はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">「内容には触れないラーメンズライブ感想」あるいは「ライブを経験した目

2004-09-28 03:59:33 | ラーメンズ
 8月の札幌ラーメンズライブ3公演を鑑賞してから心に浮かんだことがらが色々とありました。ところが、なんとなくまとまりかけたところで欧州ゆき。気がつけばあのライブからひと月以上の時間が流れてしまいました。舞台の記憶はまだまだ鮮明ですが、心に浮かぶアイデアは日々変わってゆくもの。ある意味生モノ。
 考えが雲散霧消する前に少しだけ、ライブの内容を記録した覚え書きスケッチとはちょっと違った「ライブ感想」あるいは「ライブを経験した目で見たラーメンズ分析」を残しておこうと思い立ちました。ということで以下に駄文をしたためてみます。ラーメンズを御存知ない方には意味不明の文章になってしまうかもしれませんが、そこのところはどうか御容赦を。


○ライブの意義

 まずは、舞台を見慣れていらっしゃる方々からすれば今さら言うまでもないであろう「舞台は生モノ」という命題から。
 7月の「レンズ」を2ステージ見た時から薄々感じてはいましたが、「舞台は毎回がらりと変わる」という事実をこのラーメンズライブではじめて強烈に実感しました。まずもって、同じコントでも公演ビデオとは全く違った雰囲気です。加えて、3回の公演が3回とも劇的に変わって見えたのです。衝撃でした。
 もちろん、小ネタが変化してゆくというせいもあります。しかし、それだけではありません。たとえばもしも公演ビデオと寸分変わらない台詞を演じたのだとしても、話すスピード、抑揚、間、表情、細かい動作、これらが毎回微妙に変わってきます。客席の反応も変わってきます。そうすると、その微妙な違いの集積が「雰囲気」の違いとなって具現化してくるのです。つまり、どんな公演も必然的に毎回違った雰囲気になってしまう。すべてが全部同じということはありえない、というわけです。
 言葉で聞いて頭ではわかっていたつもりでしたが、目の前でその「違い」が展開してみると、自分がいかに生の舞台というものの本質を理解していなかったかを思い知りました。
 生み出されては消えてゆくヴァリエーション。消えてゆくからこそライブなのだなあと、一度きりだから演じ手と観客両者にあれだけの集中力と緊張感、緊密感が生まれるのだなあ、と、ライブの意義に思い到って感慨ひとしおでした。


○アクシデントと笑い ~片桐氏と小林氏。ふたりの演じ手としての特性~

 生ラーメンズを見て一番驚いたのが、アクシデントを笑いに転換する能力です。
 それに関連して、今回のライブでは、ビデオでは見えなかったお二人の演じ手としての特性が垣間見れたようで非常に興味深かったです。
 どういうことかと申しますと、たとえば、まずは小林さん。よーく聞くと、大筋とキーワードだけはしっかりと押さえていますが、台詞を一言一句正確に言っているわけではないと気付きました。毎回言い回しが微妙に変わっていたりするのです。発せられる言葉ひとつひとつに耳を澄ましていて、その流れにふさわしい言葉を常に模索しているように見受けられました。ですから、小林さんに「言い間違い」は無く、どんなに台本と違っても即興のヴァリエーションが生み出されるだけ、という無敵のお膳立てが出来上がっているように思えるのです。おそろしく回転の早い方だなあ、とつくづく思います。
 「レンズ」東京千秋楽では初めて目にする小林さんの攻性のアドリブ大王ぶりに驚きましたが、今回のライブを観て、むしろそちらのいわゆる「やりたい放題」なほうが舞台上の小林さんの本質なのではないかと直感しました。言ってしまえば、公演ビデオでの彼は仮の姿。ビデオ収録のときには猫をかぶっているに違いない(笑)と。
 回転の早さ、美しい所作、そして、変幻自在の存在感。小林氏が多くの人を魅了してやまないのも、当然とも言えるのかもしれませんね。
 対して片桐さん。イメージとは異なり、台本に非常に忠実。声の抑揚から表情、間にいたるまで見事にコントロールされていました。自ら「プレーヤータイプ」と評していらしたように、作り手の要求に応える能力は実際のところピカイチなのではないかと。じじつ「型」の再現力には目をみはるものがありました。しかし話はここで終わりません(笑)。その基本の「型」が「型」としてまずあって、それを小林さんが突っついて崩してゆくときに垣間見える“片桐仁”の本質-----人柄の良さと抜群のパフォーマンス力・身体能力、そして度量の大きさ-----そのチラリズムの絶妙のバランスが片桐さんの最大の魅力なのではないかと思えるのです。
 そう考えると、小林さんがアドリブで片桐さんを翻弄するのも、彼のその魅力を引き出すための緻密な計算の上に成り立っているのかも知れないな、と、そしてそんな小林さんの計算を片桐さんは大きな度量でおおらかに包容しているのかもしれないな、と、そんなことを考えました。
 つまり、以上をまとめますと、ラーメンズのアクシデントを笑いに転換する能力は 1、小林さんの積極的なアドリブ 2、基本に忠実ながら壊れた時に最大の魅力を発揮する片桐さん 3、片桐さんをコントロールする小林さん 4、そんな小林さんを無条件に援護する片桐さんの度量の大きさ これらの要素で補強されている部分が大きいのではないか、と。
札幌ライブを通じてそう分析した次第なのでありました。


