするようになる人」を捜して伝道をしようとするなら備えが必要だと知った。


祈って神の御前に出て、罪を悔改めて、聖霊に満たされて、サタンに勝利しなくてはならない。そうすれば、み使いの助けも求めることができる。主がともにおられると確信を得てる。そして出て行くと良いのではないかと思いました。


しかし、頭だけ、机上の言葉だけで終わっていてはいけない。実際の生活に適用していかなくてはならない。出て行く先は教会の主催する伝道イベントだけではないだろう。「ざるですくう」ような働きでも、始めなくて何も始まらない。


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