はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

東京遠征3/4。(文化庁メディア芸術祭リベンジ)

2007-03-05 22:34:25 | アートなど
昨日3月4日は、一昨日に引き続き、恵比寿の東京都写真美術館で開催されていた「文化庁メディア芸術祭」へ行って参りました。

今回は朝一で行ったため、体験型の作品「SAVE YOURSELF!」と「X-MAN」もきっちり体験することができました。
「SAVE YOURSELF!」は、前庭器官への電気刺激によって平衡感覚を操作できることを利用した作品。体験者が手に持った水桶の中に重力センサを浮かべ、その揺れが電気刺激として体験者にフィードバックされるというもの。すなわち、手に持ったセンサの感じる揺れがそのまま本当の揺れとして体験できてしまうわけです。水に浮かぶセンサが自分の平衡感覚を支配する言わば分身として作用するので、揺れの感覚にふらつくとそれによって手が揺れ、さらに揺れの感覚が増幅されて・・・という正のフィードバックが発生し、自分の感覚に対する新鮮な不思議さを味わうことができます。個人差があるようですが、刺激によって惹起される浮動感は私の場合相当なもので、喩えるなら『20回転ぐらいその場で全速でスピンした後に起こるめまい』のような感覚でした。刺激を止めても、体験後もしばらくめまいが続いていたのが非常に印象的です。
装置を着けて大人数で50メートル競走をしたらとんでもなく楽しいことになりそうだなあと夢想してしまいました。
ちなみにこの「SAVE YOURSELF!」体験ではちょっとしたハプニングもありました。インターフェイス調整に係る苦労がしのばれ、奇しくも、発展途上の体験型作品の醍醐味を味わえたようで興味深かったです。ある意味忘れられない体験となりました。
それと、作品とは関係ないのですが、ラボスタッフのおひとりが阿佐ヶ谷スパイダーズの中山祐一郎氏に似ていてとても気になってしまいました(笑)。
いろいろな意味で印象的な作品です。

「X-MAN」は、部分的な身体の動きを感知して振動としてフィードバックする全身スーツ作品です。黒いスーツの表面におびただしい数の万歩計と小型振動装置が取り付けられていて、体験者はそのスーツを身につけ、さらに振動感知のためエアを送り込まれた『全身血圧計』状態で作品を体験します。とにかくちょっとした動きでも感知されるので、ふだん意識しない不随意運動までもが振動として発露し、筋肉の動きを体験者へ如実に知らしめます。体験している本人は非常に面白い。しかし、端から見ていると何が起こっているのかがまったく判らないため、ギャラリーと体験者のギャップがものすごく大きくて、それもまた滑稽で非常に興味深く感じられました。
もしもスーツ同士の感知情報を入れ替えることができたら、八谷氏の「視覚交換マシン」のように「他人の動き体験スーツ」ができるんじゃないだろうかと、これまた夢想してしまいました。

他にも「言琴」の思わぬインタラクティブ性に気付いたり、「素数ホッケー」の得点が昨日よりましだったり(ゆっくり打ち返せば加速されないということに気付きました)、昨日見られなかった短編アニメーションを見られたり、と見逃していたものの多くに気付くことができました。

1Fでは「エンターテインメント部門映像作品上映会」、「エンターテインメント部門受賞者シンポジウム」(ゲストは「大神」の神谷氏、「CORNELIUS "Fit song"」の辻川幸一郎氏)、「メディア芸術祭10周年記念シンポジウム『進化するデジタル技術 拡大するゲーム市場』」(司会は石原氏のピンチヒッター浜野保樹氏、ゲストは「シーマン」の斉藤由多加氏、「パラッパラッパー」の松浦正也氏)の3プログラムを見ることができました。
奇しくもゲームと関連の深いシンポジウムを二つも聞いてしまったわけなのですが、ゲームとは最も縁遠いところに居るゲーム音痴の私が聞くにつけ、じつはゲームにあまり興味の無いアート好きにこそゲームの抱えるジレンマが理解しやすいのではないか?と思える節があって非常に興味深く感じられました。

