はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

環水平アーク。

2010-05-18 01:27:04 | アートなど
こちらは大気光学現象の話。

5月16日、日曜日の昼頃に、生まれて初めて環水平アークらしきものを見ることができました。
環水平アークとは、太陽と地面の間の空に水平に架かる虹色の帯です。
太陽の光の屈折で生まれる、いわば虹のようなもの。
しかし、ふつう虹は、太陽とは反対の空に出現しますが、この環水平アークは太陽と同じ方向の空に出現します。
しかも、環水平アークは特別な条件がそろわないと出現しません。

この大気光学現象の存在を知ってから、ぜひ一度観てみたいものだと長らく思っておりました。
太陽の同心円上に出現する内暈(22°のハロ)や幻日はよく目にしていたものの、環水平アークや、天頂付近に現れる環天頂アークは、そう簡単には見られないだろうと半ば諦めていました。

さて、16日の昼頃です。とうとう牡鹿半島でそれらしき現象に遭遇いたしました。

Rimg0760

(写真では肉眼ほどうまく再現できなかったため、若干補正を加え彩度を上げてあります。)

22°の内暈からさらに下、海と22°内暈の間に虹色の帯が見えています。
出現状況から見て、おそらく環水平アークではないかと思われます。
条件から見ても、太陽高度が高く、なおかつこの日は上空に寒気が残っていました。氷の結晶からなる薄雲ができていた可能性は高かろうと思われます。

せっかくですのでこちらに記念の記事を上げてみたという訳です。
次は環天頂アークの目撃を目指します。

大気光学現象については
こちらのサイト→「空の輝き」 や
こちらのサイト→「天空博物館」
で勉強させていただいています。
アークって何?という方はぜひのぞいてみてください。
オラファー・エリアソン好きなどには特におすすめです。


ここ最近観たもの(2010年上期)。

2010-05-18 00:53:04 | アートなど
ひさびさの更新。
今年は、まさかの異動やら何やらで怒濤の上半期を過ごしました。
少し落ち着いたので、観たものを一応メモ的に。

1月8日から10日:金沢1泊4日の夜行バス弾丸ツアー
金沢21世紀美術館の企画展、オラファー・エリアソン「あなたと出会うとき」
 オラファー・エリアソン展観たさに遠征した21世紀美術館。エリアソンは期待以上に素晴らしかった。3回観た。近くなら通いつめたであろうことは想像に難くない。金沢市民がうらやましい。エリアソンには数年前の原美術館の企画展「影の光」でノックアウトされ、それ以来のファン。大気光学現象好きにはたまらない。そのうち群馬もぜひ行ってみたい。

1月17日 映画「かいじゅうたちのいるところ」
 かつて予告編では『着ぐるみ?!』とのけぞったが、本編は実に丁寧に作り込まれた良作でした。かいじゅうたちの存在感がすばらしい。ハイテク着ぐるみとCGの幸福な融合。

1月23日、24日:東京横浜遠征
東京都写真美術館
 アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶
 カルティエ=ブレッソンの写真の本質はユーモアなんじゃなかろうかという印象を受けた。ネガシートのダイレクトプリントが非常におもしろかった。
 躍動するイメージ。石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流
 フィッシンガーとレン・ライの映像に釘づけになった。衝撃。
 日本の新進作家展vol.8 「出発-6人のアーティストによる旅」
 さわひらき作品目当てで足を運んだが、石川直樹の富士写真に出会えたのは大きな収穫。さわひらきは物語的予兆と静寂の同居。いつも見入ってしまう。石川直樹の富士山シリーズは、対角線上斜めに空を切り取った写真に釘づけになった。

横浜BankART studio NYK 東京藝術大学 先端芸術表現科 卒業|修了制作 2010
 東京藝術大学先端芸術表現科の展示。なかなかのボリュームだった。多様な作品。展示数が多いと観るのにもエネルギーを使う。文谷有佳里氏のドローイングが強烈に印象深く忘れ難い。
東京藝術大学大学院映像研究科新港校舎 メディア映像専攻年次成果発表会《Media Practice 09-10》
 個人的に注目し、この専攻が発足した年の夏から継続して見続けている展示。他ではあまりみられない表現が盛り沢山でつい見入ってしまいました。興味深く、いろいろ思うところも多かったが今年はメモが追いつかず。

東京大学総合研究博物館 命の認識
 東京大学博物館が収集してきた動物の骨格を展示した企画展。黒塗りのシンプルな展示空間。そこにテロップや説明書きはいっさい置かれず、鑑賞者は膨大な数の骨格という『命の痕跡』と向き合う。
 とにかくすばらしかった。禁欲的なまでに情報量を削ぎ落とすことによって、大量の骨格たちが自ら語りだすような状況を作り出していることに感動。膨大な標本が並ぶ空間は圧倒的な物質の存在感を放つと同時に静謐な空気を保っている。生命の痕跡、生命に向き合うとは何かを考えさせられる。もちろん比較解剖学の知識があるとさらに楽しめること受け合い。生物学に携わる方や生き物に興味のある方は必見、とさえ思った。会期をもっと延ばしてほしかったと切に思う。

銀座メゾンエルメス 小谷元彦展「Hollow」
 小谷元彦の立体作品展示。具象と抽象のはざま。観ていてざわざわする。独特の空気。個人的には抽象寄りのほうが好き。 newbornシリーズは東大の標本展示の後に観ると複雑な気分になる。

六本木 森美術館 医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る
 芸術と科学に興味を持つ身としてはとりあえず観ておかねば、と足を運んだ。現代医科学関連のアプローチが少し物足りなかったけれど、十分面白くボリュームのある内容でした。意外にもMAM project#10のカルレイネン「不平の合唱団」がものすごく面白かった。面白すぎてうっかり全部観てしまい、気が付けば時間切れ。

2月12日 映画「つむじ風食堂の夜」
 クラフト・エヴィング商會の作文担当こと吉田篤弘氏の同名小説が原作。とぼけた味わいの原作世界がどのような映像になっているのか興味を覚えての鑑賞。八嶋智人に頼り切った印象。生活感漂う実写映像だとどうしても野暮ったくなってしまう。もっと浮き世離れした感じで突っ走って欲しかった。あのテイストでやるなら芝居向きかも。美術や小道具は好きだったのだが。やはり私にとっての吉田作品の魅力は、小説の向こうにAZOTやクラウド・コレクターの世界がうっすらと垣間見えそうで、でも見えなくて、気配だけ感じるあたりなのだろう。映画は違うとわかっていても、AZOTの気配をどうしても探そうとしてしまう。

5月1日 映画「アリス・イン・ワンダーランド(3D)」
 監督と俳優と原作と3D技術確認目当て。それほど思い入れは感じなかった。たしかに立体感はすごいが目が疲れる。双眼顕微鏡で長時間組織切片を見たときの感覚に似ているかもしれない。 

5月8日 水戸芸術館 リフレクション―映像が見せる“もうひとつの世界”
 さわひらきとレストランのランチ目当て。行ってみると予想以上に濃い内容。4時間ほどみっちり鑑賞。それでも足りないほど。映像は情報量が多い反面、時間と表現が不可分という点で、鑑賞者にすべてを鑑賞させるためのハードルが芸術表現の中では格段に高いのだなということを実感した。
 八幡亜樹の「サーカス・テント・ブルー」は虚実不明の案配がとても面白かった。が、手ぶれ画面に酔ってトイレに駆け込んでしまった。二つの意味で印象深い作品となった。
 レストランはまさかの結婚式貸し切り。目的の半分は達せられず、無念。

この週末は、本当は山崎龍一の個展を観に遠征する予定でしたが、体調すぐれず断念。
会期内にぜひ足を運びたいと熱望しています。



東京遠征8/28ー30。(オペラシティアートギャラリー「鴻池朋子展」、森美術館「アイ・ウェイ・ウェイ

2009-08-30 01:15:00 | アートなど
東京出張ついでの遠征。

とりあえず行ったものメモ。

28日
新宿初台 東京オペラシティアートギャラリー「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ者」リベンジ鑑賞。

29日
六本木 森美術館「アイ・ウェイ・ウェイ展『何に因って』」
        「MAMプロジェクト009」小泉明郎
    森ビルスカイデッキ
この日、偶然山崎龍一氏の販売作品に遭遇。生涯二度目の美術作品購入。


30日
目白 椿山荘「夏の昼の夢」 山崎龍一氏の立体作品目当て。


時間がとれたら書き足します。



新潟遠征8/22-24。(新潟県立美術館「ネオテニージャパン」、妻有地域「大地の芸術祭2009」)

