はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

東京&横浜遠征7/25。(東京都現代美術館「ジャイアント・トらやん展示」「MOTコレクション展」「メ

2009-07-25 22:31:00 | アートなど
すっかり遅くなってしまいましたが、遠征メモ。(8月19日アップ)

7月25日(土)は、東京と横浜で3つの展示を見て参りました。
まずは、東京都現代美術館の「ジャイアント・トらやん展示」と「MOTコレクション展 夏の遊び場 -しりとり、ままごと、なぞなぞ、ぶらんこ- 」そして「メアリー・ブレア展」(サイトは 美術館サイト あるいは 企画展サイト

主な目的は、毎回渋い展示作品を揃えてくれる「MOTコレクション展」、そして、8月2日までの限定で展示されているヤノベケンジ氏作「ジャイアント・トらやん」の立ち姿を見るため。
興味を持っていた企画展「伊藤公象展」はあいにくの8月1日から。
ディズニーには興味がなかったのですが、せっかくなので開催中の企画展「メアリー・ブレア展」も併せて拝見しました。
メアリー・ブレアという名前は私は今回はじめて知りました。直接の作画には関与しなかったものの、どうやら初期のディズニーにおいて、カラーデザインやイメージスケッチによりアニメーション作品に多くの影響を与えていた方なのだそうです。いちどディズニーを離れ、フリーランスとして絵本や広告など幅広い分野で活躍した後、再びディズニーの「イッツ・ア・スモール・ワールド」のコンセプトデザインを担当し、名を広く知られるようになったのだとか。独特の色彩感覚と世界観は、たしかに「ああ、あの!」と思わせる作家性に裏打ちされたもののように思いました。
私個人的には、ディズニーに採用されなかった作品群のほうが抜きん出て「良い作品」と思えてならず、世間的には成功と評価されるであろう「ディズニーに認められディズニーの作品となる」ことが、果たして作家や作品にとって良いことなのかどうか不審に思いました。ディズニー色に染まるほど、ブレア氏の作家としての輝きが失せてしまっているようで、どうにも複雑な気分になりました。
しかも、ディズニーによってボツにされお蔵入りとされていた作品が、今回展示されるにあたって、ブレア氏個人のリソースではなくディズニーのリソースとして利用されていることに、どうにもやりきれない、釈然としない気分になりました。ビッグネームがすべてをかっさらってしまうような創造システムはよろしくないのではないか、と、法人所属の作家とその創造物との関係性について、非常に多くのものを考えさせられました。こういった関係性は、分業システムに頼らざるを得ない商業アニメーションの宿命かとは思いますが、どうにかならないものなのでしょうか。
誰がどのような経緯で何をして、何を作ったのか、どのように分業したのか。わたくし、グループワークにおいてこういったことを意識した説明や叙述が少なすぎることにいつも不満を覚えていたところ。できるかぎり誰が何をしたのか切り分けられる部分は切り分けて叙述してほしいと改めて強く思った次第です。
ところで、個人的にいたく気に入ったのが「ペネロペと12か月」のイラスト群。
お名前を出して恐縮ですが、更紗さんの描かれる絵を思い出しました。
さて、次に本命、ジャイアント・トらやんと「MOTコレクション展」。
常設展示室のエントランス部分に堂々と立つ「ジャイアント・トらやん」とその足下に遊ぶ「トらやん」、そして傍らに鎮座する「ロッキング・マンモス」に感銘。「トらやん」の隣には、彼らを巡る映像作品が何作かモニタで上映されており、突如現れた巨大ロボットやちょびヒゲ人形がどのような意味を担っているのかが解る仕組みになっており、毎度ながらヤノベ氏の展示構成に感心させられました。また、このエントランスのヤノベケンジ作品に限っては写真撮影OKとのことで、子どもたちが大はしゃぎするなか記念撮影をしている家族連れが多く見られたのも微笑ましく印象的でした。
「ジャイアント・トらやん」を観たのは二度目でしたが、前回の霧島アートの森では彼(?)は座っていたため、立ち姿を見るのは初めてでした。改めてまじまじと見るにつけ、とにかく「でかい!」のひとこと。
笑うしかないほどの圧巻です。
4月の豊田市美術館でのトークイベントでヤノベ氏が語った言葉によれば2009年は「トらやん最後の聖戦」の年なのだそうで、その言葉を聞いてから、ひょっとしたらトらやんの活動にはいったん終止符が打たれるのではないかと危惧していたところ。どうなるのかはわかりませんが、希有なアートシーンとして可能な限りこの目で見て、記憶にとどめてゆきたいものです。
MOTコレクション展は「遊び」という観点から現代芸術作品を眺め、「ままごと」「なぞなぞ」「しりとり」「ぶらんこ」という4つのキーワードで個性ある作品を紹介。毎度ながら、面白い観点、そして充実した展示に感心です。詳細は省きますが、エルネスト・ネトの作品とその香り、また、島袋道浩氏のドキュメント映像作品「タコに東京観光をプレゼントする」、そして「earth library」(作者名失念)などの作品が印象に残りました。