とりあえず本日はこれにて。
長々失敬。読んでくださった方、ありがとうございました。



<font size="-3">このblogの致命的欠陥。</font>

2004-09-27 23:55:36 | 本日の発見
このblog、Netscapeで読み込むとレイアウトが著しく崩れてしまうことを発見。
記事どうしが重なるわ、古い記事が途中で切れるわ、もう大変です。
これではNNユーザーにとってはとても読めたものじゃない・・・・。
致命的ではないですか。これは困った。
ほかのブラウザではどうなんでしょう?
きちんと読めているのだろうか・・・。
う~ん、ちょっと不安。



<font size="-3">欧州レポート関連写真とフォトアルバムのご案内。</font>

2004-09-25 06:56:55 | お知らせ
欧州レポート関連の写真を少しアップしました。
まず、第一弾はりんごと牛乳の話。こちら↓に入れてあります。
●フォトアルバム「欧州なんとなく紀行2004」
 2004年秋の欧州行きについて、なんとなくレポートした写真付き記事を気まぐれに御紹介しております。


おまけとして、ポンピドゥーセンターで買ってしまった鉛筆のこともこちら↓に。
●フォトアルバム「本日のデザイン買い ~デザインKO。参りました!~」
 デザインで思わず買ってしまった商品、または「参りました!」と感じたデザインを御紹介しています。


興味がございましたら、どうぞご笑覧ください。



<font size="-3">「kino」と「キノの本」感想覚え書き。</font>

2004-09-24 03:53:27 | 佐藤雅彦
佐藤雅彦の短編映画集「kino」、そして「kino」製作にかんする解説や感想を綴った「キノの本」、つづけて満喫しました。

まず、映画「kino」本編を観て、「ありがとう佐藤雅彦!!!」という感情で頭の中がいっぱいになりました。
とにかく感動してしまって、なぜかもわからないまま涙が流れる流れる。
佐藤さんご自身が帯の文句で公言していらっしゃるように、たしかに実験的な手法にあふれた映画です。
短編のひとつひとつに「こういう手法で作ってみました」という角書きが貼ってあるかのような潔さすらあります。
しかし、映像実験であると同時に、カメラはあくまで「人間」を見つめているのです。「実験」なのに「人間」を向いている。それだけでもうなんだかうれしくなってしまって、最後は涙が止まりませんでした。
ちょっとした驚きと、感心と笑い。「ええっ?」「おおっ!」「くすっ。」が満載。
そしてなにより優しさと幸福感に満ちています。
どこか遠い国の、どこにでもありそうなさもない日常を、斬新なアイデアでやさしくすくいとった、なんとも心地良い作品です。
「ピタゴラスイッチ」の原形、萌芽ともとれるような手法も随所に見られ、佐藤雅彦の進化までうかがい知れる貴重な1本。
今後、好きな映画は? と訊かれたら、間違いなく「佐藤雅彦の『kino』!」と答えてしまいそうな予感がします(笑)。


そして、「キノの本」。「kino」中の六つの短編「オセロ」「ホテル・ドミニクの謎」「反抗期」「おばあさんの天気予報」「Point」「大人の領域、子供の領域」についてのプロダクションノート、絵コンテ等が佐藤氏のエッセイを折り込みつつまとめられています。
数々の著書や「佐藤雅彦全仕事」、「広告批評」の特集などで目にするのとかわらず、常にわかりやすく誠実な語り口。今現在とくらべてみても、当時からゆるぎのない方法論と主張の一貫性があったとわかります。さらに氏の思考の進化がうかがい知れ、読めば読むほどに頭が下がります。
常に新しい表現というものを誠実に追い続けているその姿勢。やはり佐藤氏は研究者としての私の心の師匠です。