2009-08-24 01:02:00 | アートなど
忘れないよう欄だけメモ。

8月22日(土)から24日(月)まで、夏休みを利用してアートめぐりに行って参りました。
3年前にはお友達のざらえもんさんと一緒に日帰りツアーに参加したのですが、そのときに『これはもっとゆっくり時間をかけて車で回りたい』と同じ所感を述べていたところ。
奇しくも今回はその願いが叶うことになり、家族とともに二泊三日の車行程で臨みました。

とりあえず観たものざっくりリスト。
22日
まずは、長岡市の新潟県立美術館で開催されていた「ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション展」
津南地方と主に津南マウンテンパークの作品群を総覧。津南に宿泊。

23日
北回り1のツアーに参加。
「うぶすなの家」やタレルの「光の館」ほか多数観覧。
山崎龍一氏の作品に心を射抜かれる。
夜に、国道103号線沿いの夜間のみ鑑賞可能作品「HOME プロジェクト」を鑑賞。満天の星空と虫の声と蛍のように明滅する家屋群。忘れ難い。これが今回のマイベスト。
二年前の東京芸大先端芸術科の大学院終了制作展で、モニタに写し出された家々が蛍のように明滅している様子を配置したインスタレーション作品がありました。当時は単なるモニタをたくさん使った映像インスタレーションかと思っていましたが、じつは実際の集落を使用したものだったようです。実物を見られて感激。
十日町に宿泊。

24日
主にまつだいエリア。絵本と木の実の美術館から福武ハウス、おそばやさんを経由して農舞台へ。


トリエンナーレは全部で40作品くらい観たでしょうか。
正直なところ、1週間ぐらい滞在してゆっくり全作品制覇してみたかったです。
次回開催も楽しみです。

(時間がとれたら書き足します)


映画「サマーウォーズ」。

2009-08-01 22:40:00 | アートなど
とりあえず欄だけ確保。のちほど書き足します。(8月19日アップ)

映画は初日に観に行かないと結局見逃してしまうジンクス継続中のここ数年、例に漏れず見逃さないよう、ちょうど映画千円の日でもある公開初日の8月1日、映画「サマーウォーズ」を観て参りました。
たいへん丁寧に作り込まれた良質の映画であったと思います。
めっぽう気に入り結局2回観にゆきました。

感想は後日書き足しますが、とりあえずおすすめです。
観られる機会のある方はぜひ劇場で。


東京&横浜遠征7/25。(東京都現代美術館「ジャイアント・トらやん展示」「MOTコレクション展」「メ

2009-07-25 22:31:00 | アートなど
すっかり遅くなってしまいましたが、遠征メモ。(8月19日アップ)

7月25日(土)は、東京と横浜で3つの展示を見て参りました。
まずは、東京都現代美術館の「ジャイアント・トらやん展示」と「MOTコレクション展 夏の遊び場 -しりとり、ままごと、なぞなぞ、ぶらんこ- 」そして「メアリー・ブレア展」(サイトは 美術館サイト あるいは 企画展サイト

主な目的は、毎回渋い展示作品を揃えてくれる「MOTコレクション展」、そして、8月2日までの限定で展示されているヤノベケンジ氏作「ジャイアント・トらやん」の立ち姿を見るため。
興味を持っていた企画展「伊藤公象展」はあいにくの8月1日から。
ディズニーには興味がなかったのですが、せっかくなので開催中の企画展「メアリー・ブレア展」も併せて拝見しました。
メアリー・ブレアという名前は私は今回はじめて知りました。直接の作画には関与しなかったものの、どうやら初期のディズニーにおいて、カラーデザインやイメージスケッチによりアニメーション作品に多くの影響を与えていた方なのだそうです。いちどディズニーを離れ、フリーランスとして絵本や広告など幅広い分野で活躍した後、再びディズニーの「イッツ・ア・スモール・ワールド」のコンセプトデザインを担当し、名を広く知られるようになったのだとか。独特の色彩感覚と世界観は、たしかに「ああ、あの!」と思わせる作家性に裏打ちされたもののように思いました。
私個人的には、ディズニーに採用されなかった作品群のほうが抜きん出て「良い作品」と思えてならず、世間的には成功と評価されるであろう「ディズニーに認められディズニーの作品となる」ことが、果たして作家や作品にとって良いことなのかどうか不審に思いました。ディズニー色に染まるほど、ブレア氏の作家としての輝きが失せてしまっているようで、どうにも複雑な気分になりました。
しかも、ディズニーによってボツにされお蔵入りとされていた作品が、今回展示されるにあたって、ブレア氏個人のリソースではなくディズニーのリソースとして利用されていることに、どうにもやりきれない、釈然としない気分になりました。ビッグネームがすべてをかっさらってしまうような創造システムはよろしくないのではないか、と、法人所属の作家とその創造物との関係性について、非常に多くのものを考えさせられました。こういった関係性は、分業システムに頼らざるを得ない商業アニメーションの宿命かとは思いますが、どうにかならないものなのでしょうか。
誰がどのような経緯で何をして、何を作ったのか、どのように分業したのか。わたくし、グループワークにおいてこういったことを意識した説明や叙述が少なすぎることにいつも不満を覚えていたところ。できるかぎり誰が何をしたのか切り分けられる部分は切り分けて叙述してほしいと改めて強く思った次第です。
ところで、個人的にいたく気に入ったのが「ペネロペと12か月」のイラスト群。
お名前を出して恐縮ですが、更紗さんの描かれる絵を思い出しました。
さて、次に本命、ジャイアント・トらやんと「MOTコレクション展」。
常設展示室のエントランス部分に堂々と立つ「ジャイアント・トらやん」とその足下に遊ぶ「トらやん」、そして傍らに鎮座する「ロッキング・マンモス」に感銘。「トらやん」の隣には、彼らを巡る映像作品が何作かモニタで上映されており、突如現れた巨大ロボットやちょびヒゲ人形がどのような意味を担っているのかが解る仕組みになっており、毎度ながらヤノベ氏の展示構成に感心させられました。また、このエントランスのヤノベケンジ作品に限っては写真撮影OKとのことで、子どもたちが大はしゃぎするなか記念撮影をしている家族連れが多く見られたのも微笑ましく印象的でした。
「ジャイアント・トらやん」を観たのは二度目でしたが、前回の霧島アートの森では彼(?)は座っていたため、立ち姿を見るのは初めてでした。改めてまじまじと見るにつけ、とにかく「でかい!」のひとこと。
笑うしかないほどの圧巻です。
4月の豊田市美術館でのトークイベントでヤノベ氏が語った言葉によれば2009年は「トらやん最後の聖戦」の年なのだそうで、その言葉を聞いてから、ひょっとしたらトらやんの活動にはいったん終止符が打たれるのではないかと危惧していたところ。どうなるのかはわかりませんが、希有なアートシーンとして可能な限りこの目で見て、記憶にとどめてゆきたいものです。
MOTコレクション展は「遊び」という観点から現代芸術作品を眺め、「ままごと」「なぞなぞ」「しりとり」「ぶらんこ」という4つのキーワードで個性ある作品を紹介。毎度ながら、面白い観点、そして充実した展示に感心です。詳細は省きますが、エルネスト・ネトの作品とその香り、また、島袋道浩氏のドキュメント映像作品「タコに東京観光をプレゼントする」、そして「earth library」(作者名失念)などの作品が印象に残りました。

さて、次に足を運んだのは、横浜の新港地区で開催されていた東京芸術大学大学院映像研究化メディア映像専攻「OPEN STUDIO」 後期展示
先週の前期展示は修士2年(3期生)の習作展示でしたが、今回の後期展示は修士1年(4期生)の特別演習課題の成果作品を発表展示したもの。
14名の学生さんたちは4月に入学して以降、4名の指導教官から順次演習授業を受けており、それぞれの演習概要と併せて各演習で出題された課題に対する成果が紹介されていました。
以下、ざっくり感想メモ。

・佐藤雅彦特別演習
物理現象などの科学原理や日常に潜む何らかの事象が担う独特の面白さを抽出・収集し、それらの面白味に焦点をあてて作品として再構成する、という演習の課題成果群。
"科学的な原理が露呈する表現"、"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"、"面白さの蒐集"、"ウズウズの言語化"の4つのテーマによる。

"科学的な原理が露呈する表現"