さて、次に足を運んだのは、横浜の新港地区で開催されていた東京芸術大学大学院映像研究化メディア映像専攻「OPEN STUDIO」 後期展示
先週の前期展示は修士2年(3期生)の習作展示でしたが、今回の後期展示は修士1年(4期生)の特別演習課題の成果作品を発表展示したもの。
14名の学生さんたちは4月に入学して以降、4名の指導教官から順次演習授業を受けており、それぞれの演習概要と併せて各演習で出題された課題に対する成果が紹介されていました。
以下、ざっくり感想メモ。

・佐藤雅彦特別演習
物理現象などの科学原理や日常に潜む何らかの事象が担う独特の面白さを抽出・収集し、それらの面白味に焦点をあてて作品として再構成する、という演習の課題成果群。
"科学的な原理が露呈する表現"、"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"、"面白さの蒐集"、"ウズウズの言語化"の4つのテーマによる。

"科学的な原理が露呈する表現"

A 柿沼緑×森脇統「through」 インスタレーション
白い紙で覆われたガラス壁があり、その手前に底の抜けたペンキ缶が台に乗って数個置かれている。壁にはそのペンキ缶が壁を覗くような格好で1つ張り付けられている。台の上のペンキ缶を手に取って自分も同じように覗き込んでみると、缶の影になった部分にだけ、ミジンコなどの微生物を描いたアニメーション映像がうつって見える。じつは裏側から映像が投影されているのだが、壁面の紙を透過する光量が展示室の光量を下回るため、通常の状態では映像を見ることができず、缶で覆って覗き込むことで影になった部分だけが透過光を知覚できるいわば窓の役割を果たす、という作品。
缶で覗き込む作業が、まるで顕微鏡を覗き込むような感覚を引き起こしているのが面白い。手元の缶の影の中に動く何かを見た時は新鮮な驚きを感じました。壁の中から動く微生物の映像を探す面白さがあるいっぽうで、缶による視野が狭いため、切り取った影の窓の中にちょうど動く映像が入ってこない場合があり、そういったときは鑑賞者が作品内容に気付かない恐れもあるのではないかと思え、少々もったいない気もしました。

B 玄宇民×白*欣宏「虚実のバランス」 インスタレーション
滑車を介した一本のケーブルの両端の、一方には大きな石が、もう一方にはテレビモニタが吊り下げられている。ふたつを支えるケーブルは天井の滑車を介して、ちょうど同じ重さで釣り合っている。テレビには、となりの石を固定カメラでとらえたライブ映像が写し出されており、あたかも「実物の石」と「テレビの中の石」が釣り合っているかのような印象を与える。という作品。
あくまでもテレビモニタの重さと石の重さが釣り合っているだけであるはずが、テレビモニタに石の映像が写し出されることによって、まるで石と映像の中の石が釣り合っているかのような印象を与えているのが面白い。
また、冷静に考えると、この作品によって「テレビモニタのほうが石よりも密度が低い(石よりも体積は大きいが重さは一緒)」という事実があらわになっており、その事実もまた意外に感じられて、テレビを重いものと思い込んでいた自分の認識に気付き、その点についても興味深く思えました。
ちょうど東京都現代美術館のMOTコレクション展で展示されていたナム・ジュン・パイクの作品のことを少し思い出しました。


"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"
C 高橋浩樹×村上雄大×白*欣宏×長島勇太×山下寿也「glide」 ビデオ
あたかも地面の大きな揺れでテーブルや椅子が床を滑って動き回っているかのような動きを再現した実写コマ撮りアニメーション。
再現があまりに忠実であるため、うっかり実際に家具が地面を滑っているかのような錯覚に陥るほど。下手をすると、コマ撮りの意図が伝わらない恐れがあるほど良くできている。
その懸念をクリアするためか、模型であらかじめ揺れによる家具の動きをシミュレートし、なおかつ、その実験の映像をコマ撮り映像の前に付加したことで意図が伝わりやすくなっているのが心憎い。秀逸だと思います。

D 深尾大樹×安西剛×柿沼緑「影」
テーブルに置かれている扇子が、手の影によって持ち上げられ、裏返しにされてゆくさまを表現した実写コマ撮りアニメーション。

E 牛腸卓人×森脇統×玄宇民「stick」
複数散らばって並ぶ缶の間を、ひとつの缶がジグザグに通り抜けてゆく様子を写した実写コマ撮りアニメーション。

F 田中麻里奈×三上亮×島本塁「ノート/シャツ」
巨大な手が指先でノートやシャツを弄ぶ様子を表現した実写コマ撮りアニメーション。

"おもしろさの蒐集"
G 高橋浩樹「Agent R」 ビデオインスタレーション
モニタ前のテーブルにRollyが置かれており、モニタに写し出される映像の中の人物の動きに合わせてRollyが動くことにより、あたかもRollyが人物の依り代になったかのような効果を生じる。という作品。映像の人物とRollyの動きが同期していることをいったん認知すると、画面上から人物が消えても、Rollyの動きがその人物の動きを引き続き担って再現しているのだと疑いなく認識してしまうのが興味深い。
人物の動きを担う「動く物体」が人間とはかけ離れたものであればあるほど面白いのではないかと何となく感じました。人物の動きを担っていると認識されるための境界はどこにあるのか、どこまでかけはなれると人物との関係性を感じ取れなくなってしまうのか、あるいは単に、同期する動きや音に対して関係性を感じ取っているのか、音を動きと関連づけて音だけで人物の動きを想起させることは可能なのか、等、様々なことを考えさせられました。実験・追求して行ったら非常に面白いテーマだと思います。