美しくて、謎があって、笑えて、そこはかとなく幸せなもの。そういうものが好きなんだなあ、と自分の嗜好を再確認した今宵でありました。


<font size="-3">「キノの本」発見!</font>

2004-09-23 23:31:08 | 佐藤雅彦
佐藤雅彦の短編映画ビデオつきテキストブック「キノの本」を発見しました!
昨年からずっと探していたのですが、某熱帯雨林系書店でも品切れになっていたため半ばあきらめていたもの。
仙台市内の某“遊べる本屋”でまさかの邂逅を果たしました。
いったいどこから仕入れたんでしょう?
(この調子で「動け演算」も仕入れてくれないかなあ・・・・)
あなどれじ、○ィレッジ・○ァンガード。
あなどれじ、仙台。
これから観賞。今日は眠れるんでしょうか・・・・(笑)。



<font size="-3">「誰も知らない」感想覚え書き。</font>

2004-09-22 23:52:45 | 日記・エッセイ・コラム
映画「誰も知らない」を観てきました。
母親に遺棄された4人の異父兄妹たちの1年を描いたドキュメントタッチのフィクション作品。是枝裕和監督。主演の柳楽優弥がカンヌ映画祭で日本人初、世界最年少の主演男優賞をとって脚光を浴びたのが記憶に新しいかと思います。
私自身は広告批評7月号の特集がきっかけで行きました。上映終了間近。ギリギリでした。


優しさに満ちた映画、という印象を受けました。
子供達の置かれた過酷な状況はたしかに現実としてそこにある、けれど、「悲惨な」という言葉だけでは形容しきれない独自の暖かな世界を子供達が築いていたと、そう納得させられるような作品だったと思います。
弱いものが、さらに弱いものを気遣い、守り育てようとする。半ば本能的ともいえる子供達のその優しさに満ちたまなざし。つらい現実の先にもまだ日常は続いてゆくと受け容れたかれらのしたたかさ、たくましさ。
それらすべてを包み込むような監督の暖かな視線を映像の端々から感じました。
出演者たちの演技も本当の日常を見ているようでまったく無理がない。素と勘違いしてしまいそうな子供達の魅力にしてやられました。柳楽さんの目力にも脱帽です。
こんなところで泣いてる人間なんているのか?と自分に突っ込みを入れながらも、何故だかラストシーンのシゲルに涙してしまいました。あの無邪気なたくましさ。無垢なしたたかさに弱いわたくしでございました。
決してハッピーエンドとは言えないけれど、見る側に充分な余白の与えられた作品。おすすめです。



<font size="-3">感動のピタゴラスイッチ@9/14</font>

2004-09-21 03:10:03 | 佐藤雅彦
録画しておいた9月14日放送のピタゴラスイッチをみて快哉を叫びました。
「10本アニメ」の「♪1本でできること~」
うまい! 巧すぎます!
途中からオブジェクト同士がぴたりぴたりと符丁してゆくさまは、予定調和の快感を越えてもはや鳥肌モノ。
本気で感動してしまいました!
佐藤雅彦研究室の学生さんたちは、本当に良い仕事をしていらっしゃいます。



<font size="-3">ジェームズ・タレル作品常設!</font>

2004-09-20 12:39:02 | ジェームズ・タレル
美術手帳2004年9月号に驚愕した。
瀬戸内海の直島に地中美術館というのがオープンしたらしい。安藤忠雄の最新建築物として注目されていて、そちらも気になったけれど、私の目はそれ以上にジェームズ・タレルの名に釘付けになった。
ジェームズ・タレル作品を収蔵? 3作品? しかも常設?
これは行きたい! 
しかし遠い・・・・・。
飛行機と電車と船とバスを乗り継がねばゆけないような遠き地。
おいそれとは行けない。
しかしローゼン・クレーターよりは圧倒的に現実的。
ジェームズ・タレル。名古屋市美術館で出会ってから6年。今でもあの感動が忘れられない。同じ美術展をもう一度見たくて世田谷美術館へも行った。思えば、はじめての「追っかけ」だったのかもしれない。
直島地中美術館。いつかきっと行ってやる。
とりあえず来年の目標にしたい。