A 柿沼緑×森脇統「through」 インスタレーション
白い紙で覆われたガラス壁があり、その手前に底の抜けたペンキ缶が台に乗って数個置かれている。壁にはそのペンキ缶が壁を覗くような格好で1つ張り付けられている。台の上のペンキ缶を手に取って自分も同じように覗き込んでみると、缶の影になった部分にだけ、ミジンコなどの微生物を描いたアニメーション映像がうつって見える。じつは裏側から映像が投影されているのだが、壁面の紙を透過する光量が展示室の光量を下回るため、通常の状態では映像を見ることができず、缶で覆って覗き込むことで影になった部分だけが透過光を知覚できるいわば窓の役割を果たす、という作品。
缶で覗き込む作業が、まるで顕微鏡を覗き込むような感覚を引き起こしているのが面白い。手元の缶の影の中に動く何かを見た時は新鮮な驚きを感じました。壁の中から動く微生物の映像を探す面白さがあるいっぽうで、缶による視野が狭いため、切り取った影の窓の中にちょうど動く映像が入ってこない場合があり、そういったときは鑑賞者が作品内容に気付かない恐れもあるのではないかと思え、少々もったいない気もしました。

B 玄宇民×白*欣宏「虚実のバランス」 インスタレーション
滑車を介した一本のケーブルの両端の、一方には大きな石が、もう一方にはテレビモニタが吊り下げられている。ふたつを支えるケーブルは天井の滑車を介して、ちょうど同じ重さで釣り合っている。テレビには、となりの石を固定カメラでとらえたライブ映像が写し出されており、あたかも「実物の石」と「テレビの中の石」が釣り合っているかのような印象を与える。という作品。
あくまでもテレビモニタの重さと石の重さが釣り合っているだけであるはずが、テレビモニタに石の映像が写し出されることによって、まるで石と映像の中の石が釣り合っているかのような印象を与えているのが面白い。
また、冷静に考えると、この作品によって「テレビモニタのほうが石よりも密度が低い(石よりも体積は大きいが重さは一緒)」という事実があらわになっており、その事実もまた意外に感じられて、テレビを重いものと思い込んでいた自分の認識に気付き、その点についても興味深く思えました。
ちょうど東京都現代美術館のMOTコレクション展で展示されていたナム・ジュン・パイクの作品のことを少し思い出しました。


"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"
C 高橋浩樹×村上雄大×白*欣宏×長島勇太×山下寿也「glide」 ビデオ
あたかも地面の大きな揺れでテーブルや椅子が床を滑って動き回っているかのような動きを再現した実写コマ撮りアニメーション。
再現があまりに忠実であるため、うっかり実際に家具が地面を滑っているかのような錯覚に陥るほど。下手をすると、コマ撮りの意図が伝わらない恐れがあるほど良くできている。
その懸念をクリアするためか、模型であらかじめ揺れによる家具の動きをシミュレートし、なおかつ、その実験の映像をコマ撮り映像の前に付加したことで意図が伝わりやすくなっているのが心憎い。秀逸だと思います。

D 深尾大樹×安西剛×柿沼緑「影」
テーブルに置かれている扇子が、手の影によって持ち上げられ、裏返しにされてゆくさまを表現した実写コマ撮りアニメーション。

E 牛腸卓人×森脇統×玄宇民「stick」
複数散らばって並ぶ缶の間を、ひとつの缶がジグザグに通り抜けてゆく様子を写した実写コマ撮りアニメーション。

F 田中麻里奈×三上亮×島本塁「ノート/シャツ」
巨大な手が指先でノートやシャツを弄ぶ様子を表現した実写コマ撮りアニメーション。

"おもしろさの蒐集"
G 高橋浩樹「Agent R」 ビデオインスタレーション
モニタ前のテーブルにRollyが置かれており、モニタに写し出される映像の中の人物の動きに合わせてRollyが動くことにより、あたかもRollyが人物の依り代になったかのような効果を生じる。という作品。映像の人物とRollyの動きが同期していることをいったん認知すると、画面上から人物が消えても、Rollyの動きがその人物の動きを引き続き担って再現しているのだと疑いなく認識してしまうのが興味深い。
人物の動きを担う「動く物体」が人間とはかけ離れたものであればあるほど面白いのではないかと何となく感じました。人物の動きを担っていると認識されるための境界はどこにあるのか、どこまでかけはなれると人物との関係性を感じ取れなくなってしまうのか、あるいは単に、同期する動きや音に対して関係性を感じ取っているのか、音を動きと関連づけて音だけで人物の動きを想起させることは可能なのか、等、様々なことを考えさせられました。実験・追求して行ったら非常に面白いテーマだと思います。

H 柿沼緑×森脇統「トーンネル」 インスタレーション
「音が光となってトンネルを抜けてゆく」様子を表現した作品。
直径15mmほど、長さ1mほどの透明なダクトが胸の高さで水平に吊られている。ダクトは緩やかなU字を描いてカーブしており、両端の開口部には金網が取り付けられている。左側の管端へ向かって声を吹き込むと、声が移動しているかのようにダクト内部のLEDが順繰りに白く光り、反対側の端へ向かって光がダクト内を伝ってゆく。光が管端へ到達すると、さきほど反対側から吹き込んだ声がそこで再生される。
声を吹き込んでからダクトの中間地点に手をかざすと、そこに光がとどまり、かざした手を離すまで「声を捕まえておく」ことができる。また、ダクト内を伝う「声」の移動速度は音量に比例し、大きさの違う声を吹き込んだ後にそれらの「声」を捕まえると、「声」を解放したときに大きい声が先に、小さい声が後になって再生される。
本来一定であるはずの音の速度が、このシステムにおいては音量に比例しているという点が面白いと感じました。大きい声ほど速く進むということは物理法則には反しますが、なぜだか直感的に違和感無く受け入れられるのは、声を発する行為があたかも物を投げる時のような行為と重複して感じられ、「力一杯投げる=力一杯大声を出す」という身体感覚に即して人間側が無意識的に理解してしまうからなのではないかと思えます。作品を理解するときに発生する認識に、物理法則よりも身体感覚を優先させたルールがはたらいているようで非常に興味深く思えました。


"ウズウズの言語化"
I 島本塁「飛び出すサーキット」 映像
二つのモニタが160°ほどの角度で二つ並んでいる。画面には小さな木材がレースカーのように爆音を上げながら動いている様子が映し出されており、木材カーは左のモニタでは奥から手前に向かって、右のモニタでは手前から奥に向かって動いてゆく。左の奥からやってきた木材カーはブゥン!という音をあげながら、いったん画面からフレームアウトしたかと思うと、すぐさま右側画面に現れ、奥へと走り去って見えなくなる。かと思うと、今度は左側画面奥からふたたび木材カーがやってきて同じ映像サイクルを繰り返す。
映像と音の効果により、あたかも木材カーが画面から飛び出してサーキットをぐるぐる回っているかのような印象を与える、という作品。
実際には飛び出してもいないし、木材は車とは似ても似つかない簡素な端材なのですが、まさに「飛び出す」「サーキット」にしか見えない点がすごい。シンプルながら秀逸な映像作品だと思いました。


・桐山孝司 特別演習
開発言語であるprocessing, arduino, xbee というシステムを使って、遠隔操作や応答システムを利用した作品を作る、という演習課題の成果作品群。

"processing, arduino, xbee を使って作る"
A 田中麻里奈「はこ」 インスタレーション
台の上に手のひらサイズの木箱が置かれており、手にとってみると、箱から細かい振動と声が出て反応する、という作品。
中に何かの生き物が入っているようで微笑ましい。

B 安西剛「スズメと友達になる」 ビデオ
超小型の車載カメラがスズメのいる方向へむかってゆく様子を、カメラとスズメを俯瞰した映像と車載カメラ自身の映像とを交えてつないだビデオ作品。
意図していた効果か否かは不明だが、友達になると称しつつ、非常に怪しいマシンがスズメの群に向かってゆく様子と、当のスズメが不審がって迷惑そうに少しづつ逃げてゆく様子が何とも悲しく可笑しい。

C 高橋浩樹「わたしからあなたへ」 インスタレーション
スピーカーに耳をあてるという行為を介して、鑑賞者が見ている側の音声だけを切り替え再生する機構を提示した作品。
二つのモニタを挟んでマイクのように長い管が設置されており、その管へ耳をあてると、右耳だと左側のモニタが、左耳だと右側のモニタが目に入るようになっていて、目に入った側の音声が管から聞こえてくる。モニタには歌(「わたしからあなたへ」の曲)を歌う男女二名の姿が映し出されており、二人は歌いながら左右のモニタを行き来する。移動する人物を追って左右交互に耳をあてると、鑑賞者が見ている側のモニタの音声だけが聞こえてくることが知れる。
顔認識による切り替えであろうが、耳を介したスイッチングになっているように感じられるのがおもしろい。
試していて機構に気づいたときには純粋に驚かされました。様々な応用が期待できそうで、今後どのように進化してゆくのか楽しみです。