H 柿沼緑×森脇統「トーンネル」 インスタレーション
「音が光となってトンネルを抜けてゆく」様子を表現した作品。
直径15mmほど、長さ1mほどの透明なダクトが胸の高さで水平に吊られている。ダクトは緩やかなU字を描いてカーブしており、両端の開口部には金網が取り付けられている。左側の管端へ向かって声を吹き込むと、声が移動しているかのようにダクト内部のLEDが順繰りに白く光り、反対側の端へ向かって光がダクト内を伝ってゆく。光が管端へ到達すると、さきほど反対側から吹き込んだ声がそこで再生される。
声を吹き込んでからダクトの中間地点に手をかざすと、そこに光がとどまり、かざした手を離すまで「声を捕まえておく」ことができる。また、ダクト内を伝う「声」の移動速度は音量に比例し、大きさの違う声を吹き込んだ後にそれらの「声」を捕まえると、「声」を解放したときに大きい声が先に、小さい声が後になって再生される。
本来一定であるはずの音の速度が、このシステムにおいては音量に比例しているという点が面白いと感じました。大きい声ほど速く進むということは物理法則には反しますが、なぜだか直感的に違和感無く受け入れられるのは、声を発する行為があたかも物を投げる時のような行為と重複して感じられ、「力一杯投げる=力一杯大声を出す」という身体感覚に即して人間側が無意識的に理解してしまうからなのではないかと思えます。作品を理解するときに発生する認識に、物理法則よりも身体感覚を優先させたルールがはたらいているようで非常に興味深く思えました。


"ウズウズの言語化"
I 島本塁「飛び出すサーキット」 映像
二つのモニタが160°ほどの角度で二つ並んでいる。画面には小さな木材がレースカーのように爆音を上げながら動いている様子が映し出されており、木材カーは左のモニタでは奥から手前に向かって、右のモニタでは手前から奥に向かって動いてゆく。左の奥からやってきた木材カーはブゥン!という音をあげながら、いったん画面からフレームアウトしたかと思うと、すぐさま右側画面に現れ、奥へと走り去って見えなくなる。かと思うと、今度は左側画面奥からふたたび木材カーがやってきて同じ映像サイクルを繰り返す。
映像と音の効果により、あたかも木材カーが画面から飛び出してサーキットをぐるぐる回っているかのような印象を与える、という作品。
実際には飛び出してもいないし、木材は車とは似ても似つかない簡素な端材なのですが、まさに「飛び出す」「サーキット」にしか見えない点がすごい。シンプルながら秀逸な映像作品だと思いました。


・桐山孝司 特別演習
開発言語であるprocessing, arduino, xbee というシステムを使って、遠隔操作や応答システムを利用した作品を作る、という演習課題の成果作品群。

"processing, arduino, xbee を使って作る"
A 田中麻里奈「はこ」 インスタレーション
台の上に手のひらサイズの木箱が置かれており、手にとってみると、箱から細かい振動と声が出て反応する、という作品。
中に何かの生き物が入っているようで微笑ましい。

B 安西剛「スズメと友達になる」 ビデオ
超小型の車載カメラがスズメのいる方向へむかってゆく様子を、カメラとスズメを俯瞰した映像と車載カメラ自身の映像とを交えてつないだビデオ作品。
意図していた効果か否かは不明だが、友達になると称しつつ、非常に怪しいマシンがスズメの群に向かってゆく様子と、当のスズメが不審がって迷惑そうに少しづつ逃げてゆく様子が何とも悲しく可笑しい。

C 高橋浩樹「わたしからあなたへ」 インスタレーション
スピーカーに耳をあてるという行為を介して、鑑賞者が見ている側の音声だけを切り替え再生する機構を提示した作品。
二つのモニタを挟んでマイクのように長い管が設置されており、その管へ耳をあてると、右耳だと左側のモニタが、左耳だと右側のモニタが目に入るようになっていて、目に入った側の音声が管から聞こえてくる。モニタには歌(「わたしからあなたへ」の曲)を歌う男女二名の姿が映し出されており、二人は歌いながら左右のモニタを行き来する。移動する人物を追って左右交互に耳をあてると、鑑賞者が見ている側のモニタの音声だけが聞こえてくることが知れる。
顔認識による切り替えであろうが、耳を介したスイッチングになっているように感じられるのがおもしろい。
試していて機構に気づいたときには純粋に驚かされました。様々な応用が期待できそうで、今後どのように進化してゆくのか楽しみです。

D 三上亮「コーン」 ビデオ
下部に小型の自走車を仕込んだ赤いパイルコーンが、じりじりと動いてゆく様子を提示した映像作品。
本来の場所から少しづつ動き、赤いコーンが徐々に日常を逸脱してゆく様子と、その様子になかなか気づかない通行人との対比が見ていて興味深く感じました。例外的に、動く歩道に乗っていた老婦人が動くコーンに気付き、連れの男性に「発見」を伝えていたのがこれまた印象的に思えました。
それとわかって見ていれば気付かない方がおかしいようにも思えますが、実際は、少しづつ動くものや、「動くはずないもの」については、人間は動いている事実を認識し難いものなのだと実感させられたような気がします。