<font size="-3">イギリスのりんご。そして牛乳。</font>

2004-09-20 12:16:05 | 食べ物の、はなし。
イギリスのりんごは、おいしい。子供の握りこぶし程度の小さなサイズだけれど、めっぽう甘く、みずみずしい。そのうえ良い香り。皮のままかぶりつくのがまた美味い。値段も日本円で1つ40円程度とお手頃。街中で普通に売られていて、歩きながら食べている人もよく見かける。私も惚れ込んで一日何個も食べていた。もしも検疫がなかったら何ダースでも買って持って帰りたかった・・・・。残念。
牛乳も、おいしい。量販タイプのものはwhole, half-skimed, skimed, の三種が市販されていた。牛乳愛好家の私はもちろんwholeを愛飲。脂肪分は日本同様3.5%程度とそれほど高くないものの、舌ざわりがまろやかで香りと味が良い。紅茶との愛称はもちろん抜群。1パイント入りのプラ容器がまた機能的。密閉できるネジ蓋式で、小さいながら取っ手もついている。1パイント(568ml)で日本円にして約60円というのも驚き。低音殺菌のため。冷蔵しないとすぐに痛んでしまうのが唯一の弱点だが何とも魅力的な牛乳だった。これも検疫と冷蔵保存条件さえクリアーできればケースで持ち帰りたかった・・・・。残念。しかしこちらはぜめて入れ物だけでも、と、プラ容器をきれいに洗って持ち帰った。気分だけでも英国式に牛乳ストッカーとして愛用したい(笑)。



<font size="-3">いまさらですが、「レンズ」についての一分析。</font>

2004-09-12 01:05:14 | ラーメンズ
いまさらですが、小林賢太郎プロデュース公演#4「レンズ」について私なりに気づいた点を少々。
2ヶ月を経て思い返すにつれ、実は「レンズ」は新しい手法の実験的作品だったのでは?と思うようになりました。
どいういうことかというと、たとえばラーメンズのコント「採集」では前半の笑いが高確率で後半の伏線になっています。奇妙な卓球も、「再会」にノロケるプリマも、ジャックの奇矯な行動も、面白おかしい思い出話も、すべて後半の「推理」に収斂してゆく。しかもこれは、笑いが記憶に残りやすいことを利用した「笑い=記憶=伏線」の手法でもあります。私はこの手法に新しさを感じるのです。
笑いと伏線を関連付けた例は過去にもありました。が、これだけ高精度かつ顕著に示されたのは「採集」がはじめてではないかと私は勝手に分析しております。
さて、「レンズ」。
私はここにこの「笑い=記憶=伏線」手法の見事な結晶を感じるのです。この視点から見れば、「レンズ」は「採集」以上に無駄がないことがわかります。ほとんどすべての笑いが謎解きへ向かう「物語上の必然」として作用している。
つまり、笑いによっていかに謎を構築・解体しうるかといった命題へ挑んだ結果が「レンズ」という作品だったのではないか、と。
そういった意味で、実は「レンズ」は新しい手法の実験的作品だったのでは?と、そう考える今日この頃でございました。



<font size="-3">「MASK DE 41」と「痛くなるまで目に入れろ」簡易覚え書き。</font>

2004-09-12 00:36:03 | 日記・エッセイ・コラム
実は本日、こっそり国外脱出予定。そのため都を訪れたのをいいことに前泊の昨日は映画と芝居をハシゴいたしました。

「MASK DE 41」
片桐さんと田口トモロヲさん目当てでゆきました。我が地方では上映してくれそうな気配がないのでこちらで鑑賞。
突然逆境に放り込まれたオヤジさんたちのプロレス青春映画。迫力と脱力と切なさと爽快さ、すべて詰まっています。好きです、こういうテイスト。
ところで、この作中の松尾スズキさんが「水曜どうでしょう」の藤村Dに似ているような気がいているのは私だけでしょうか・・・(笑)?


「痛くなるまで目に入れろ」
G2プロデュース#8公演。ほぼ久ヶ沢さん目当てでゆきました。11日14時と19時の2ステージ鑑賞。
物語の時系列を崩し、シャッフルした断片を並べ替えてゆくような話はこび。パズルゲームのような緊張感を楽しめました。今回はとりわけ、久ヶ沢さんの声の魅力を再認識。