D 三上亮「コーン」 ビデオ
下部に小型の自走車を仕込んだ赤いパイルコーンが、じりじりと動いてゆく様子を提示した映像作品。
本来の場所から少しづつ動き、赤いコーンが徐々に日常を逸脱してゆく様子と、その様子になかなか気づかない通行人との対比が見ていて興味深く感じました。例外的に、動く歩道に乗っていた老婦人が動くコーンに気付き、連れの男性に「発見」を伝えていたのがこれまた印象的に思えました。
それとわかって見ていれば気付かない方がおかしいようにも思えますが、実際は、少しづつ動くものや、「動くはずないもの」については、人間は動いている事実を認識し難いものなのだと実感させられたような気がします。


・桂英史 特別演習
自らの身体を使った表現を通じて、表現・記録行為をとらえなおすという課題制作の成果作品群。
"ダンス"、"ツアーパフォーマンス"、の2テーマによる。

"ダンス"上映
ボールやロープなどを使用した身体表現映像作成を試みたグループワーク作品。

A 柿沼×深尾×森脇「ikiki」
 ボールがテーマ。寝そべった3人の人物が縦列し、身体をレールのように利用しながらボールを転がしたり足で挟んで受け渡したりする様子を写した映像。街中で展開するボールの行き来が印象深い。

 村上×山下「睡眠」
 薄暗いスタジオで男性が横たわっている様子を映した映像。詳細失念。
 意図がうまく汲み取れず。残念。

 安西×田中×白*「以心伝心」
 ロープがテーマ。ロープを持った一人がそれを振り回しながら踊ると、遠く離れた場所にいるメンバーが、ロープの動きを引き継ぎつつ架空のロープを振り回しながら踊る。その動きがさらに別のメンバーへと引き継がれてゆく、という映像。
 実体のない「ロープ」というモノの概念がたしかに受け渡されてゆく様子が秀逸だと思いました。街中で果敢なパフォーマンスに挑んでいる様子と、通行人の狐につままれたような様子との対比も、何とも可笑しく印象深い。

 島本×牛腸×三上「HAKO」
 露出オーバーでホワイトアウトした映像の中で、数個の黒い箱が上下左右に激しく動いている。その動きはいずれも落下しているかのような勢いであるため、重力方向がどちらであるのか、判別できず戸惑いを覚える。しかし最後に露出が適正化されると、全身白タイツに身を包んだ人物たちが現れ、その実は、ホワイトアウトした中に人が紛れて箱を縦横に動かしていたことが知れる、という映像作品。
 独特の空気。荒々しくもどこかとぼけた味わいに思えました。人物たちがそそくさと帰ってゆく最後もユーモラス。


 高橋×玄×長島「Slowly Box」
背中を丸めて大きな箱を背負った人物が闇に沈む廊下をゆっくりと歩いてゆく様子を映した映像。
 歩いているのが人間と箱ではなく、何か別の生き物のように感じられるように思いました。直接は関係ありませんが、昔のマペット映画「ダーク・クリスタル」に出てくる生き物たちのことを何故か思い出しました。

"ツアー・パフォーマンス"上映/実演
B 田中麻里奈×山下寿也×長島勇太「おじいちゃん忘れないよツアー in 伊勢佐木町モール」
 実在の商店街をナビゲートするツアー音声ガイドを作成し、そのガイドたよりに商店街ツアーを実践した模様を、記録写真とガイド音声とともに提示したドキュメント映像。
 商店街ツアーというのが非常に面白い試みだと思いました。「場」や「土地」とそこに暮らす人々の記録を重ね合わせることではじめて露呈する何らかの心象を見事に再現しているようで興味深い。大きな可能性を持った手法だと思います。ポッドキャスティングと組み合わせれば、過疎の地や田舎の町おこしにも応用できるのではないか等いろいろ夢想してしまいました。

C 高橋浩樹×島本塁×玄宇民×安西剛「YES'89」
 26日のみの上演。前述の手法により作成したツアーに鑑賞者自らが参加する企画。
 日程が合わず体験できず。非常に残念。


・藤幡正樹 特別演習
映像原理においてカメラの原型となる装置"カメラ・オブスクーラ"を自作し、そのスクリーンに映る映像をビデをカメラに収めることにより、映像を記録する行為をとらえなおす、という演習課題の成果作品群。

"カメラ・オブスクーラにビデオをつける"
A "カメラ・オブスクーラを作る"
 カメラ・オブスクーラ(カメラの原形。ピンホールカメラの原理を用い、黒い箱とレンズ等を使用した、風景を映し出す装置。)をさまざまに応用した「見る装置」を作成し、その現物を展示したもの。
 映し出される風景を分割したり、方向を変えたり、ズーム倍率の異なる風景を同時に提示したり、像をゆがませたり、等、光学原理を利用しながら様々な発想の元に作成された"カメラ・オブスクーラ"たちがとても面白い。実際に手にとって外の風景を眺めることもでき、体験することで視覚や映像、像を結ぶ光の原理について考えさせられました。
 また、後述の、これら装置を使って撮影した映像を見てから再度手に取って見ることで装置特性への理解が深まるようになっており、関心しました。

B "風景撮影(固定カメラ・無声)"上映
 作成した"カメラ・オブスクーラ"をビデオカメラに接続して撮影した映像のうち、固定カメラでかつ無声の映像を上映したもの。いずれも、レンズを通した像は箱の中でトレース紙に投影されるため、得られる映像は淡く柔らかい独特の雰囲気を感じさせるものとなっている。

 牛腸卓人「観覧車」
  みなとみらい地区の観覧車を遠写しにしたもの。

 長島勇太「トレイン」
  電車を映した映像。映像方向が二分割され、それぞれ左右が入れ替わっているため不可思議な視覚効果が得られる。

 深尾大樹「部屋1」
  田の字に4分割された画面にそれぞれズーム倍率の異なった像として映像が映し出される。駅のコンコースを映した映像。
 島本塁「サークル・ウォーク」
  新港地区の環状歩道橋を映した映像。
 村上雄大「動く歩道」
      「メリーゴーランド」
  別の方向をとらえた像が左右に並んで映し出されるカメラを用い、動く歩道とメリーゴーランドを映した映像。

C "人物撮影(無声)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、人物を無声で撮影した映像作品。

  三上亮「段ボール」
   ひとつの大きな段ボールを数名で頭からかぶったまま移動する様子をとらえた映像。
  玄宇民「アクシデント」
   うろ覚え。車と自転車の接触を描いた映像だったか?
  牛腸卓人「スクロール」
   左へ左へとスクロールする映像の中を次から次へと人物が先回りして追いかけてゆく様子を映した映像。
  村上雄大「internal」
   
  長島勇太「追跡」
   90°ずれた視界がとなり合って並ぶ映像を得られるカメラ・オブスクーラを用い、足元と進行方向とを上下二分割された視界に映し出しながら、被写体人物(後ろを振り返りつつ前を歩いている)を撮影者が追っている様子を記録した映像。追う人物の足元(=迫る人間の足取り)と追われる人物の背中(=逃げる人間の歩み)が並んで映し出される格好となり、結果的に非常にドラマチックな映像効果を生んでいるのがとても面白いと感じました。
  柿沼緑「花」
   視界が扇形にゆがむカメラ・オブスクーラを用い、自転車に乗ってやってきた人物が足元に花を置いて去る様子を記録した映像。
  深尾大樹「部屋2」
   「部屋1」で使用した4分割カメラを用い、部屋で掃除機をかける人物の遠景近景を並んで映し出した映像。別々のズーム倍率が隣合って併存することで、まるで多面的に情景をとらえているかのような印象を生んでいるようで興味深い。とても面白い映像だと思いました。
  安西剛「MIDORI」
   カメラ・オブスクーラを通して人物を映すとともに、カメラを通さない外界も同時に映し出した映像。
  島本塁「サークル・ラン」
   「サークル・ウォーク」と同じ定点で人物をとらえた映像。新記録に挑戦するスポーツ選手のようにインタビューに応じている(と思われる)人物が、環状歩道橋を一周してゴールインする様子を映したもの。ゴール時に、通行人にゴールテープを持ってもらってゴールインしているのが何とも微笑ましい。
  山下寿也「走れ」(カメラ・オブスクーラの実物展示)
   学内の敷地を全力疾走している人物を映しだしたテレビモニタが、一台のカメラ・オブスクーラで覗き込めるように設置されている。
 