・桂英史 特別演習
自らの身体を使った表現を通じて、表現・記録行為をとらえなおすという課題制作の成果作品群。
"ダンス"、"ツアーパフォーマンス"、の2テーマによる。

"ダンス"上映
ボールやロープなどを使用した身体表現映像作成を試みたグループワーク作品。

A 柿沼×深尾×森脇「ikiki」
 ボールがテーマ。寝そべった3人の人物が縦列し、身体をレールのように利用しながらボールを転がしたり足で挟んで受け渡したりする様子を写した映像。街中で展開するボールの行き来が印象深い。

 村上×山下「睡眠」
 薄暗いスタジオで男性が横たわっている様子を映した映像。詳細失念。
 意図がうまく汲み取れず。残念。

 安西×田中×白*「以心伝心」
 ロープがテーマ。ロープを持った一人がそれを振り回しながら踊ると、遠く離れた場所にいるメンバーが、ロープの動きを引き継ぎつつ架空のロープを振り回しながら踊る。その動きがさらに別のメンバーへと引き継がれてゆく、という映像。
 実体のない「ロープ」というモノの概念がたしかに受け渡されてゆく様子が秀逸だと思いました。街中で果敢なパフォーマンスに挑んでいる様子と、通行人の狐につままれたような様子との対比も、何とも可笑しく印象深い。

 島本×牛腸×三上「HAKO」
 露出オーバーでホワイトアウトした映像の中で、数個の黒い箱が上下左右に激しく動いている。その動きはいずれも落下しているかのような勢いであるため、重力方向がどちらであるのか、判別できず戸惑いを覚える。しかし最後に露出が適正化されると、全身白タイツに身を包んだ人物たちが現れ、その実は、ホワイトアウトした中に人が紛れて箱を縦横に動かしていたことが知れる、という映像作品。
 独特の空気。荒々しくもどこかとぼけた味わいに思えました。人物たちがそそくさと帰ってゆく最後もユーモラス。


 高橋×玄×長島「Slowly Box」
背中を丸めて大きな箱を背負った人物が闇に沈む廊下をゆっくりと歩いてゆく様子を映した映像。
 歩いているのが人間と箱ではなく、何か別の生き物のように感じられるように思いました。直接は関係ありませんが、昔のマペット映画「ダーク・クリスタル」に出てくる生き物たちのことを何故か思い出しました。

"ツアー・パフォーマンス"上映/実演
B 田中麻里奈×山下寿也×長島勇太「おじいちゃん忘れないよツアー in 伊勢佐木町モール」
 実在の商店街をナビゲートするツアー音声ガイドを作成し、そのガイドたよりに商店街ツアーを実践した模様を、記録写真とガイド音声とともに提示したドキュメント映像。
 商店街ツアーというのが非常に面白い試みだと思いました。「場」や「土地」とそこに暮らす人々の記録を重ね合わせることではじめて露呈する何らかの心象を見事に再現しているようで興味深い。大きな可能性を持った手法だと思います。ポッドキャスティングと組み合わせれば、過疎の地や田舎の町おこしにも応用できるのではないか等いろいろ夢想してしまいました。

C 高橋浩樹×島本塁×玄宇民×安西剛「YES'89」
 26日のみの上演。前述の手法により作成したツアーに鑑賞者自らが参加する企画。
 日程が合わず体験できず。非常に残念。


・藤幡正樹 特別演習
映像原理においてカメラの原型となる装置"カメラ・オブスクーラ"を自作し、そのスクリーンに映る映像をビデをカメラに収めることにより、映像を記録する行為をとらえなおす、という演習課題の成果作品群。

"カメラ・オブスクーラにビデオをつける"
A "カメラ・オブスクーラを作る"
 カメラ・オブスクーラ(カメラの原形。ピンホールカメラの原理を用い、黒い箱とレンズ等を使用した、風景を映し出す装置。)をさまざまに応用した「見る装置」を作成し、その現物を展示したもの。
 映し出される風景を分割したり、方向を変えたり、ズーム倍率の異なる風景を同時に提示したり、像をゆがませたり、等、光学原理を利用しながら様々な発想の元に作成された"カメラ・オブスクーラ"たちがとても面白い。実際に手にとって外の風景を眺めることもでき、体験することで視覚や映像、像を結ぶ光の原理について考えさせられました。
 また、後述の、これら装置を使って撮影した映像を見てから再度手に取って見ることで装置特性への理解が深まるようになっており、関心しました。

B "風景撮影(固定カメラ・無声)"上映
 作成した"カメラ・オブスクーラ"をビデオカメラに接続して撮影した映像のうち、固定カメラでかつ無声の映像を上映したもの。いずれも、レンズを通した像は箱の中でトレース紙に投影されるため、得られる映像は淡く柔らかい独特の雰囲気を感じさせるものとなっている。

