ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

短い文章に同じ言葉がたくさんあって混乱した★

2020-07-20 | 礼拝説教
主日礼拝で第一コリント9章19~23節までが語られた。
同じ言葉が繰り返されていて、文章の構成がどうなっているのか混乱した。
獲得するため / 律法 / になる /  弱い / すべて
応答が促されている部分の話が納得できなかったので、原典から調べてみた

■福音の働きによって持つ自分の権利十分に用いない例
自分の存在beingを無視している具体的な例
・19自由であるが、ーーー奴隷となる
・20ユダヤ人ではあるが国際人でもあるが、ーーーユダヤ人のようになる
・20(udder律法)律法の下にはいないが、ーーー律法の下にいる人のようになる
・21神の(not律法) 神の律法の外にある者ではなく、キリストの(in律法)をキリストの律法を守るものですが、ーーー律法を持たない人のようになる
・22神からの力を得ている者ですが、ーーー弱い者のようになる


■本来の自分ではなく、自ら自発的に、自らを奴隷とした目的は
●より多くの人を獲得すため
ユダヤ人を獲得すため
律法の下にいる人を獲得するため
律法を持たない人を獲得するため
弱い者を獲得するため
●何とかして幾人かを救うため
●福音の恵みをともに受ける者となるため 共同参与者になるため
全ての人々のために、すべてのもの(中性)となった(完了形)

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私は、伝道集会で会った人の話を親身になって聴かなくて、相手の方が教会に来る道を閉ざしてしまう結果になったことを悔い改めた。
私はキリストにあって自由です。その自由の用い方を、自分のプライドを満足させることを優先することはしない。
むしろその自由を、失われた魂を見つけ出して救うというキリストの働きに用います。

私は夫を天国に見送って自由な生活をしているがーーーご主人との関係で悩んている人の話を共感して聴くように

私は親戚関係からすでに解放されているが、ーーー家族、親族の中での問題を何とか解決したいと思っている人には、突破口を見つけることができないかと一緒に考える

私は強がらずに私自身の弱さを相手に見せて、話を聞いてもらって、そして、相手の話を聞くようにする

なかなか救われなくても、それでも、神が働いて、何人かでも救われるのですから、あきらめることなく、宣教の働きに仕え、宣教の働きをしている兄姉に仕えます


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祝福してくださる神を祝福します

2020-07-17 | 喜び
ルカの福音書の最後の説教個所で「祝福する、よく言う」という言葉が」3回出てきた。イエス様は両手を挙げて弟子たちを祝福した。祝福しているままの姿で天の中に運び上げられた。そして弟子たちは、エルサレムに帰っていつも宮にいて神を祝福していた・ほめたたえていた。

今、私達クリスチャンの一人一人の中に、また教会の中に、聖霊がいつも住んで、私達を宮、神殿としてくださっています。ですから、「いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」と命令されていることばに従って、
私たちは、神をほめたたえ続ける生活をするのが、みこころにかなった生き方である。

イエス様の昇天される様子の話を聞いたことがあったことを思い出して、過去の手帳を捜し出して見た。また、連続講解説教の記録をホームページも開いてみました。

私が教会を初めて訪問した日、1998年3月のその日の説教は使徒の働きの第一回目の説教でした。
なんと神様は、何の予備知識もない私に、イエス・キリストの十字架のみわざと復活と昇天。さらに再臨まで、その姿を、教会に来た初日に見せてくださったのでした。
そしてその日以来、私の知らない間に、一歩一歩、祝福し導いてくださっていて、今も祝福し続てくださっています。

環境は神である。環境の中に三位一体の神が見えて来る。
イエス様が昇天なさった地はペタニヤ。ラザロが復活したところ、マルタとマリヤの家があったところ。

私が今、住んでいるアパートの名前は「喜一」。しかも教会のすぐ近く。コロナ禍の中で何回も礼拝に、交わり会に用いられています。
このアパートの名前から、私はこのように考えます。

どうしても必要なことはわずか、あるいは一つだけ。その良いほうを選びます。(ルカ10;42) 優先順位を考えて、神の国とその義とをまず第一に求めます。(マタ 6:39) その結果、与えられると約束に信頼して、よく言いいいます。神を讃美しほめたたえます。神からの祝福を、私は祝福のことばで表現します。

今は、古いアパートの外階段を上がった二階の部屋に住んでいますが、後の世ではイエス様の準備してくださった天のマンションに、イエス様とともに揚げられて、永遠に神をほめたたえるようになるという希望を持っています。
ですから、今から喜んで、唯一の神を、教会の兄弟姉妹と一つになって、ほめたたえます。



