はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

ブルックナー交響曲No.7。

2006-10-31 22:34:01 | さもないこと
テレビ番組で一瞬流れたフレーズがブルックナーの交響曲第7番。
突如猛烈に聞きたくなる。
できればスクロヴァチェフスキの指揮で。
しかしCD-BOXは引っ越しで所在不明。
苦吟。
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ちなみに、有名なのは4番と7番と9番ですが、私はじつはひそかに6番が好きです。


「がんばれ!図画工作の時間!! フォーラム」に賛同。

2006-10-30 02:08:06 | アートなど
「大江戸動物図館」リベンジ鑑賞のことや若冲の升目描きことなど書きたいことは多々あるのですが、あまりに驚いてしまったので、まずはこの話題から。
リンク元を辿っていてゆきあたった情報。

大きく削られてしまった小学生の図画工作の時間を復活させるため、図画工作の重要性を訴える運動が発足したようです。
その名も「がんばれ!図画工作の時間!! フォーラム」。
いわば『図画工作の応援団』を目した活動が展開されてゆく模様。
中心メンバーは藤幡正樹氏を筆頭に、佐藤雅彦氏、上田信行氏、堤康彦氏。

思いもよらない情報でしたが、いっぽうで、佐藤氏がその講演の端々で訴え続けてきたことがらの点と点がつながったような気がして腑に落ちました。
藤幡氏と佐藤氏がらみの運動ということにも驚いたのですが、それ以上に驚いたのが図工をめぐる切実な現状。
以下、フォーラムサイトから抜粋。

『図画工作科の授業は、平成元年度に、年間70時間から年間50時間(小学校高学年)に削減されました。 「がんばれ!図工の時間!!フォーラム」では、「図工の時間」の維持・拡大を目指し、「図画工作科の授業時数を増やすことに賛成します。」という項目で署名運動を行います。』


70時間から50時間に削減?
ありえない!
よもや、小学校の図工の時間がそんなことになっていようとは思いもよりませんでした。
びっくりです。
小学校高学年といえば、彫刻刀や小刀の使い方に習熟したり、色の混ぜ方の規則性に感づいたり、自在に作ることの可能性に目覚めたり、真似から飛躍する準備をしたり、何より、夢中になって頭の中を具象化しようとする自らの衝動に気付く、そんな年代です。
この時期に図工を通して学ぶことは、のちに科学や文学へもつながる重要な基盤になる、と、自分の体験を振り返ってもそう思います。
実習があるという点では理科や技術家庭科と共通する部分もあるかもしれませんが、図工は何より『作ること自体』そして『かたちにすること自体』を目的としている点で大きく異なると思えます。目に見える実利性ではなく、もっと人間性の本質と直結するような何かが図工によって養われるように思えてなりません。
ですから、私もこの図画工作応援団たる「がんばれ!図画工作の時間!! フォーラム」には大いに賛同いたします。
そして図工の拡充ついでに、図工における生徒評価が、上手さだけでなく個性も考慮に入れたものになることも併せて祈りたいです。

目の前でモノを作ってみせると、子どもたちは必ずと言っていいほど手元をじ~っと見つめて夢中になるものです。
絵しかり、折り紙しかり、ハンコしかり。
小細工好きとして、私も自分なりのやり方で図工する心をこっそり広めてゆけたらいいなと思っています。

なお、引用のとおり上記フォーラムのサイトでは、図画工作の時間拡充を求める署名運動が行われていますので、趣旨に賛同される方は、ぜひぜひ署名なさってみてはいかがでしょう。
「がんばれ!図画工作の時間!! フォーラム」のサイトは→こちら


「100%」にトリハダ。

2006-10-28 11:04:26 | アートなど
デザブロネットで教えていただいた情報です。

100% というデザイン集団。
これが、すごい。
電球の電球。
自立する傘。
サクラサク グラス。
竹の蛍光灯。
マグネットピンで壁に収納。
どれも『うひゃあ!』なプロダクトです。

コンセプトは『鳥肌の立つデザイン』とのこと。
深く納得。
驚きのプロダクトたちは→こちら でご確認を。

自立する傘は確実に買ってしまうと思います。
2月の発売が待ち遠しい。
100%、今後も目が離せません。


「ポツネン」発売は本当に早いのか。「GBL」発売は本当に遅いのか。

2006-10-27 04:17:19 | さもないこと
「ポツネン」DVD発売は本当に早いのか?
「GBL」パッケージ化は本当に遅いのか?