 牛腸卓人「観覧車」
  みなとみらい地区の観覧車を遠写しにしたもの。

 長島勇太「トレイン」
  電車を映した映像。映像方向が二分割され、それぞれ左右が入れ替わっているため不可思議な視覚効果が得られる。

 深尾大樹「部屋1」
  田の字に4分割された画面にそれぞれズーム倍率の異なった像として映像が映し出される。駅のコンコースを映した映像。
 島本塁「サークル・ウォーク」
  新港地区の環状歩道橋を映した映像。
 村上雄大「動く歩道」
      「メリーゴーランド」
  別の方向をとらえた像が左右に並んで映し出されるカメラを用い、動く歩道とメリーゴーランドを映した映像。

C "人物撮影(無声)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、人物を無声で撮影した映像作品。

  三上亮「段ボール」
   ひとつの大きな段ボールを数名で頭からかぶったまま移動する様子をとらえた映像。
  玄宇民「アクシデント」
   うろ覚え。車と自転車の接触を描いた映像だったか?
  牛腸卓人「スクロール」
   左へ左へとスクロールする映像の中を次から次へと人物が先回りして追いかけてゆく様子を映した映像。
  村上雄大「internal」
   
  長島勇太「追跡」
   90°ずれた視界がとなり合って並ぶ映像を得られるカメラ・オブスクーラを用い、足元と進行方向とを上下二分割された視界に映し出しながら、被写体人物(後ろを振り返りつつ前を歩いている)を撮影者が追っている様子を記録した映像。追う人物の足元(=迫る人間の足取り)と追われる人物の背中(=逃げる人間の歩み)が並んで映し出される格好となり、結果的に非常にドラマチックな映像効果を生んでいるのがとても面白いと感じました。
  柿沼緑「花」
   視界が扇形にゆがむカメラ・オブスクーラを用い、自転車に乗ってやってきた人物が足元に花を置いて去る様子を記録した映像。
  深尾大樹「部屋2」
   「部屋1」で使用した4分割カメラを用い、部屋で掃除機をかける人物の遠景近景を並んで映し出した映像。別々のズーム倍率が隣合って併存することで、まるで多面的に情景をとらえているかのような印象を生んでいるようで興味深い。とても面白い映像だと思いました。
  安西剛「MIDORI」
   カメラ・オブスクーラを通して人物を映すとともに、カメラを通さない外界も同時に映し出した映像。
  島本塁「サークル・ラン」
   「サークル・ウォーク」と同じ定点で人物をとらえた映像。新記録に挑戦するスポーツ選手のようにインタビューに応じている(と思われる)人物が、環状歩道橋を一周してゴールインする様子を映したもの。ゴール時に、通行人にゴールテープを持ってもらってゴールインしているのが何とも微笑ましい。
  山下寿也「走れ」(カメラ・オブスクーラの実物展示)
   学内の敷地を全力疾走している人物を映しだしたテレビモニタが、一台のカメラ・オブスクーラで覗き込めるように設置されている。
 
D "人物撮影(ナレーションのみ)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、辞書の記述を読み上げた音声を付加した映像作品。
  牛腸卓人×高橋浩樹「ことばあそび」
   焦点深度が浅い接写映像で前進しながら「こねこ→こんぶ→ぶんぐ→ぐんて」のオブジェを、後退しながら「てんぐ→ぐんぶ→ぶんこ→こねこ」のオブジェを映し出した作品。
 淡く滲んだ視界の中に物体が現れては過ぎてゆく様子と、辞書の記述が読み上げられながら、言葉と映像がじつは進んで戻るしりとりになっている様子が面白い。

  柿沼緑×島本塁「やもめ」
   洗濯を干す男性と、旅行カバンを手に引いて道を歩く女性とを順繰りに映し出した作品。洗濯、しわ、道、などの辞書記述が読み上げられるが、言葉の意味と使用例文が映像に新たな文脈を付与するようで興味深い。

  安西剛×玄宇民「手紙」
   集合住宅の郵便受けに封書が投函されており、中を開くとひとつの図形(異国の文字)が書かれている。街のあちこちに同様の図形が散在している様子が描かれ、最後にアーリア人種とおぼしき人物が異国語(ヒンディー語?)で何らかの言葉を述べ、さきほどの図形が文字であったと窺い知れる、という映像作品。


 いろいろな手法や着眼点で提示された作品群は、それぞれ様々な方向性を持ち、いずれも既存の枠組みでは形容し難い特性を有しているようで、見ていてたいへん楽しく、またエキサイティングな体験をさせていただきました。
 「今まで見たこともない面白い何か」との出会いを求めて毎回足を運んでいるこの展示ですが、今回も期待に違わぬ多くのものを拝見することができました。今回提示された14人の手による様々な表現の種が、今後どんな作家性やテーマを獲得しつつ進化してゆくのか非常に楽しみです。


本当はこの後、森美術館の「アイ・ウェイウェイ 何に依って」を観にいこうともくろんでいたのですが、うっかり時間を見誤り、未遂に終わりました。
夜行バス0泊3日。過去の反省を活かし、早朝に某スパでリフレッシュしてからの活動。ゆっくりペースで回ったため、幸い二日間は体調を崩すこともなく過ごせましたが、後日あえなく風邪によりノックダウン。
おかげで感想メモがすっかり遅くなってしまいました。
免疫がおかしいのか、すぐに熱を出してしまうのが困りもの。もう少し丈夫になりたいものです。


