ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

夫のためより、自分のためだった

2020-07-11 | 喜び
夫の入院中、私自身も簡易ベッドを借りて、3ヶ月間、泊まりこんでいた。
新聞を、牧師の書いた本を、聖書を、彼のベッドの傍らで音読した。
その入院中に、彼はイエス様を受け入れて、新しく生まれる経験をした。


末期がんの最後の在宅療養の間も、ライブ配信で礼拝するだけでなく
送ってもらったCDを用いて、受洗前後の学びをした。


私は、本を読むことで夫を伝道した。牧師の本が夫の心を開いたと思っていたが
実は違っていたことに気づいた。


忙しくて、ゆっくり聖書を読んだり、デボーションをする時間がとれない私は
本を音読することで、心の平安、主への信頼を、どうにか保っていたのでした


夫が静かに私の本を読む声を聞いていたのは、
その内容を理解して喜んでいたのではなくて
私たちの中に臨在しておられる主を感じ取って、その平安を喜んでいたのかも知れない


夫が召されて6年になるが、夫は天で生ける主とともにいる
私も、地で、いつも主とともにいる。
いいえ、反対です。主が私たちとともにいてくださっています。
幸いな日々です。
イエス様は、私を孤児にはしないで、聖霊となって内在し、導き続けてくださっています。



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カンパニーとは会社という意味だけではなくて

2020-07-10 | 喜び
カンパニーとは会社という意味だけでなく、何かを一緒にするところと学びました。カウンセリングが元々キリスト教の牧師がやったことであるように、カンパニーも元々がキリスト教から来ているのかな・・・と思っていました。

きょう、木曜日、ルカの福音書を振り返るために英語の朗読を聞きながら新改訳を読んでいたところ、カンパニーという言葉が響きました。調べてみたところ「一行」と訳されている部分のようです。

ルカ 2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
NIVUK 44 Thinking he was in their company, they travelled on for a day. Then they began looking for him among their relatives and friends.

そこで、聖書の中で、カンパニーが出て来る個所を検索した

ロマ 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、【NKJ】・・・if first I may enjoy your company for a while. 

Ⅰコリ 5:9 私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。
【NKJ】not to keep company with sexually immoral people. 

ヘブル 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。
【NKJ】to the city of the living God, the heavenly Jerusalem, to an innumerable company of angels,

このカンパニーという言葉には一致しているという意味があることを知りました。
天での祝会をこの世で味わっていると言われる教会では、教会員の中で党派心や嫉妬心など互いに苦々しい思いを持つことなく、一致して喜び、感謝して、神をほめたたえるべき。

私はちょうど、そのような思いを持つことがあったのですが、このカンパニーという言葉を調べることから悔い改めに導かれました。

また一方、この世の人たちと仲間になる場合には、識別することが大切だと思いました。



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大学生へのメッセージ・カードづくり

2020-07-08 | 弟子づくり
教会では、毎年、母の日、父の日、青年・学生の日を設けて盛大にお祝会をしている
今年、わたしの担当となったのは、二人の若い人に、カードを書くこと。
その一人は、小さい時から教会に来ていて、高校生くらいから教会を離れた大学生の男の子。



時々は聖書を開いてはいるそうですが
今、みことばを送っても フン 糞 となり
説教したらさらに フン 憤 だろう

写真を縮小してコピーして、このように書いた
祈って、考えて、祈って、考えて、楽しい時間だった
幼少の頃より将来の希望はずっとパイロットになること
神様を知り、礼拝する社会人になってもらいたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

くりくり坊やだった〇〇君へ
これからの成長と働きに期待しています

たくさんの雄花の中の雌花

嵐に吹き飛ばされて落ちた実


熟した実、種を弾き飛ばした殻


虫に食べられつつ栗の樹を支えて来た葉

〇〇のアルバムより
   △△△
これらの栗の樹の営みを考えて、教会での弟子づくりを思いました。
一番大切なこととして、樹全体が年間を通して目的としていることは、実・種を残すこと。
教会とは、殻とか、虫食いの葉、葉や若い実の落ちた土(腐葉土)のような要素があると思いました。
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卵が先か、にわとりが先か

2020-07-06 | 喜び
「わかったら信じる」のか、「信じたらわかる」のか。明らかに信じることがファース。
「伝道したら聖霊の風が吹く」のか、「聖霊の風が吹いたら伝道するのか」聖霊がファースト。

私のこれまでの祈りは、祈りたいことを祈ってから、「イエスの御名によって」と付け足し最後を締めくくっていた。手紙等を書く場合も「主にあって」を習慣的に付け加えていただけであったことを告白し、悔い改めます。

「求めなさい。そうすれば与えられます。」
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」
「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです(ヨハ 16:24)

みことばを信じます。イエスの名によって祈り、その祈りが聞かれる経験を積み重ねて、喜びが満ち満ちたものとなることを信じ、今喜びます。

マタイの福音書の最後に書かれている大宣教命令に従うためには、まず、イエスの御名によって父なる神に祈ります。
いつもともにいてくださるイエス・キリストの霊、聖霊に満たされるように。
聖霊の力、導き、守り、知恵が与えられて、聖霊の風に押し出されて語れるように。
伝道して弟子づくりをしようという人と会えますように。



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聞いたメッセージを振り返って

2020-07-02 | 信徒メッセージ
先週は、毎日、信徒メッセージが語られた。聞くだけでそのままにしていたけれど、ノートを開いて、自分でも調べて、復習した。 分かち合い会をする機会がないのでここに記録しておくことにします

聖句はへブル人への手紙10章1-4節 
教会では牧師だけでなく、信徒も連続講解説教をしているのです

旧約の時代には動物犠牲をささげても、年に一度、大祭司が動物犠牲をささげても、罪は思い出すのであった。
旧約のささげものはキリストにある本体の影であったから。

しかし、今や、神の御子イエス・キリストが、いけにえとなって十字架にかかってくださったことを信じた者は、罪が赦されている。
すでに救いみわざは完成されている。罪は赦されていて、クリスチャンは恵みの中を歩んでいるのだ。

イエス・キリストは復活して、今、天から聖霊を送ってくださっている。
聖霊の光に照らされて罪を意識した時には、同時にキリストの十字架と復活を思い出して、罪を告白し委ねれば良いのだ。
悔い改めて、信仰から信仰に進むのだ。

それなのに、私は、ついそれを忘れて、何かをしなくては、奉仕をしなくては、献金をしなくては、神に認められない、赦されない等と考えて、そわそわと動いて失敗したり疲れたりすることがある。それは律法的な生き方でした。

恵みの中を生きる者がささげるいけにえは、心からの讃美、感謝。そして自ら喜びをもって進んで払う犠牲であるはずです。

このように考えたのは、へブル書と第一コリントに、原語で、同じ言葉が用いられていることを教えられたことから導かれたのでした。

へブル10:3 ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。
1Co11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。


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