避けて通れない3.11の被災、国民が震撼させられ暫くは動けない程の後遺症を残した。
もう半年経ったのか―、未だ半年しか経たないのか―思いは、それぞれでしょうが・・・・。
私の従妹は、釜石市の出身 当時は殆ど口を開かなかったので良く分らなかった、と言うより
話しが出来ない程のショックだったのだ。
実家の近くにお嫁に来てくれたのだが、会話のきっかけも少なかったため、こちらから質問もしていなかった。
突然実は、実家は釜石港の周りで魚屋さんをしていたんです。
あの日テレビの画面を観て震えが止まりませんでした。
怒涛の海面に流れる屋根の上に、母と弟が流されて行くのを見つけた時です。
考えてみると、3月なんて未だ未だ凍てつくような寒さの中、時には雪まで降る時分の事。
東京だって寒くてストーブが離せない状態だった。
揺れる家の屋根の上で、よくぞ頑張りました。どれだけの体力が要った事だろう。
生死の境をさ迷った方が実は肉親だったなんて・・・・
言葉に出せない程のショックを受けたA子さん。可哀そうな事だ。
慰めの言葉を掛けると「いいえ、実家も何も無くなりましたけど、命が助かっただけで・・・」と
声を詰まらせていた。
皆が皆、自分よりもっと苦しい目にあったんだから、泣くわけにはいかないと生きる
支えの様に言葉を漏らす。本当に苦しく悲しい時って泣く事も出来ない、涙も出ないと。
そんな人にとって、半年は未だ未だ苦しい日々の様だ。
東北の各地で、残された人達は夏祭りだと踊っている。それは新しく神様になった人達の
為に踊っているのだと言っていた。
心に傷を負った人は数え切れない。元の街には戻れないだろうと言いながら一縷の望みに
賭けている様にも聞こえる。祈り
もう半年経ったのか―、未だ半年しか経たないのか―思いは、それぞれでしょうが・・・・。
私の従妹は、釜石市の出身 当時は殆ど口を開かなかったので良く分らなかった、と言うより
話しが出来ない程のショックだったのだ。
実家の近くにお嫁に来てくれたのだが、会話のきっかけも少なかったため、こちらから質問もしていなかった。
突然実は、実家は釜石港の周りで魚屋さんをしていたんです。
あの日テレビの画面を観て震えが止まりませんでした。
怒涛の海面に流れる屋根の上に、母と弟が流されて行くのを見つけた時です。
考えてみると、3月なんて未だ未だ凍てつくような寒さの中、時には雪まで降る時分の事。
東京だって寒くてストーブが離せない状態だった。
揺れる家の屋根の上で、よくぞ頑張りました。どれだけの体力が要った事だろう。
生死の境をさ迷った方が実は肉親だったなんて・・・・
言葉に出せない程のショックを受けたA子さん。可哀そうな事だ。
慰めの言葉を掛けると「いいえ、実家も何も無くなりましたけど、命が助かっただけで・・・」と
声を詰まらせていた。
皆が皆、自分よりもっと苦しい目にあったんだから、泣くわけにはいかないと生きる
支えの様に言葉を漏らす。本当に苦しく悲しい時って泣く事も出来ない、涙も出ないと。
そんな人にとって、半年は未だ未だ苦しい日々の様だ。
東北の各地で、残された人達は夏祭りだと踊っている。それは新しく神様になった人達の
為に踊っているのだと言っていた。
心に傷を負った人は数え切れない。元の街には戻れないだろうと言いながら一縷の望みに
賭けている様にも聞こえる。祈り