東京遠征7/19。(ICC常設展、キッズプログラム「たのしむ ∩ まなぶ」、東京オペラシティーアート

2009-07-21 02:23:41 | アートなど
翌7月19日は、東京で2つの展示を観て参りました。
以下ざっくりメモ。

・新宿初台 インター・コミュニケーション・センター(ICC)
ICCの2009年度展示と、毎年恒例のキッズプログラムを観に足を運びました。
事前にほとんど内容を調べて行かなかったのですが、行ってみると芸大メディア映像専攻1期生の方々の作品があって嬉しいびっくり。
しかもたまたまワークショップが開催されていたらしく、当のご本人お一人とばったり出会って驚きました。ご活躍されている様子が喜ばしいです。
「オープン・スペース 2009」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Openspace2009/index_j.html
昨年度の内容から6割程度の大幅な展示替え。JODI氏の《My%20Desktop OSX10.4》や浅野耕平氏の《Lines》が印象深い。
「2009 プレイフル・ラーニング たのしむ ∩ まなぶ」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Kidsprogram2009/index_j.html
私が訪れた際には人の入りはそれほどではなく、ゆっくり観ることができました。家族連れが多く見られたのがキッズプログラムならではかと。ギリシア神話のモチーフをドット絵で広大な画面に展開させた重田氏の「ロウビジョン」が楽しい。つい長時間見入ってしまいました。同氏の「ファイブマン」には氏の終了制作「ルールする運動」の技術が活きているようで見ながら感心してしまいました。多数作家が共同制作した動きの連鎖を見せる作品もなかなか面白い。特別展示としてのボリュームは少なめですが、奥に設置されたスロープの上から会場内を眺めるのがなかなか楽しく思えました。
「エマージェンシーズ!011 佐藤哲至+坂本洋一」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Openspace2009/Works/blank_j.html
2006年のOPEN STUDIO Vol.2で原型を拝見した《blank》がICC用に再構成されていて感慨深いものを感じました。より精緻に、より洗練された展示になっていたのが印象的。

・東京オペラシティアートギャラリー「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」
http://www.operacity.jp/ag/exh108/
絵画、立体、インスタレーション等多様なメディアで圧倒的な存在感を示す作品を発表している鴻池朋子の大規模個展。
作家個人を地球になぞらえ、展覧会を作家世界へと降りて行く地中への旅として位置づけた展示構成が非常に面白い。
作品含め、展示会場すべてがとにかく圧巻。作品世界がそのまま神話的表現性を帯びるのみならず、展示空間も各国の神話に登場する「内なる世界への旅」をなぞっているようで、すべてにおいて神話的世界の構築に成功している驚くべき展覧会だと思いました。
生涯印象に残りそうな企画展。可能であればぜひもう一度足を運びたいものです。


両日とも大事を取って午後から動き始めたため、全体的に時間が足りない感があったのが残念なところ。
東京都現代美術館のジャイアントトらやんや森美術館の展示などを含め、ぜひともリベンジを果たしたいところです。


横浜遠征7/18。(横浜開港博、東京芸大大学院映像研究科メディア映像専攻「OPEN STUDIO 2009」

2009-07-21 02:15:03 | アートなど
久々の単独遠征。メインは恒例となっている東京芸術大学大学院映像研究科のメディア映像専攻展示「OPEN STUDIO」。その他もろもろを組み合わせての遠征です。
今回の「OPEN STUDIO」は二部構成。修士2年(3期生)の習作展示である前半3日(7月18日~20日)と、修士1年(4期生)の課題制作展示である後半3日(7月24日~26日)に会期が分かたれています。
この日は前半、3期生の習作展示を拝見しました。
前回の「MediaPlactice'08-'09」(2期生卒業制作展示、3期生習作展示、卒業生作品展示を兼ねた展示)では作品数が盛りだくさんであったり、体調を崩したりで感想メモが追いつかなかった反省から、まずはざっくり雑感メモを上げてしまいます。

1 深石圭佑氏:「画面出来事の途中」映像作品。
映像に写された被写体の主観・変化がそのまま写している側であるところの映像自体に反映される、という映像作品のシリーズ。 
めがね(近眼)、のこぎり、寝息(部屋、棟)、お湯、たばこ、伝言、耳、目隠し、など。
印象に残っているのが3つ。
・本を読んでいる人物がメガネを外すと、カメラがメガネを外したかのように映像のピントがぼやける。いわば映像の近眼。
・給湯栓から出ているお湯にかざした手がお湯に触れると、脊髄反射で手が引っ込められるのと同時に映像自体がビクっと収縮する。いわば映像の脊髄反射。
・目隠しをされた人物を写している映像。人物が目隠しを外すと、カメラがまぶしがっているように画面がホワイトアウトし、やがて徐々に適正な明るさに戻ってゆく。いわば映像の明順応。
人間の身体特性を映像主体に組み込んだ表現が面白く感じられました。お湯の脊髄反射的映像が好きです。

2 井上泰一氏:「三味線」 インスツルメント作品
 天井から三本のベルトで吊られた電動ドリルを、3Dマウスによって実空間上で操作する、という作品。1月の前作がブラッシュアップされ、操作精度が増した反面、静的な作品に仕上がっていたのが個人的には残念。可能性を感じさせるモチーフであるだけに、エネルギッシュである意味野放図な動的作用と工学制御とのせめぎ合いの中から今後どのような跳躍を遂げてくれるのかが非常に楽しみです。