D "人物撮影(ナレーションのみ)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、辞書の記述を読み上げた音声を付加した映像作品。
  牛腸卓人×高橋浩樹「ことばあそび」
   焦点深度が浅い接写映像で前進しながら「こねこ→こんぶ→ぶんぐ→ぐんて」のオブジェを、後退しながら「てんぐ→ぐんぶ→ぶんこ→こねこ」のオブジェを映し出した作品。
 淡く滲んだ視界の中に物体が現れては過ぎてゆく様子と、辞書の記述が読み上げられながら、言葉と映像がじつは進んで戻るしりとりになっている様子が面白い。

  柿沼緑×島本塁「やもめ」
   洗濯を干す男性と、旅行カバンを手に引いて道を歩く女性とを順繰りに映し出した作品。洗濯、しわ、道、などの辞書記述が読み上げられるが、言葉の意味と使用例文が映像に新たな文脈を付与するようで興味深い。

  安西剛×玄宇民「手紙」
   集合住宅の郵便受けに封書が投函されており、中を開くとひとつの図形(異国の文字)が書かれている。街のあちこちに同様の図形が散在している様子が描かれ、最後にアーリア人種とおぼしき人物が異国語(ヒンディー語?)で何らかの言葉を述べ、さきほどの図形が文字であったと窺い知れる、という映像作品。


 いろいろな手法や着眼点で提示された作品群は、それぞれ様々な方向性を持ち、いずれも既存の枠組みでは形容し難い特性を有しているようで、見ていてたいへん楽しく、またエキサイティングな体験をさせていただきました。
 「今まで見たこともない面白い何か」との出会いを求めて毎回足を運んでいるこの展示ですが、今回も期待に違わぬ多くのものを拝見することができました。今回提示された14人の手による様々な表現の種が、今後どんな作家性やテーマを獲得しつつ進化してゆくのか非常に楽しみです。


本当はこの後、森美術館の「アイ・ウェイウェイ 何に依って」を観にいこうともくろんでいたのですが、うっかり時間を見誤り、未遂に終わりました。
夜行バス0泊3日。過去の反省を活かし、早朝に某スパでリフレッシュしてからの活動。ゆっくりペースで回ったため、幸い二日間は体調を崩すこともなく過ごせましたが、後日あえなく風邪によりノックダウン。
おかげで感想メモがすっかり遅くなってしまいました。
免疫がおかしいのか、すぐに熱を出してしまうのが困りもの。もう少し丈夫になりたいものです。


東京遠征7/19。(ICC常設展、キッズプログラム「たのしむ ∩ まなぶ」、東京オペラシティーアート

2009-07-21 02:23:41 | アートなど
翌7月19日は、東京で2つの展示を観て参りました。
以下ざっくりメモ。

・新宿初台 インター・コミュニケーション・センター(ICC)
ICCの2009年度展示と、毎年恒例のキッズプログラムを観に足を運びました。
事前にほとんど内容を調べて行かなかったのですが、行ってみると芸大メディア映像専攻1期生の方々の作品があって嬉しいびっくり。
しかもたまたまワークショップが開催されていたらしく、当のご本人お一人とばったり出会って驚きました。ご活躍されている様子が喜ばしいです。
「オープン・スペース 2009」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Openspace2009/index_j.html
昨年度の内容から6割程度の大幅な展示替え。JODI氏の《My%20Desktop OSX10.4》や浅野耕平氏の《Lines》が印象深い。
「2009 プレイフル・ラーニング たのしむ ∩ まなぶ」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Kidsprogram2009/index_j.html
私が訪れた際には人の入りはそれほどではなく、ゆっくり観ることができました。家族連れが多く見られたのがキッズプログラムならではかと。ギリシア神話のモチーフをドット絵で広大な画面に展開させた重田氏の「ロウビジョン」が楽しい。つい長時間見入ってしまいました。同氏の「ファイブマン」には氏の終了制作「ルールする運動」の技術が活きているようで見ながら感心してしまいました。多数作家が共同制作した動きの連鎖を見せる作品もなかなか面白い。特別展示としてのボリュームは少なめですが、奥に設置されたスロープの上から会場内を眺めるのがなかなか楽しく思えました。
「エマージェンシーズ!011 佐藤哲至+坂本洋一」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Openspace2009/Works/blank_j.html
2006年のOPEN STUDIO Vol.2で原型を拝見した《blank》がICC用に再構成されていて感慨深いものを感じました。より精緻に、より洗練された展示になっていたのが印象的。

・東京オペラシティアートギャラリー「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」
http://www.operacity.jp/ag/exh108/
絵画、立体、インスタレーション等多様なメディアで圧倒的な存在感を示す作品を発表している鴻池朋子の大規模個展。
作家個人を地球になぞらえ、展覧会を作家世界へと降りて行く地中への旅として位置づけた展示構成が非常に面白い。
作品含め、展示会場すべてがとにかく圧巻。作品世界がそのまま神話的表現性を帯びるのみならず、展示空間も各国の神話に登場する「内なる世界への旅」をなぞっているようで、すべてにおいて神話的世界の構築に成功している驚くべき展覧会だと思いました。
生涯印象に残りそうな企画展。可能であればぜひもう一度足を運びたいものです。


両日とも大事を取って午後から動き始めたため、全体的に時間が足りない感があったのが残念なところ。
東京都現代美術館のジャイアントトらやんや森美術館の展示などを含め、ぜひともリベンジを果たしたいところです。


横浜遠征7/18。(横浜開港博、東京芸大大学院映像研究科メディア映像専攻「OPEN STUDIO 2009」

2009-07-21 02:15:03 | アートなど
久々の単独遠征。メインは恒例となっている東京芸術大学大学院映像研究科のメディア映像専攻展示「OPEN STUDIO」。その他もろもろを組み合わせての遠征です。
今回の「OPEN STUDIO」は二部構成。修士2年(3期生)の習作展示である前半3日(7月18日~20日)と、修士1年(4期生)の課題制作展示である後半3日(7月24日~26日)に会期が分かたれています。
この日は前半、3期生の習作展示を拝見しました。
前回の「MediaPlactice'08-'09」(2期生卒業制作展示、3期生習作展示、卒業生作品展示を兼ねた展示)では作品数が盛りだくさんであったり、体調を崩したりで感想メモが追いつかなかった反省から、まずはざっくり雑感メモを上げてしまいます。

1 深石圭佑氏:「画面出来事の途中」映像作品。
映像に写された被写体の主観・変化がそのまま写している側であるところの映像自体に反映される、という映像作品のシリーズ。 
めがね(近眼)、のこぎり、寝息(部屋、棟)、お湯、たばこ、伝言、耳、目隠し、など。
印象に残っているのが3つ。
・本を読んでいる人物がメガネを外すと、カメラがメガネを外したかのように映像のピントがぼやける。いわば映像の近眼。
・給湯栓から出ているお湯にかざした手がお湯に触れると、脊髄反射で手が引っ込められるのと同時に映像自体がビクっと収縮する。いわば映像の脊髄反射。
・目隠しをされた人物を写している映像。人物が目隠しを外すと、カメラがまぶしがっているように画面がホワイトアウトし、やがて徐々に適正な明るさに戻ってゆく。いわば映像の明順応。
人間の身体特性を映像主体に組み込んだ表現が面白く感じられました。お湯の脊髄反射的映像が好きです。

2 井上泰一氏:「三味線」 インスツルメント作品
 天井から三本のベルトで吊られた電動ドリルを、3Dマウスによって実空間上で操作する、という作品。1月の前作がブラッシュアップされ、操作精度が増した反面、静的な作品に仕上がっていたのが個人的には残念。可能性を感じさせるモチーフであるだけに、エネルギッシュである意味野放図な動的作用と工学制御とのせめぎ合いの中から今後どのような跳躍を遂げてくれるのかが非常に楽しみです。

3 細谷宏昌氏:「脈相」 インスタレーション
 調整中。残念。

4 内村真似子氏:「m a z e」 ビデオインスタレーション
別々の5つのアングルから撮影された、油性ペンで迷路を描く手の映像が、壁に配置された5つの小さなディスプレイで同時に再生されている。
本来、多角的視点は物事や現象の理解を増すはずであるが、その多角的視点が整理なく並列的に提示されることで、かえって現象の把握を混乱させ、物事の理解を難しくしてしまう様子が面白く感じられました。いっけん関連が不明確な5つの映像を同じものだと認識させるためには音が非常に重要な役割を担っているように思え、それも面白く感じました。配置されたディスプレイから垂れて伸びる配線や基盤が剥き出しになっている様子も作品を構成する重要な要素のように思えました。