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000JVS5B6&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
「ポツネン」および「ポツネン○」のDVD発売情報に触発され、ラーメンズ関連公演の映像発売スパンについての調査をJSRブログへ掲載いたしました。
上の疑問への答えは調査記事にて(笑)。
(調査該当記事は→こちら


生涯経県値2006。

2006-10-25 00:50:26 | さもないこと
ハンコのras師匠のところで知った「生涯経県値」。
面白そうなので、さっそく集計。

結果は→こちら

あきらかな偏りが。
21世紀美術館と直島地中美術館と山口情報芸術センターに行ければ、さらに何県か制覇できそうです(笑)。
そしてこういうマップに、どうでしょうやラーメンズを連想したのは私だけではないでしょう(笑)。
嗚呼、不思議の国のニポン。


言葉にふと立ち止まる。

2006-10-24 23:38:01 | さもないこと
茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」の10月24日付エントリより。

「日本人の一人ひとりが、もっと自分自身
だけで立って、孤独になるだけで、日本という
国は変わるかもしれませんね。」


この言葉に痺れました。
文脈に立脚した意味合いと、文脈から分離した意味合い、両方の意味で。
文章を読んでいて、単離されたひとつのフレーズに痺れたのは久しぶりです。
孤独であることと自ら立つこと、孤独を前提に尊重し助け合うこと。
近頃切実に感じていたとある命題への解釈を提示されたようで、ふと立ち止まって思いを巡らせてしまいました。
茂木氏に感謝。

なお、クオリア日記の該当記事は→こちら


寒い。

2006-10-24 23:16:11 | さもないこと
ここのところ、まだ10月だというのに凍えています。
エアコンを入れても室温が17℃を上回ってくれません。
動いているうちはいいのですが、じっとしていると辛い。
こんな時期から石油ヒーターを使うにしてはシャクな灯油高。
コタツの購入を真剣に考え始めたここ数日です。


緑の誘惑。

2006-10-23 22:05:12 | piper
↓欲しいもの。緑色のレーザーポインター。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000B58BR8&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
(メーカーの商品解説サイトは→こちら

数年前、社会人になってからお世話になった教授が使用なさっていて、気になったのが発端。
そこへきて、後藤ひろひと氏の自己言及的色弱ネタに興味を持ち、調べてわかった色のバリアフリーの世界。
(そのときの記事は→こちら )
理論上、日本人男性の実に5%、欧米人男性の7%が色盲であり、AB型の血液型割合とほとんど変わらないということ。そうなるともう、色盲は単なる見え方の個性に他ならず、もっと普通に配慮されてしかるべきということ。そしてさらに、赤いレーザーポインターは色盲の方々にとって非常に見難いものであるということ。
これらを知って、緑のレーザーポインターに興味津々。
しかし、値段を見て愕然。一桁違う!
・・・ということで、一旦は諦めていた緑のレーザーポインター購入作戦。
ところが、忘れた頃に思わぬ誘惑が。

先週拝見した、「勝手に広告」のギャラリートーク。
その中で、なんと、佐藤雅彦氏が緑のレーザーポインターを使用なさっているではありませんか。
はじめに試したのが赤で、それをやめて緑にしていましたので、あれは意図的な選択でしょう。
さすがというか、なんというか。感心しつつ、ちょっとうれしくもあり。
それがきっかけでふたたび緑のレーザーポインター熱に見舞われています(笑)。
昨年調べた時より若干市場価格が落ちているのと、パワーポイント送り機能が追加されているのも魅力。
スライドを使う機会も多いので、マイレーザーポインターを持つのも悪くないかなと思えます。
この誘惑に屈する日もそう遠くないかもしれません(笑)。


