会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

「花その」社報で会津藩士秋月悌次郎を紹介  柴田聖寛

2021-09-16 09:08:57 | 読書

 

 東京都新宿にある花園神社発行の「花その」社報令和三年九月一日号が私どものところにも届きました。一面に片山裕司宮司が「中秋の名月」と題したコラムを書いていられます。明治6年に明治政府が行った旧暦から新暦の移行したことを話題にされています。閏年で13カ月の年回りであったのに、明治政府は11月の大酉終わった次の週に新年を迎えることにしたからで、給与を一か月分無くすという苦肉の策でした。これによって日本も世界の標準の中に含まれることになったのです。
 また、片山宮司は今回の東京オリンピック・パラリンピックについて評価が分かれていることに触れ、「十年、二十年後にはこの開催の全ての挑戦が好意的な評価で定着されることを念願しています」と述べていられます。
 毎回私が楽しみにしているのは、作家の中村彰彦先生の「歴史の坂道80」のページです。今回は「鶴ケ城址 夏草刈りて明るけり」。会津藩士で、京都で公用方を務め、長州を都から一掃することになった八・一八政変で重要な役割を果たし、会津の降伏にあっあても設営にあたった秋月悌次郎を取り上げています。獄中生活を経て漢文の教師となり、第一高等中学校の教諭を経て、明治二十三年九月には熊本第五高等中学校に赴任しましたが、「老いてからは学生たちの行軍を案じて草を刈る仙人のような人物となったのである」と書いています。
「鶴ケ城址 夏草刈りて明るけり」は会津の俳人新城杏所さんつくられた句だと思いますが、松平容保公の孫娘であった節子様が、昭和三年に秩父宮家に勢津子妃として嫁がれたことを記念した句だといわれています。賊軍の汚名が晴れたという思いがこめられているからです。

 合掌

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