ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

いつくしみ深き 友なるイエスは

2020-10-07 | 喜び
賛美 いつくしみふかき What a friend we have in Jesus, 
英語の歌詞を牧師に直訳していただいたことで、歌詞の意味がよく理解できました。Take it to the Lord in Prayer.と繰り返されているのは、それは与えられると聖書が約束しているから。

 神は全地全能の方であるから状況も必要とすでに知っている上で、訴えを聞いてくださる。祈り始めると、どう考え、どう進むのかを共にいてくださる聖霊が語りかけてくださる。なおも求めると、反対に求められるもの、はたすべき責任も示されます。こうして、求める内容が自分のためというより神の栄光のためにと変えられて行きます。

 聖歌の本の後ろに引用聖句見出しが書かれていることを初めて知りました。讃美の歌詞の源がみことばにあるので、讃美は歌うたびに、聞くたびに、新たな思いで神様を思い起こすことになり感謝します。信仰の友である兄弟姉妹との関係においても新鮮な交わりが与えられているのも感謝です。





神が私のうちにみこころをなして下さる

2020-10-04 | 喜び
へブル書13章20.21節の前半をごく単純にすると、「神のみこころを行なうように、神があなたがたを完全なものとしてくださるように」と言える。
13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、
 13:21 イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

しかし、神様は完全なお方なので、神のみこころにそむいている罪人は、神に喜ばれることをことを行なうことはできません。ありえません。

ただ一つだけ方法があります。それは、イエス・キリストが、神のみこころにかなって行なわれたことを信じること。つまり、十字架と復活の救いにみわざを信じること。それによって、それまで神に敵対していた者が、イエスが与える平和の中に入れられ、神と和解することができます。

ですから、神がどんな方であるのかを20節で書いています。
★平和の神。
★羊たちの羊飼いを、永遠の契約の血にある偉大なお方を、私達の主イエスを、死者の中から導き出された方と。

神があなたがたに希い願い求めているのは、あなたがたが神が与えたすべての良いもので神のみこころ、神に受け入れられることを行なようになること。それは人間の知恵や力でできるものではありません。

神ご自身が、イエス・キリストを通して、神が、神のみこころにかなうことを私達のうちに示して、それをなしてくださるのです。
ピリピ 2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

ですから、私達は、私達のうちに働いているイエス・キリストの霊、聖霊を通して、神のみこころを知り、それをなすことのできる力も与えられることに信頼します。それを行なうのに必要な良いものはすべて、神からもう与えられています。

私達が神に委ねて、完全なものとされるなら、整えられるなら、キリストに栄光が永遠から永遠にあり、キリストと神は一つですから、栄光が神に永遠にあることになります。
ヨハネ 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

私達が神のみこころを行なうことができるように整えられることを願い委ねます。弟子となって、福音を宣べ伝えて弟子をつくり、御国が拡大していくことに用いられることを願います。そうなることで、主イエス・キリストと父なる神に栄光が世々にありますように祈ります。アーメン



新しく生まれた人の歩みは

2020-10-01 | 喜び
第Ⅱコリント5:16-21の前後を読んでいて、
5:13 「もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。」
に目がとまりました。

そして、私が最近かかっている鍼灸院の待合室で「鍼狂人の独り言」という本を見たことを思い出しました。院長が尊敬している、現在も現役の鍼灸師の先生だそうです。師匠にあたるお方なのでしょう。

私の教会の牧師は「私は弟子づくりに狂っている」と言われます。
イエス様は、公生涯の初期に家に戻られたとき、「気が狂ったのだ」と言われました。
パウロも人々に「気が狂っている」と言われたその言葉を逆手にとって、こう言ったのかも知れません。

クリスチャンは、この世の人との違いがあまりに大きいので、理解されにくく、受け入れられにくいと言えます。三位一体の神のみわざによって、新しく生まれて、根本的に質的にまったく違う生き方をする者となったのですから、神を知らない人、神を信じない人には全然わかりません。

ですから、霊の家族の中で、愛されて育まれ成長して行く必要があります。神の最善の導きに一歩一歩応答して前進し、神の時も神のみこころもわかって、神に聞き従い神のみわざに用いられる者となっていくのです。

罪は赦されたが罪の性質は残っています。この世はサタン、悪霊が支配しています。信仰を全うするためには、うちに住んでくださっている聖霊様のかたわらからの語りかけに、自ら進んで応答して行かなくてはならないことが教えられます。



みことばから逃げないで、とどまろう

2020-10-01 | 礼拝説教
ヨハネの福音書15章から
7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
ほしいものを求めるには条件がある。
それは、イエスにとどまり、イエスのレーマが私達にとどまること。
その条件を満たすなら、ふたつのことがなります
①求めたものがかなえられます。そうなります
②多くの実を結んで、イエスの弟子となります

15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
祈りがきかれ、イエスの弟子となり、弟子づくりをする。
多くの人がクリスチャンになり、弟子づくりをすることで、父は栄光を受けることになります。

そのようになるためには
★イエス様が枝を取り除いたり、刈り込んだりなさることから逃げない。なんと厳しい言葉ではないか拒否して、みことばから、イエス様から、教会から離れない。

★刈り込みが必要な時、成長のための訓練の時と喜んで受け止めて、忍耐をし、感謝すること。コロナの今こそ、刈り込みの時。必要なもの、不要なものを判別して整理していこう。

★聖書を読んで覚えて心にとどめる。レーマを個人的に受け取る。

★神様に心から祈りの声を上げて、導きを求めて、神からの応えに耳を澄まして、教えられたとおりに生活に適用して、生活を改善・改良していく