【情報】小林賢太郎氏ソロコントライブDVD発売。

2006-10-23 20:34:46 | アートなど
小林賢太郎氏のソロコントライブ「ポツネン」および「ポツネン ○-maru-」のDVD発売が決定した模様です。
2007年1月17日発売とのこと。
予想に違わずGBLに先行。そして、予想に違わず二枚組。
あの二つのライブが一つの作品を便宜的に区切った結果、副次的に2部作として再構成されたものであることをうかがわせる販売方法です。
映像作品として見た時にどのようなトーンが再現されるのかが非常に興味深い。
そして、私の唱える『maruのオープニング映像は谷篤氏が作成したに違いない説』が棄却されるか否かも興味深い。
記憶の中の音楽が当たっているかも興味深い。
佐藤雅彦氏関連の手法を検証する意味でも興味深い。
興味深いづくしのDVD発売情報。とにかく楽しみです。
なお、詳細は ラーメンズ公式サイト「Rahmens.net」のNewsおよび下記amazonのリンクでご確認を。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000JVS5B6&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>


猫の毛色に潜む真実。

2006-10-23 20:10:59 | さもないこと
体色つながりでひとつ、カエルの件で思い出したので上げておきます。

10日ほど前、ペットクローンの販売業者が廃業したというニュースがありました。
アメリカのベンチャー企業が発案したこのビジネスは、クローン技術を使って、失った猫と同じ遺伝情報を持ついわば『分身』を提供しようというコンセプト。
ところが、クローン猫の生産自体は成功したものの『毛の模様が違う』としてクレームがつき、業として成立しなくなってしまったとのこと。
(詳細はasahi.comの該当記事→こちら を参照。)
この話を読んで、牛の胚分割クローンのことを思い出しました。
分割初期の胚は、細胞をいくつか取っても残りの細胞で正常に発育します。この現象を利用して、胚を2つ、あるいは4つに分割して人工的に双子や4つ児をつくり、優秀な牛の個体数を増やす試みが畜産業では研究されています。
4分割クローン子牛の写真を見せてもらったことがあるのですが、遺伝情報は同じはずなのに何故か毛の模様が微妙に異なっていました。
当時は不思議に思っていましたが、今ならばある程度納得がゆきます。
いわゆるエピジェネティックな機構が働いていたのだなと思うのです。
エピジェネティックとは、DNAや遺伝子に頼らない個体設計のしくみです。
少し前までは、DNAや遺伝子が生命の設計図のすべてだと考えられていました。しかし、それだけではどうしても説明のつかない現象がたくさんあり、最近では、遺伝子そのものではなく、遺伝子の発現を制御することによって間接的に個体発生に影響を及ぼすしくみがあることがわかってきています。具体的には短鎖RNAによる発現抑制機構などが挙げられていますが、その全貌については未だによくわかっていません。

今回の猫クローンの毛の模様の件は、まさしくこのエピジェネティックなしくみが猫の毛の模様を決定していることをうかがわせます。

近年のバイオ技術には目覚ましいものがあります。
しかし、それらも、既にある生体の部品に手を加えて加工・制御しているにすぎません。
いくらわかったつもりになっても、次から次へと謎は産まれてきます。
生命について『何もかもがすっかりわかる』ということなどあり得ないのではないかと、何も無いところから細胞ひとつ、生命ひとつ作ることもできないのが人間なのではないかと私には思えてなりません。
『わかろうとすること』は私自身にとっても止められない煩悩のようなものなので、次々と産まれる謎に対して次々と謎解きをしてゆくことは科学者にとって当然の衝動といえると思います。
ただ、サイエンティストの端くれとして、猫の毛色に潜む真実に思いを巡らせながらも、生命の持つ深遠さと科学の前に横たわる深淵については真摯に受け止めたいものだと思っています。