3 細谷宏昌氏:「脈相」 インスタレーション
 調整中。残念。

4 内村真似子氏:「m a z e」 ビデオインスタレーション
別々の5つのアングルから撮影された、油性ペンで迷路を描く手の映像が、壁に配置された5つの小さなディスプレイで同時に再生されている。
本来、多角的視点は物事や現象の理解を増すはずであるが、その多角的視点が整理なく並列的に提示されることで、かえって現象の把握を混乱させ、物事の理解を難しくしてしまう様子が面白く感じられました。いっけん関連が不明確な5つの映像を同じものだと認識させるためには音が非常に重要な役割を担っているように思え、それも面白く感じました。配置されたディスプレイから垂れて伸びる配線や基盤が剥き出しになっている様子も作品を構成する重要な要素のように思えました。

5 坂本雄祐氏:「rut」 インスタレーション
会場の一角がモニタされており、始点となるフィールドから終点となるフィールドまで鑑賞者の動いた軌跡が自動的にプロットされ、その動線が重層されてゆくシステム。終点フィールドにはモニタ内容を表示したディスプレイと、鑑賞者の動線をプリントアウトするプリンタが設置されており、鑑賞者は、他の鑑賞者たちが通った軌跡の履歴と最新鑑賞者である自分の歩いてきた軌跡を視覚的に比較・確認することになる。
行動履歴の記録であると同時に、他者の痕跡と自らを比較する装置となっているのも面白いと思いました。フィールドの始点と終点が決まっているため、そのフィールドにうまく入らず経路認識されない場合があるのが少々惜しいなと感じました。どのような方向へ発展するのか興味深いところです。

6 荻原美帆氏:「終了展のための習作」 アニメーション
少女と書物・眠りを巡るアニメーションの習作断片。全体の中でどのような位置づけとなる場面なのかが興味を引くところ。

7 姜 旻亨氏:「Sightseeing II」 ドキュメント
港公園内にベンチとオブジェから成る仮設の「撮影ポイント」を設置し、そのポイントに対峙する人々の様子を記録した実験的ドキュメント映像。
設置した「撮影ポイント」が無許可設置物として港湾管理行政の人々に撤去されるまでをとらえた映像であるが、行政の証拠保全行為としての撮影行為が、そのまま別の意味を付与されてしまっているのが強烈に笑可しい。痛快。傍らに使用許可申請書が展示してあるのもまた笑可しい。強権を発動しているはずの撤去行為であるが、見れば見るほど撤去に携わる職員たちがチャーミングに思えてくる。
とても好きな作品です。

8 細谷宏昌氏:「Thinker」 インスタレーション
黒いテーブルの上に置かれた3つの黒い電球。その電球の影の中に明かりが明滅する、という作品。


9 伊藤渉氏:「Storytelling」 ビデオインスタレーション
4つのモニタが背中合わせに配置されており、それぞれ別の映像が流れている。映像に合わせて、手相の解説をしている占い師との会話が流れる。占いとは無関係なはずの、しかしどこか微妙に通じる部分のある「線」にまつわる映像が示されることで、音声は同じであるはずが、4つの映像でそれぞれ異なった印象が立ち上がる。
印象が映像に引きずられてしまう、という現象が新鮮に感じられました。もともとなににでも当てはまって聞こえる占い、という音声素材を、壁のひび=線や、地図上の道や川=線、文字や家系=線、麺(?)、といった映像と重層させて、無理矢理な関係性を付与してしまっているのがとても面白く感じられました。いわば、映像のバーナム効果、とでもいったところでしょうか。そんな中にあって、麺だけが関係性の付与を受け付けていないらしき様子がまた面白い。無理矢理与えた関係性が成り立つかどうかの境界はどこにあるのか、そんなことを考えさせられました。

10 荒木悠:「Deep Search」 ビデオインスタレーション
作家が自ら飲み込んだ人形が、胃内から内視鏡鉗子で摘出される様子を映した内視鏡記録映像を、効果音とともに壁へ投影した作品。
捨て身の、というべきか、自らの内部を物理的に探査するという生命に直結する直裁な手法を用いているだけに、結果的に非常に強烈な表現となっているように思われました。ともすればグロテスクに終始してしまいかねない内容ですが、膝を抱えて座っている人形の形態が別方向への意味を付加し、奥行きのある表現へと導いていたように思えます。奥深くで孤独に沈思する人間のイメージや、物語に登場する鯨に飲まれた人間のイメージを連想しました。印象深い作品です。

11 櫻庭芽生夢氏:「物語の断片」 映像
断片化された映像の小さなフレームを移動させながら重積し、断続したイメージやモチーフの断片から独特の手法で物語を紡いでゆく作品。物語に登場する文筆家と彼自身の物語、そして文筆家の紡ぐ物語が断片化によって錯綜しながら提示されてゆく。断片化されたモチーフを鑑賞者が再構成しながら解釈するトリッキーな内容だと思われました。優れた脚本による芝居の舞台を彷彿とさせる作品のように思えます。