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若いママ お一人のための 伝道集会

2020-07-16 | 伝道
今日の伝道集会は、未信者である一人の若いママに向かって、牧師が語る会があった。
  1. 未信者さんからの質問「どうして牧師になったのですか」に受けて話を始められた
・話始める前に雑談のようにして会話をして心を開いているのを見て、準備してきた話題ではなく、相手の質問に答える形で話を進められた。
・自分から持ち出した話題なので、話が少し離れたように感じても、質問への答に戻って来ることを期待して、集中が持続できたのではないか。
・「逃亡、欠乏、滅亡」「夏目漱石の則天去私・血を吐いての死」「発狂するか、自殺するか、宗教に走るか」「芥川龍之介・有島武郎の自殺、情死」--一つの質問がここまで展開したことに関心を持たれたとしたら、聞くの耳のある人だろう。

  1. 自分で計画して牧師になったのではないことを離された
・幼少時は、寺に行き、墓参りをしていた。日本人にほぼ共通な話
・浪人してYMCA予備校で聖書をもらった。浪人時代、就活時代の世の中の背景。手に職をつける目的に英語の上達を求めて、聖書研究会を選んだ。神学校に行ってから牧師になる道が示された。
・自分自身の決心や目標や決心で生きるのは「罪」である。自然現象はすべて神の法則、秩序に従っているのに、人間だけが自分勝手で神からズレている。この部分の話が彼女の心に響いていたら、立ち止まって考える時となるだろう。

  1. 原点から聖書を読んで来たその積み上げが、洞察力、識別力の源となって、牧師として、子育て、弟子づくりをしている
・メッセージの後、韓国人の姉妹と話しました。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハ 8:32は韓国の図書館等にも掲げられているそうです。Boys, be ambitious も韓国で有名ですが、後に続くin Christは語られないとのこと。ちょっと知識を得るだけでは、生きるための何の力にもならない。
・続けて、彼女が、教会に来て、牧師の話やクリスチャンの話を聞いて、注意深く聞き、よく考えて、一つ一つ正しく選択して行かれるように。またその姿勢が子育てにも生かされるようにと、祈り願います。


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次主日は、わが家で4人で礼拝

2020-07-15 | 喜び
教会から連絡があり、次主日の礼拝を我が家では4人で礼拝することになるとのこと。我が家が教会になるのは、今回で、四回目になります。

教会には、会堂以外にも部屋があるので、分散して同時配信をして礼拝をしているし、zoomで家庭から礼拝している人もいるが、だんだん出席人数が増えて来たので、教会の駐車場を挟んで隣にある私の部屋は、2kの狭いアパ―トですが、教会の一部として利用していただける。これは、すばらしいことで感謝です。

■土曜日にすること
・机と椅子の配置
・テレビとパソコンの位置
・床。玄関を掃除機
・お菓子・花の買い物
・消毒液と紙コップを教会から借りて来る
・献金袋とホッチキス


■当日にすること
・清掃・消毒 床をワイパー・トイレ・洗面所・机・椅子
・エアコン・換気・扇風機
・背もたれのない椅子には背中にクッション
・おにぎり弁当


■出席者の確定の後に担当者を決める
・zoom担当 パソコンまたは携帯でつなぐ
・飲み物担当:教会からお茶・コーヒーを持ってくる
・換気担当


■終了後
・献金を会計役員に届ける
・ドリンクポットと消毒液を返却
・出欠と反省を報告



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悲しい気分の雨の日

2020-07-14 | 喜び
長く続いたルカの福音書の説教がとうとう祝福に溢れたメッセージで終わった。
最初から最後までイエス様は私たちを祝福され、今も祝福しつづけていてくださる。

しかし、そのイエス様に対して、神からの恵みについて、私はどれほどの神様を祝福(よく言う)してきたことか。
与えられたみことば、環境すべてを、祝福として受け止めて、祝福として告白して来たことか、讃美しほめたたえて来たことか。

一章から24章まで、通して読もうとしたが、目が見えにくいのを言い訳にして、続かなかった。

それではと、携帯の「聴くドラマ聖書」で聞いたが、ちゃんと聞いていない間にどんどんと話が進んでいった。

それではと、いのちのことば社の「聴く聖書」を何年かぶりに取り出して聞いた。これは、聴くドラマ聖書よりもゆっくり読まれているのに、他のことをしながら、聞いていると、やっぱりいつの間にか先に進んでいた。寝てしまっていたこともある。

それではと、BibleGateway を聞きながら日本語聖書を見てみたが、どっちも中途半端になって、ただところどころ英語が聞き取れたというだけだった。

それでも、やっと最後までたどり着いた。説教をした牧師は、1時間かかって全部読み通したそうですが、私はどれだけの時間がかかったことか。私には達成感も満足もないのはどうしたことか。

あれ? こんなことが書かれていたのか!!と思うばかりで、語られたメッセージをすっかり忘れている。疑問がたくさん出て来る。

説教の録音アーカイブはいつでも聞ける環境にある。
走り書きでできだけ逐語的に書き残したノートも手元にある。

しかし、これからどうしたら良いのか、見えずに悲しい
今後始まる使徒の働きの説教について、どのような心備えをするのがふさわしいのか見えずに、寂しい。




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