5 坂本雄祐氏:「rut」 インスタレーション
会場の一角がモニタされており、始点となるフィールドから終点となるフィールドまで鑑賞者の動いた軌跡が自動的にプロットされ、その動線が重層されてゆくシステム。終点フィールドにはモニタ内容を表示したディスプレイと、鑑賞者の動線をプリントアウトするプリンタが設置されており、鑑賞者は、他の鑑賞者たちが通った軌跡の履歴と最新鑑賞者である自分の歩いてきた軌跡を視覚的に比較・確認することになる。
行動履歴の記録であると同時に、他者の痕跡と自らを比較する装置となっているのも面白いと思いました。フィールドの始点と終点が決まっているため、そのフィールドにうまく入らず経路認識されない場合があるのが少々惜しいなと感じました。どのような方向へ発展するのか興味深いところです。

6 荻原美帆氏:「終了展のための習作」 アニメーション
少女と書物・眠りを巡るアニメーションの習作断片。全体の中でどのような位置づけとなる場面なのかが興味を引くところ。

7 姜 旻亨氏:「Sightseeing II」 ドキュメント
港公園内にベンチとオブジェから成る仮設の「撮影ポイント」を設置し、そのポイントに対峙する人々の様子を記録した実験的ドキュメント映像。
設置した「撮影ポイント」が無許可設置物として港湾管理行政の人々に撤去されるまでをとらえた映像であるが、行政の証拠保全行為としての撮影行為が、そのまま別の意味を付与されてしまっているのが強烈に笑可しい。痛快。傍らに使用許可申請書が展示してあるのもまた笑可しい。強権を発動しているはずの撤去行為であるが、見れば見るほど撤去に携わる職員たちがチャーミングに思えてくる。
とても好きな作品です。

8 細谷宏昌氏:「Thinker」 インスタレーション
黒いテーブルの上に置かれた3つの黒い電球。その電球の影の中に明かりが明滅する、という作品。


9 伊藤渉氏:「Storytelling」 ビデオインスタレーション
4つのモニタが背中合わせに配置されており、それぞれ別の映像が流れている。映像に合わせて、手相の解説をしている占い師との会話が流れる。占いとは無関係なはずの、しかしどこか微妙に通じる部分のある「線」にまつわる映像が示されることで、音声は同じであるはずが、4つの映像でそれぞれ異なった印象が立ち上がる。
印象が映像に引きずられてしまう、という現象が新鮮に感じられました。もともとなににでも当てはまって聞こえる占い、という音声素材を、壁のひび=線や、地図上の道や川=線、文字や家系=線、麺(?)、といった映像と重層させて、無理矢理な関係性を付与してしまっているのがとても面白く感じられました。いわば、映像のバーナム効果、とでもいったところでしょうか。そんな中にあって、麺だけが関係性の付与を受け付けていないらしき様子がまた面白い。無理矢理与えた関係性が成り立つかどうかの境界はどこにあるのか、そんなことを考えさせられました。

10 荒木悠:「Deep Search」 ビデオインスタレーション
作家が自ら飲み込んだ人形が、胃内から内視鏡鉗子で摘出される様子を映した内視鏡記録映像を、効果音とともに壁へ投影した作品。
捨て身の、というべきか、自らの内部を物理的に探査するという生命に直結する直裁な手法を用いているだけに、結果的に非常に強烈な表現となっているように思われました。ともすればグロテスクに終始してしまいかねない内容ですが、膝を抱えて座っている人形の形態が別方向への意味を付加し、奥行きのある表現へと導いていたように思えます。奥深くで孤独に沈思する人間のイメージや、物語に登場する鯨に飲まれた人間のイメージを連想しました。印象深い作品です。

11 櫻庭芽生夢氏:「物語の断片」 映像
断片化された映像の小さなフレームを移動させながら重積し、断続したイメージやモチーフの断片から独特の手法で物語を紡いでゆく作品。物語に登場する文筆家と彼自身の物語、そして文筆家の紡ぐ物語が断片化によって錯綜しながら提示されてゆく。断片化されたモチーフを鑑賞者が再構成しながら解釈するトリッキーな内容だと思われました。優れた脚本による芝居の舞台を彷彿とさせる作品のように思えます。

12 田村友一郎氏:「驚異の部屋」 インスタレーション
世界の標本箱に仮託して、収集し観察する側と観察される側の逆転構造を示した大がかりな作品。窓辺に据えられた大きなディスプレイにライブカメラで写したとおぼしきホテルの一室の映像が流れている。傍らの窓からは外へ出られるようになっており、外には立ち位置を示した足型のペイントと、柵に無造作に掛けられた大きな双眼鏡が見てとれる。鑑賞者は双眼鏡を手に取って立ち位置から対岸にあるインターコンチネンタルホテルを眺め、ディスプレイに映っていた部屋を探す。眺め終わって振り返ると、窓のこちら側にホテルの一室を図示した紙が貼られており、そこには「○○○○号室、写真をお渡しします。」と書かれ、ホテルを観察していた鑑賞者こそが逆に観察撮影される側であったことが示される。
この専攻を今まで見てきた中で最も大掛かりな作品です。いっけん見た目は簡素ながら、その実は展示会場という枠を大きく越えて広がる作品世界に思わずニヤリとしてしまいました。前作「Coney Island」を承継しつつ、その作品スケールを軽々と飛び越えてしまった手腕に脱帽。直接は関係ありませんが、池水慶一の「猫はどこへいった?」を思い出しました。
鑑賞者が実際に訊ねて行って写真を受け取ってこそ作品が完成するのではないかとも思え、作品の維持管理運営ハードルの高さが想像されます。果敢な試みに敬意を感じました。


それぞれさまざまな方向性を持った作品が揃っていて楽しめました。3期生の方々の個性に期待するとともに、終了制作へどのようにつながってゆくのか、どんな驚きを提示してくれるのかが楽しみです。




豊田市遠征4/11。(豊田市美術館「ヤノベケンジ - ウルトラ」展、トークイベント「討議、ヤノベケン

2009-04-13 00:35:19 | アートなど
Ultra

長らく滞っておりましたが、久々の更新。

1月には東京芸大大学院映像研究科メディア映像専攻の「media practice 08-09」や上野の森美術館の「レオナール・フジタ展」、日比谷パティオの「テオ・ヤンセン展」などにも行っていたのですが、多忙すぎたり2月に倒れたりなんだりしている間にすっかり季節が変わってしまいました。

久々の遠征、今回の目的は、愛知県にある豊田市美術館の企画展「ヤノベケンジ - ウルトラ」展と、関連トークイベントです。
この企画展は、ヤノベケンジ氏の巨大新作「ウルトラ 黒い太陽」を中心に据えたもの。それに加え、展覧会初日の11日はヤノベケンジ氏と縁の深い美術評論家やキュレーターを交えたトークイベントが開催されるというので、ぜひにと足を運びました。
体調が不安だったため、今回は付き添いつきの遠征でしたが、そこまでしてでも行ってよかったと思わせられるような、たいへん印象深い体験となりました。

ヤノベケンジ氏は現代美術作家として知られる造形家で、タンキングマシーンやアトムスーツプロジェクト、近年では「トらやん」を取り巻く諸作品が有名です。つい最近も六本木ヒルズで、巨大なロボット型作品「ジャイアント・トらやん」が火を噴くイベントがあったことをご存じの方も多いかもしれません。
私は、2007年にたまたま東京都現代美術館の常設展で目にした「太陽の塔乗っ取り計画」のビデオで氏に興味を持ち、霧島アートの森で開催された企画展「トらやんの世界」に足を運んだ際、作家自らのギャラリーツアーでその作品世界にノックアウトされてしまったという経緯があり、それ以来、氏の活動には大きな興味を向けておりました。しかし、それ以降氏の展示スケジュールとはなかなかタイミングが合わず、いろいろ見逃して悔しく思っていた中、今回の企画展はまさに朗報。しかも会場は、2005年の企画展「キンダガルテン」を開催した豊田市美術館。嫌が応にも期待は高まります。こうなればもう行かない手はありません。

