セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

浅草で再会

2008-11-20 | セカンドライフ
旧友のリクエストで浅草浅草寺雷門の提灯の下で・・・
もう10年振りにもなるだろうか。
お互い歳をとり気がつかなかったら「ごめん」って感じで。
11時の約束だが10分前には会えた。
相手を待たせちゃいけないと以心伝心なのか早目の再会。

午前中なのに浅草寺前はごった返していた。
アジア人の観光客が多いこと多いこと。

馴染みの場所ではあるがあの雷門と書いた、大提灯の下に入って
見上げたのは初めてだた。
あれを寄付したのは誰有ろう、松下電気産業の松下幸之助様だったのだ。
すでに10月から会社名は変わってしまったが松下幸之助氏の実業家としての
高名は代〃伝えられて行く事と思う。
裸電球も消えていく、今は昔と言い伝えられる事だろう。

久し振りの逢瀬の旧友は元気でいてくれた。
私の人生も彼女の人生も知りつくした仲間。
裸の私を知り尽くしている友。
今は他県に住むが手先の器用な彼女は手作りの品々を沢山携えて
「私の遺品」と言いながら身ぐるみ剥がすようにプレゼントして呉れた。

以前3枚も油絵を描いて呉れて、その絵に合う額縁まで用意して呉れたっけ・・・・・
今だにその絵は健在で折々彼女を思い出させて呉れる。
友達は沢山いないけど大切な友。

遺品などと言わずお互い健康で人生を楽しもうね。

会いたいねー

2008-11-19 | セカンドライフ
10年近く「会いたいねー」とかけ声ばかりの挨拶を繰り返して来た。
言葉だけではなく本当に会いたいと思って居た。
H女史とは25年前、にっぽん丸(前の)でグアムへニューイヤークルーズに
ご一緒した事があり楽しい想い出が沢山残っている。
が、彼女の事情で地域を離れる事になり泣く泣く送り出した。

随分私を面倒見てくれた。
彼女の別荘(伊豆)に2週間お邪魔した時には
3食共私と子供2人分を心を込めて作って頂いた。

離れてしまうとなかなか会えないが今朝共通の友人の訃報知らせの
メールが入った。
朝一番PCを開き息が止まるほどびっくりした。
62歳だったのだ。彼女のご主人から喪中のハガキが
届いたそうな。
ご主人・息子さん2人を残して逝ってしまった。
ご家族の思いは如何ばかりか。
合掌。

で、明日、浅草で彼女を偲ぼうと急遽決めた。
きっかけと言っては何だがH女史と私とを会わせて呉れたのかも
知れないと・・・・・・
口ばかりで言っててもなかなか予定を計てない。
会えば話しが沢山有る。
しかしカレンダーには目先の事でスケジュールが埋まってしまう。

会いたい人には無理をしても数時間でも会う様にしよう・・・・
冬にならない内に。



しますえよしおさん ビロードの声

2008-11-18 | セカンドライフ
旧友から しますえよしおさん のMDが届いた。
彼女はしますえさんの大ファン。
「ビロードの声と言われているの、聴いて!」

確かにおっしゃる通り何度聞いてもビロードの肌さわり?
彼の人気の有りよう納得。
シャンソンOK日本のポピュラー何でもあり。
声が丸くて深く柔らかくて優しい。
なる程、追っかけさんはこの声に癒されているのだフンフン。

特に選べば谷村新司さん作詞作曲の「群青グンジョウ」が良かった。
スケールの大きな曲でもっともっと続けて!と言いたい程素晴らしかった。
12月になると最寄の会場で彼のコンサートが有る。

彼女の魂胆は誘いがてら"予習"しなさいと言う事らしい。
昔の事、彼女はピアノが上手で私が「ショパン」「モーツアルト」と
リクエストすると「いいわよ」と、さらっと弾いてくれる人だった。

ピアノ曲でも私が好きそうな曲を見つくろってはMDにコピーをして
送ってきてくれた。(私にはお返し出来る物は何も無かった)

彼女もコンサート三昧の芸術の秋を送っているらしい。

マンガで安否確認

2008-11-17 | セカンドライフ
我が息子は家を出て早10年。
彼からの連絡と言うのは先ず無い。
余程用事がある時、誰かの誕生日等、年に数回。

母親として子供の事は常に頭から離れない。
家を出る時、子離れを自覚したはずではあるが・・・・・

幸い彼が4コマ漫画を毎日欠かさず更新しているのを聞き
なる程良い手があった。
彼のホームページを確認すればいいのだ"と納得。

家に居る時から、思えば3歳位から絵ばかり描いて居た。
それから30年以上も経つが「描くの飽きちゃった」と言う
言葉は聞いた事がない。

今だに日々頭の中は漫画を書く事で一杯の様で・・・・
残念ながら彼の4コマ漫画の内容は私には余り理解出来ない。
毎日3000名の方がアクセスして下さるそうで分かる方には解るらしい。

何れにしても息子の安否確認はHPを利用している今日この頃。
何時も元気で更新する事を願うばかりである。

マンガは苦手

2008-11-16 | セカンドライフ
子供の頃少女雑誌では「少女」「なかよし」が主流だった。
可愛い松島トモ子さん・小鳩くるみさんが毎月表紙を飾っていた。
グラビアばかりを見て夢の様な世界だなーとながめていた。

当時の流行はバレー教室の物語で主役を誰が取るか。
超お金持ちお嬢様とそれを取り囲む意地悪グループ、
片や貧乏な家庭の少女との主役争い。

大抵は貧乏な家庭の少女の方が才能や能力が優れていて
主役をゲットする。
意地悪グループは主役を降ろそうとトウシューズの中に画びょうを入れ
怪我をさせたりこれでもかと意地悪をして踊れなくする。

50年前でもあんな事有ったんだと、ふと思い出した。
私は「ペスよおをふれ」と言う連載漫画が好きだった。
それは小学生頃の話で何故かそれ以来余りマンガに興味を持たなくなり
吉屋信子の小説に移行して行った。

単純な話だが小説と言うのはイメージを自分流に広げ、ひたすら
文字を追って行く単純作業。
マンガと言えば絵の中の顔の表情から感情を読み取ったり、吹出しの
台詞を読んだり縦に枠が流れるのか横に流れるんか、はた又斜めだったりで
目でマンガを読んで行く作業に疲れてしまった様な気がする。
苦手な作業この上ない。

勿論4コママンガ「サザエさん」「コボちゃん」等は例外中の例外。
非常に楽しんでは居る。
大きくなってからは専らエッセーや小説、文字だけを追う方に走っている。

今は縦書き(右開き)横書き(左開き)どちらが今風なのかと
論議されている。
まあ何れにしても慣れというものかな。

我が子供は何故かマンガばかりか描き生活の全てをそれに
注ぎ込んでいる。
究極の不思議。