ヨハネ12:12-19 の説教より
当時、イエス・キリストがエルサレムの町に入って来た様子を語る中で、まるで時空を越えたように挿入されているヨハネ12章16節が印象的でした。聖霊の働きについて考えてみました。
ユダヤ人達は、神のことばである旧約聖書をよく知っていて、預言どうりに、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と歌った。しかし、そこに祝福はなかった。自分達に都合の良い政治的経済的な王、目に見えるものを求めているだけで、霊的には盲目でした。
どうしてこの節が挿入されているのか、それは、ヨハネがそれまで霊的なプロセス、経験を積んで来たからだと思いました。
l まず、キリストの十字架・復活・昇天、そして聖霊降臨を通して、内面が大きく変えられ目が開かれた。
l そしてその後、祈りとみことばによって整えられ、使命である弟子づくりを、聖霊の導きに従って一歩一歩進んで行ったことによって、ますます霊的な視野が深められていった。
l それで、過去のキリストの言動を思い起こして、さらに旧約聖書のことばとも照らし合わせて、霊的に預言と預言の成就を理解することができて書けたのです。
私達、聖霊をいただいている者は、みことば、キリストの言動を思い起こすことで、自分の罪が見えるとともに、それにもまさる恵みも賜物も見えて来る。また現在、置かれている環境の意味もわかって来る。
さらに旧約聖書を読んでみると、だんだんに、預言がイエスによって成就し、今も成就しつづけていることが明らかになって来るのではないかと思いました。それで、旧約聖書をこれまでとは違った読み方ができるのではないかと、期待しているところです。
そこで祈りました。
●私達が、聖霊に満たされて祈りとみことばにおいて深められて行くように。
●それぞれの置かれている環境の中で働いておられる神を見て生活できるように。
●もし今よくわからないという中にいても後日、回想した時には、さらに聖霊に満たされて、確かに主が言われたとおりであったと思い出すことができるようにと。
12:16初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した。