展覧会の構成は、氏の過去作品経緯と近年作をキーワードごとに紹介する3ブース、そして新作「ウルトラ 黒い太陽」を据えた巨大な空間、さらに、別室として過去のドキュメント映像等を上映する会場と鑑賞者参加型壁画がある程度で、正直それほど大きなボリュームはありません。
しかしながら、1時間ごとに稼働する「ウルトラ 黒い太陽」のインパクトが絶大で、これだけでも充分見る価値のある内容なのではないかと、個人的にはそう思えました。
昨年各地でぽつぽつと展示されていた「宮の森の白い象」や「ファンタスマゴリア」の実物が見られた感動もさることながら、それらを抑えて「ウルトラ 黒い太陽」ですべてが頭の中から吹き飛んでしまったかのような印象です。

「ウルトラ 黒い太陽」は、大きな黒い突起を持った巨大な鉄の球体作品です。中空で、放散虫やウイルスのようなモジュール構造を持ち、ところどころに直径1メートルほどの円形の穴が開いています。球体の下側4分の1程度が切り取られた形となって、水の張られたフィールドに設置されており、それが、あたかも水の中に浮かんでいるかのような視覚効果を生みだしています。球体の中心にはテスラコイルという高電圧発生装置があり、稼働すると、そこから球体の殻に向けて雷のような放電光が炸裂します。
稼働時には照明が落とされ、大きな重低音が流れる中、コイルの発する高周波と放電時の炸裂音が強烈に響き、見る者に鮮烈なインパクトを与えます。

作品を体験した感想としては、まず、「とんでもないものを見てしまった」という感覚が先立ちました。不安を呼び覚ますような、どこか凶々しい印象を与える一方で、とてつもないエネルギーと超越的な物理作用、自然力を提示されたようで、また、恐ろしいとともに純粋に圧倒的な美も感じられ、目を離すことができなくなる、そんな感覚を惹起させられました。雷を見ているときの感覚に限りなく近いような気もしますが、それよりももっと見る者の根源的な何かをえぐる体験のように思えます。見ていて、そしてその後もしばらく動悸がおさまりませんでした。
後述するトークイベントでも話題に上っていたように、私もこの作品を見て、今までの氏の作品とは異質な何かを感じました。しかしながら、論客の椹木氏や天野氏が述べていた解釈とはまた異なり、自分なりに冷静になって考えると、強烈に感じたのが、この作品はモノでありながらモノを提示していないのだ、ということです。今まで、氏の作品は物体を拠り所にしてそのモノの動きや存在によって何かを提示してきたのではないかと思うのですが、今回の「ウルトラ 黒い太陽」は、物体としての作品ではなく、作品が媒介する『現象』によって何らかを提示しているように思えます。作品が稼働するとき、作品は消え、代わりに作品の引き起こす現象がすべてを担っているのではないか、そんなふうに思えて仕方ありません。
また一方で、今作はある意味で実験装置のようでもあり、形態や意味付けは全く異なりますが、私はなぜかCRENの大型ハドロン加速器実験装置のことを思い出しました。
科学者、特に物理屋さんや機械屋さんにはぜひとも見てもらいたい作品かもしれません。


トークイベントは、今まで数多く見て来たトークイベントの中でも、ちょっと変わった形式のものでした。
「討議、ヤノベケンジ」と題した内容で、美術評論家椹木氏とキュレーター天野氏、今企画展の世話役ツヅク氏がヤノベケンジ氏を囲んで「ヤノベケンジ」について語る、というコンセプトのもとに進行開始されたのですが、しかしながら当のヤノベケンジ氏自身がヤノベケンジについて討議するというのもおかしな話だ、ということになり、椹木氏と天野氏の提案により、矢延憲司が論者のひとりとして第三者のヤノベケンジを語る、という形式をとることに。第三者的に「彼は・・・」「ヤノベさんは・・・」と語り始めながらつい途中から一人称になってしまって自らに突っ込みを入れるヤノベケンジ氏が可笑しくて、ついついつられ笑いをすること多々。気鋭の論者がヤノベケンジ論を展開する中、時折爆笑が沸き起こるという、不思議なトーク空間でした。
興味深い論も多く、いろいろメモを取って来たので概要をまとめたいところではありますが、時間がないのでまずは雑感のみを。

まず印象に残っているのが、豊田市美術館のツヅク氏から語られた今回の展示企画の経緯です。
利用者から絶大なリクエストがあり、たった4年という短い期間を経て再度展示を行うことになったものの、当初は小規模なコーナー展示のみとして企画されていたこと。そこへ降って湧いたような経済危機により、大型企画展の予定が流れて会場が空いてしまい、それを機に今回の規模での企画展に向けて話が動き出したこと。しかし、予算は当初のまま据え置きだったこと。その他、多くの奇跡が積み重なって実現した企画展であること。
企画側の当事者として語るツヅク氏がしきりに『ヤノベさんと仕事をしていると不思議なことが起こるんですよ』と繰り返していたのが印象的でした。

また、ヤノベケンジ氏が語っていた『作家自らが物語との符丁という意味付けを与えて自作について語りすぎることによって作品の解釈の幅を狭めてしまっていたのではないかという危惧を抱いている』という話、そして、あれこれ解釈を展開してゆく論者の中にあって『あまり考えて作っていないですよ』と言い切った氏の言葉も印象的でした。
氏の制作活動は、神話を作り出しつつそれを具現化しているかのような作業という一面を持っているわけですが、その一方で、作り出してしまったものを後づけで物語に当てはめてゆく作業も伴っているのだということを、この言葉は裏付けていることになります。私は個人的に、偉大な作品の核は『降ってくる』ものだと考えているので、この話題には改めて納得させられました。おそらく、氏は降ってきた核からの演繹と帰納を繰り返して作品世界を発展させているのではないかと推察するところです。

もうひとつ印象的だったのが『元々お笑い好きのような性格なのに、チェルノブイリ(アトムスーツプロジェクト)などは深刻過ぎてしんどかった。そこへきて、トらやんはストレス解消だったのかもしれない』『だって、美術評論家がトらやんを語っている状況なんて考えただけでも可笑しいじゃないですか』と語ったヤノベケンジ氏の言葉と、『美術評論家は何故か誰もトらやんを語ろうとしない、なんでなんでしょう?』という氏の疑問に対し『皆それを何となく察知して恐くて触れられなかったんじゃないですか?』と返した椹木氏の言葉です。
このやりとりを聞いて、トらやんが現代美術というジャンルを超えて多くの人に愛されている訳や、自分がトらやんに惹かれた理由に思い当たり、妙に腑に落ちた気分になりました。
おそらく、私がトらやんに惹かれるのは、大王こと後藤ひろひと氏の作品に惹かれるのと同質の理由に依るものと思われます。話は飛躍しますが、ヤノベケンジ氏と後藤ひろひと氏を出会わせてみたらどのようなことが起こるか非常に興味のあるところです。
(時間があったら書き足します)


いろいろ書きましたが、強調したいのはひとつ。
「ウルトラ 黒い太陽」は、見られる機会がありましたらぜひ見ておくべき作品かと。
おすすめです。
(ただし、ペースメーカー装着者は残念ながら見られませんのでご注意を。)

Toyotacitymuseum
豊田市美術館自体も面白い建築物でした。建築好きの方もぜひに。


行った催しメモ。(9月篇)

2008-10-06 23:55:16 | アートなど
おそろしいことに2週間ずっと風邪をひき続けているていたらく。
上げそびれないうちに、とりあえずちまちま書き留めた『行ったものメモ』を。

9月13日(土)
・日本科学未来館「インタラクティブ東京2008(i-Tokyo2008)
 ヴァーチャルリアリティ技術を扱う研究者たちの技術展示イベント。毎年楽しみに足を運んでいるもの。今年も目からウロコの技術展示が盛りだくさん。
・同「国際学生対抗ヴァーチャルリアリティコンテスト(IVRC)
 i-Tokyoと同時開催される学生限定コンテスト。荒削りだが思いもかけない展示を見せてくれるのが楽しい。
・同常設展
・ユナイテッドシネマ豊洲「パコと魔法の絵本
 後藤ひろひと氏(通称『大王』)原作の「ガマ王子VSザリガニ魔人」舞台を中島哲也監督が映画化したもの。大王の脚本をほぼそのまま活かしつつ、映画としての手法が遺憾なく発揮された良作。おすすめ。しかも老若男女に広くおすすめ。特にお子さんをお持ちの方はぜひご一緒に。大王作品好きはとりあえず観るべし。

9月14日(日)
IKEA船橋
 スウェーデンの家具メーカーIKEAの第1号店舗。南船橋駅至近。巨大な店舗内にリビングをそのまま再現してしまったショールームとセルフサービスの倉庫が一体となっていて衝撃的。商品の機能的かつ遊び心あふれるデザインと、合理的なフォルムが見ているだけで楽しい。家具店なのに素でアミューズメント。近くにあったら通いつめること間違い無し。仙台郊外(富谷あたり)にでも進出してくれないものか。