東京小ネタ集。

2006-10-22 21:54:37 | さもないこと
Kurankuesukareta東京駅のクランク型エスカレーター。
何度も乗降しているにもかかわらず、初めて気付きました。
ひそかにすごい。
 
 
 
 
 

Nihonbasi01日本橋の風景。
右上はキリン?
地下から見上げた陰影のかたちが鮮烈。
 
 
 
 
 
 
 

Sinkansentikasekai01新幹線の地下世界。
ホームの下にはこんな世界が広がっていたようです。
 
 
 
 
 
 
 

Mitaina01「みたいな・・・」。
某駅ビルでみかけたワゴン。
「ブランド品『みたいな・・・・』」という表記が確信犯的。
日本語って便利~。
みたいなみたいな。


ニュートンリング。

2006-10-22 21:38:45 | さもないこと
Newtonring01思わぬところにニュートンリングが!
指で押すたびに様々な模様が現れます。

顕微鏡用の組織切片標本をつくったことのある方にはおなじみのニュートンリング。
よく見かけるのはプレパラートやカバーグラスの間に観察されるものです。
しかし、今回は非常に身近なところでの遭遇。
さて、これが何かと言うと・・・・・。

無印のポケットつきノートブック。
ポケット部分の合わせ面が曲面レンズの役目を果たしているようです。
無印のデザイナーも、まさかこんな作用があろうとは思ってもみなかったのではないでしょうか。
意図せずアーティスティック。
光の干渉による模様がお好きな方には、ひそかにおすすめです(笑)。

なお、ニュートンリングについてはこちらの大阪教育大学のサイト がわかりやすくておすすめです。


東京遠征10/19。

2006-10-21 08:29:10 | アートなど
10月19日は、野暮用のついでに東京で展示会1つとトークイベント1つを観て参りました。

まずは、日本橋のDIC COLOUR SQUAREで開催中の「COLOUR OF 10」。
10人のクリエイターたちによる、「色」をテーマにした作品の展示会です。
佐藤雅彦氏とその門下である気鋭の集団ユーフラテスの手がけた作品があるというので足を運びました。
行ってみれば、非常にユニークな作品ばかり。
まず、ユーフラテスの「midnight animation」は、暗闇の中でじつに驚くべき手法を呈示した作品。科学的であると同時に独特のユーモアも感じさせてくれます。実利的なはずの『休憩』には何故か思わず笑ってしまいました。色と光と知覚の関係性に深い考察をめぐらせたくなること請け合い。佐藤氏の流れを汲む表現は、毎度ながら『なんて素敵なんだろう』と思わせてくれます。科学の素養を持つ方や、オラファー・エリアソンに感激した方、そして何よりものごとの純粋な面白さを愛する方にとっては特におすすめです。(一つだけ不安な点は、第1第2色盲の方々への物理的問題。ひょっとすると作品を体験できない方もいらっしゃるかもしれません。)
他にも、永山裕子氏の「The tale of right」が非常に面白い。偏光レンズを利用した、これも驚くべき視覚効果をもたらす作品。我々が普段目にする色が反射光なのに対し、呈示されるのは透過光で構成された色。「色」とは何かを、驚きと楽しみをもって考えさせてくれる作品だと思います。
衝撃的だったのは、寄藤文平氏の「Color violence」。文字通り、暴力的なまでの色の力を見せつけてくれる作品です。衝撃的すぎて思わず笑いが込み上げました。
森本千絵氏の「イロニンゲン プロジェクト」も面白そうだったのに、時間がなくてじっくり見られず、残念。
会期は11月7日まで。ぜひもう一度訪れてみたい展示会だと思いました。