12 田村友一郎氏:「驚異の部屋」 インスタレーション
世界の標本箱に仮託して、収集し観察する側と観察される側の逆転構造を示した大がかりな作品。窓辺に据えられた大きなディスプレイにライブカメラで写したとおぼしきホテルの一室の映像が流れている。傍らの窓からは外へ出られるようになっており、外には立ち位置を示した足型のペイントと、柵に無造作に掛けられた大きな双眼鏡が見てとれる。鑑賞者は双眼鏡を手に取って立ち位置から対岸にあるインターコンチネンタルホテルを眺め、ディスプレイに映っていた部屋を探す。眺め終わって振り返ると、窓のこちら側にホテルの一室を図示した紙が貼られており、そこには「○○○○号室、写真をお渡しします。」と書かれ、ホテルを観察していた鑑賞者こそが逆に観察撮影される側であったことが示される。
この専攻を今まで見てきた中で最も大掛かりな作品です。いっけん見た目は簡素ながら、その実は展示会場という枠を大きく越えて広がる作品世界に思わずニヤリとしてしまいました。前作「Coney Island」を承継しつつ、その作品スケールを軽々と飛び越えてしまった手腕に脱帽。直接は関係ありませんが、池水慶一の「猫はどこへいった?」を思い出しました。
鑑賞者が実際に訊ねて行って写真を受け取ってこそ作品が完成するのではないかとも思え、作品の維持管理運営ハードルの高さが想像されます。果敢な試みに敬意を感じました。


それぞれさまざまな方向性を持った作品が揃っていて楽しめました。3期生の方々の個性に期待するとともに、終了制作へどのようにつながってゆくのか、どんな驚きを提示してくれるのかが楽しみです。




行ったもの、行けなかったものメモ。

2009-07-11 01:58:00 | お知らせ
すっかり放置しておりましたが、徐々に復活の兆し。
みなさまいかがおすごしでしょうか。
あまりあちこちのサイトもチェックしておらず、相当にいろいろ疎くなってしまいました。
コメントやメールをいただいていた方、申し訳ありません。
まだしばらくばたばたしそうですが、とりあえず、4月以降何とか行けたもの、行けなかったものをざっくりメモ。

・4月17日 仙台市博物館「朝鮮王朝の絵画と日本 ~宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美~」
若冲目当て。思いがけず紙織画との比較展示がなされており興味深し。個人的には、紙織画と升目書きは全く異なるものであるという印象を受けました。3期に分けて「白象群獣図」「鳥獣花木図屏風」等が展示されるというので全期行くつもり満々でしたが、その後ふたたび体調を崩して第1期のみしか観られなかったのが悔しいところ。しかし第1期のみであっても盛りだくさんで充実の作品群は圧巻でした。
実は巡回展だったらしいのですが、それにしても、
栃木県立美術館 http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/jp/exhibition/t081102/index.html
や静岡県立美術館http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2008/06.php
岡山県立美術館http://www.pref.okayama.jp/seikatsu/kenbi/exh_0906-07.html
に比べて仙台市博物館http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/tenrankai/year/index.htmlの広報のやる気のなさが勿体無くてしょうがない。せっかくの企画展が不憫です。

・4月24日 が~まるちょば「silent comedy japan tour 2009」http://www.gamarjobat.com/index.html
@青年文化センター。当日券での鑑賞。が~まる劇場といくつかの小品、そして大作「街の灯」。モヒカン頭の二人組が繰り広げる、確かなパントマイム技術に裏打ちされた爆笑と感動の無言劇。
上質のエンタテインメントだと思います。2008年の公演に続く2回目の鑑賞ですが、安定した内容に感服。来仙の際にはぜひまた観たい舞台です。今回の演目の中では「やかん」が好きでした。

・5月27日 ラーメンズ「TOWER」
@青年文化センター。2年ぶりの公演。前作の完成度が高かっただけに今作は不発感がぬぐえず。残念な印象。

・7月11日 国立新美術館「野村仁 変化する相―時・場・身体」
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/nomura.html

・7月11日 21_21 design site 「骨展 骨とデザイン つくられた骨、未来の骨」
http://www.2121designsight.jp/bones/

・7月11日 横浜開港Y150
仙台からの格安夜行寝台ツアー(583系)での参加。開港博には見向きもせずに同行者と美術館をめぐるが、夜にせっかくだからと「ラ・マシン」の蜘蛛と「BATON」を鑑賞。
ラ・マシンのパフォーマンスは圧巻。以前映像に魅せられて「巨人の神話」「スルタンの象と少女」のDVDを購入したのだが、蜘蛛でこれだけの存在感を誇るのであれば、巨人や象はどんなにか素晴らしいものであっただろう、と焦がれる。近くにいると音楽が聞こえにくいのが少し残念。
あまり真面目に観ていないので何とも言い難いけれど、ざっくりした印象では、横浜開港博自体は施設と広報は立派だけれど内容が伴っていない感が否めず。私にとっては観るべきものは蜘蛛だけ、という感想を抱きました。
この日はあわよくば上野の森美術館の「ネオテニージャパン」も観ようと考えていたものの、体力が追い付かず、断念。巡回展の秋田か新潟に期待。