9月19日(金)
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 広島のカフェレストラン。「浮くカフェ」としての建築に惹かれて足を運んだが、出てくるデザートとコーヒーも絶品であった。今度訪れる機会があればぜひディナーを食したい。アストラムラインの毘沙門台駅から徒歩20分。きつい坂道が難点。行きはタクシー利用が吉かも。

・アステールプラザ「KKP#6 トライアンフ」
 小林賢太郎プロデュース公演第6弾。実験を試みているのは汲み取れるものの、作品としては残念な内容、というのが率直な感想。もしもこれをファンタジーと銘打つのであれば幻想文学への冒涜になりかねないかと。次作に期待。


9月20日(土)~22日(月)
香川県直島に2泊。
・家プロジェクト
・かふぇ「まるや」
・本村地区散策
 直島生協で買った白ぼうろが忘れ難い。本村港で見た魚の群れとイカ(!)も忘れ難い。
 捕まえたカニとトカゲも忘れ難い。
・地中美術館
 急な悪天候で、オープン・スカイから見た稲妻が忘れ難い。暗雲立ちこめ、光不足でまったく見えなかったモネの絵も逆に印象深い。地中美術館じゅうに反響していた雷鳴も忘れ難い。
・ベネッセハウスミュージアム
 不意の晴れ間をついて登ったOvalからの光景が忘れ難い。
・ナイトプログラム
・ビーチ散策
 干満の激しさに目からウロコ。調べて見ると、2メートル以上の潮位差があるらしい。おそるべし、瀬戸内。

 石井商店のアットホームかつゆるーいおもてなしが心地良い。
 ベネッセハウスの非日常的な宿泊空間も別種の心地良さがある。惜しむらくはテラスレストランのディナー。私のレストラン経験において最低から3本の指に入る残念なサービス内容であった。
 直島は、叶うならば定期的に訪れたい。

9月22日(月)
・丸亀市 猪熊弦一郎美術館「ピピロッティ・リスト:ゆうゆう
 現代美術作家ピピロッティ・リストの企画展。独特の挑発的感性に満ちた作品が印象的。


 とりあえず、概要だけ。時間があればちまちま書き足します。


加速器ラップ。

2008-09-11 22:23:07 | アートなど
他所の動画は滅多に貼らないのですが、これは『やられた!』と思ったのでメモ。

Large Hadron Rap
http://jp.youtube.com/watch?v=T3iryBLZCOQ

スイス(一部フランス)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を題材にしたラップ。
チープでお気楽なゆるーい雰囲気のわりに、歌詞がむしょうに的を射て科学的だったり、やけにリアルな現地人らしさにあふれていたり、科学CG満載だったり、と、謎めきつつぶっ飛んだ映像。
なんだこりゃ?と調べてみたら、加速器を建設した当のCERN(欧州合同原子核研究機構)がLHCのPRのために作った映像らしきことが判明。
生真面目に遊んでいる感が素敵です。
物理屋さんはこれだから面白い。
ビバ、科学者。



新潟遠征8/30(越後妻有アート祭2008)

2008-09-01 22:45:09 | アートなど
こちらもとりあえず観たものメモ。

・越後妻有アートの祭2008 南回りツアー
2年前の越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」が記憶に残る新潟十日町地方で、8月限定のアートツアーが開催されていると聞き、滑り込みで8月30日のツアーに参加いたしました。
ボルタンスキーの「最後の教室」をもう一度観たかったのが最大の動機。

 影ei/来し方行く先
 脱皮する家
 まつだい農舞台周辺
 城山里山アート
 森の学校キョロロ
 夢の家
 収穫の家
 最後の教室
 ポチョムキン
 再構築

 「再構築」が印象深い。
 ポチョムキンで見かけたたくさんのかえるたちもまた印象深い。

P1130790_2

来年のトリエンナーレ2009ではさらに100作品以上が増えるとのこと。
期待が膨らみます。


東京遠征7/29。(東京都写真美術館「液晶絵画」、バーティンスキー「いま ここにある風景」)

2008-09-01 21:45:13 | アートなど
先日7月29日(金)は、東京出張のついでに1つの展示と1つの映画を見て参りました。
とりあえず項目だけメモ。

・東京都写真美術館「スティル/モーション 液晶絵画

・バーティンスキー「いま ここにある風景

「いま ここにある風景」は殊に圧巻。観られる機会のある方はぜひ。必見。
詳細はリンク先参照のこと。


スタジオジブリ「崖の上のポニョ」。

2008-08-04 23:57:20 | アートなど
映画は公開直後にみておかないと見逃してしまうのが最近のパターン。
相変わらずいっぱいいっぱいではありますが、先週の金曜8月1日は映画の日、ということで、半ば意地でスタジオジブリの新作「崖の上のポニョ」のレイトショーに足を運びました。

何となく毎回見てはいるものの、スタジオジブリの作品は、個人的にいつも少々引いた視点から眺めており、また、前回と前々回があまりにもあんまりだったので、今回もそれほど期待せずに臨みました。
内容詳細には言及しませんが、結論からいえば、私的にはジブリ作品はオリジナルストーリーのほうが格段に良い、ということを再認識する結果になりました。パブリック・ドメイン入りした物語をモチーフにちりばめて、遊びのように取り入れつつ、宮崎印に昇華されていて微笑ましい。
想像の飛翔と画に込められた野放図なエネルギー、そして幼少期の心象を丁寧に描いた濃密な風景と緩急自在のストーリー運び。
19世紀末~20世紀初頭の英国児童文学や、ピッピやムーミンの世界、名作絵本の数々を彷彿とさせる良作だと思います。
「千と千尋の神隠し」や「未来少年コナン」が好きな方、さらに、リンドグレーンやエリナー?ファージョン、ジョージ?マクドナルド、ルーシー・M・ボストンのグリーン?ノウシリーズに心惹かれたことのある方などには特におすすめです。

直球ストレートの物語。
構えず観るべし。


東京遠征7/27。(ICC「君の身体を変換してみよ」展、東京オペラシティアートギャラリー「トレース 

2008-07-28 00:45:50 | アートなど
昨日7月27日(日)は、東京で複数の展示を観て参りました。
とりあえず観たものメモ。後日ちょこちょこ書き足します。

・インターコミュニケーションセンター(ICC)「君の身体を変換してみよ」展
 ICCで夏休みにあわせて毎年開催されている、子供を対象とした企画展"キッズプログラム"。今年は佐藤雅彦研究室と桐山孝司研究室関連がメイン。老若男女問わず身体と映像との関係性や身体感覚の延長についてそれとなく意識させる内容はさすが。観客も親子連れが多く、なかなかの大盛況でした。
 個人的には、顕微鏡下での作業を彷彿とさせる「ミクロ職人修行」が印象深い。細胞の核移植作業を懐かしく思い出しました。

・ICC特別上映「日常にひそむ数理曲線
 上記展示に併せて土日限定で上映されている映像作品。佐藤雅彦氏総合監督のもと、ユーフラテスが作成したもの。日常の中で遭遇するありふれた現象の中から数理曲線を抽出し、映像とともに概念を提示してゆく過程が実に鮮やか。新鮮な驚きを与え、なおかつ自然界に潜む事象の美しさ・面白さを伝えるという意味で非常にすぐれた映像ではないかと思えます。数学的素養のある大人が見ても充分に面白い。
 これはぜひとも、二次関数や三角関数を学ぶ前の中学生に見せるべきなのではないかと。数理概念と現実世界の現象が整合性をもって結びつくには大抵の場合、高校物理を学ぶまで待たねばなりませんが、こういった事象と数理のつながりをあらかじめ具体例をもって示されていれば、より深く数式や現象の意味を理解できるようになるのではないでしょうか。また、数式と数式の担う概念イメージが結びつかないばかりに、数学理解から脱落してしまう人間が相当数いるものと想像され、そういった『数学嫌い』発生防止のためにも、こういった数理概念の視覚化映像は重要な意味を持つのではないかと思えました。
 数学好きはもちろんのこと、数学嫌いにこそ見てほしい映像だと思います。

・東京オペラシティアートギャラリー 企画展「トレース エレメント
・同 特別展示「麻田浩展
・同 Project N「project N 34近藤恵介

予定では21_21 design siteの「祈りの痕跡」も行くはずでしたが、体調不良であえなくダウン。無念。