さて、次に訪れたのはギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で開催中の「勝手に広告」展のギャラリートーク。
『"表象"はどのように現実世界に定着するのか。 -「勝手に広告」を例として』と題し、写真家のホンマタカシ氏を迎えて、クリエイターの中村至男氏と佐藤雅彦氏が「勝手に広告」プロジェクトの構築過程と、その表現を支える技法について語った鼎談です。
冒頭では、地下展示室からの『中継』で作品を解説するというサプライズ。ホンマタカシ氏の撮影するカメラで中村氏と佐藤氏が作品を紹介しながら、ときに実演。思わぬプレゼン形式に会場からは随時笑いが。出演者たちが目の前にいないにもかかわらず、会場はどっと暖まりました。
ついさっきまで自分がいた現場を、モニタを通したライブ映像で見るのはとても不思議な気分でした。トーク会場はgggの5階なので、物理的にはほんの数階離れただけの距離なのに、空間だけでなく時間的にも隔絶されているかのような感覚をおぼえました。人間の認識する現実感について少し考えさせられる体験でした。
地下での解説を終えると講師3人がエレベーターから登場。その後、スライドショーを使用しつつ、佐藤氏のナビゲーションによって主に中村氏がコンセプトと技法について詳細を話し、ときたまホンマタカシ氏にコメントを求める、という形式でトークが進みました。
話の内容も示唆に富んで興味深かったのですが、何より印象的だったのは、あの3人の取り合わせ。面白い。面白すぎます。中村至男氏は作品から受ける印象そのままのきちっとした几帳面な雰囲気。対してホンマタカシ氏は、写真作品からは繊細で神経質な印象を受けますが、ご本人は自身も『僕は大雑把です』と言うほど非常におおらかで大胆なアーティストっぷり。中村氏がひとつひとつ丁寧に言葉を選んで話せば、ホンマタカシ氏が思いもよらないコメントを放つ、佐藤氏はそんな対照的なお二人をニコニコしながら眺めている、といった、とてもほんわかした鼎談でした。
私が受けた印象では、佐藤氏はホンマタカシ氏のパーソナリティが大好きなんではないかと感じました。『中村さんは几帳面なんですが、ホンマさんはこのとおりなので、2人が同じスタジオで一緒にいるととても面白いんです』と言ってみたり、トーク中はいつも平然としているあの佐藤氏が思い出し笑いで言葉を詰まらせて『ごめんなさい』とつぶやいてみたり。三者三様の個性と相互作用が本当に面白くて興味深いです。
どこまでをどちらが考えたのかを忘れて仕事の分担境界がわからなくなるほど緊密な感性と世界観を共有する佐藤氏と中村氏。その世界へホンマタカシ氏が撮影者として加わることで、一連の作品がより豊かになったであろうことがうかがえました。
他にも中村氏の『説明になってはいけない、少し足りなくて、最後の1本の線を見る人が頭の中で引くくらいがちょうどいい』という趣旨の言葉、そして版の大きさによってVittelのフタの線の数を変えているという話、ホンマタカシ氏が鉛筆の森の撮影について話した『僕の中でこういう世界に見えていたからこういう写真が撮れた』という趣旨の言葉、そしてグリコシティを怖いと評した(『だって至る所にあの子(ビスコの子ども)の顔があるんですよ。監視されてる気分になるじゃないですか』と大真面目で発言)り、Vittelのダムと水道契約できたらいいのにと語るホンマ氏の感性が印象的でした。
総じて、確固たる個性は大きな力になること、そして、でき上がった作品を見るのも面白いけれど作成されてゆく過程を知るのはもっと面白いこと、それらを実感したギャラリートークでした。
そのうち簡単な覚え書きを書く予定ですので、興味のある方はいましばらくお待ちください。

ところで、ホンマタカシ氏は阿部サダヲ氏にちょっと似ているような気がするのは私だけでしょうか(笑)。
気になります。