ゲームは遊ぶこと自体が目的で、それはつまり極言すれば楽しむことを目的としているといっても過言では無いと思います。
自分自身を振り返ってみると、私が遠くまでアートをわざわざ観に行くのは『楽しむこと』が目的だからです。多少の無理をしても、いくら交通費がかかろうと、そこにある『うわあ!』や『くらくら』を求めて、どうしても観に行きたいと思えてしまう。アートにはそれほどまでの求心力があります。ところが、本来『楽しむためのもの』であるはずのゲームには、全くと言っていいほど興味が無い。これはよく考えるととても不思議なことです。
これは昨年のメディア芸術祭でも感じたことなのですが、部門を総覧すると、本来『楽しませるもの』たるエンターテインメント部門よりもアート部門のほうに、エキサイティングな作品を多く見かけるような気がします。
本当の『面白さ』は、人間の創造性(分類できないたぐいのもの)の中にあるのではないか、だからこそ、『ゲーム』として枠にはめられてしまった表現は限界を露呈させてしまうのではないか、と、そう思えてなりません。
ゲームファンとそれ以外の層とのギャップが激しくて、いくら良いものを作ってもなかなか売れないというゲーム業界のジレンマは、案外そのあたりに端を発していそうな気がします。
『面白いモノ好きでゲーム嫌い』という立場から私見を述べるなら、既存のいわゆるゲームは『プレーヤーがあたかも自由に能動的に動けると見せかけて結局は作者の用意したお膳立てをなぞるだけになってしまっている』点、『ゲーム上の目的があるため、いくら物語性があっても文学のように多様な解釈をさせてくれない』点、『競ったり争ったり何かを達成しなければいけなかったりする』点、『えてして複雑な操作性を必要とする』点、『半端な能動性を求められる』点、『このゲームにもっと時間をかけさせよう!と意図して作っているように感じられる』点、などがとても不満で、それゆえハイテクゲームには食指が動かないわけです。自分で問いを立てるんではなしに、他人の作った問いを解かされている感覚とでも申しましょうか。いくらすごい技術の結晶であったとしても、ことゲームになると、それが自分自身の自由なフィールドにはなり得ない感覚がどうしてもつきまとってしまいます。むしろ紙と鉛筆、あるいは小石と砂と粘土、木とノコギリと金槌、など、そういった素材を丸投げで手渡されたほうが自由な遊び甲斐があるのではないかと感じてしまうわけです。
明確な意味や役割を持たない技術・アートであるうちはその存在自体が面白いのに、ゲームになったとたんにつまらなくなってしまう。そんな現象が起こっているような気がしてなりません。
そういう意味で、もっと遊ぶ側の創造性を刺激するようなゲームが出来てくれればいいのに、と切に思います。
閑話休題。

前述の「エンターテインメント部門映像作品上映会」で印象的だったのは、まず、鑑賞環境の大切さ。前日にオープンフロアで同じ映像を観ていたのですが、シアターで観てみると印象の違うこと違うこと。「"Fit Song"」などは音響が命のような側面を持っているため、まるで別の作品を見ているように感じられました。映像作品を観るための環境は想像以上に大切だということに気付き、新鮮でした。
他に印象的だったのは「TOYOTAカローラ 40周年記念」のCM、そして、エステのCM「ご挨拶」。トヨタのCMでは、突拍子も無い未来とめちゃくちゃな英日本語を連発するナレーションに会場からは笑いが漏れていました。さらに極め付けは「ご挨拶」のCM。このCMには会場が爆笑の嵐。『夫を不安にさせる(エステ)』というコピーと、絵に描いたような、しかし思いもよらないシチュエーションには、虚をつかれるとともに思わず吹き出し、さらに尾を引く笑いを誘うような絶妙の滑稽さが宿っていたと思えます。

「エンターテインメント部門受賞者シンポジウム」で印象的だったのは、ゲーム「大神」クリップ映像の美しさと神谷氏のひたむきさ。ゲーム嫌いゆえ自分でプレイするのは嫌ですが、誰かのプレイを観るか、あるいは戦闘や課題のノルマを省いた『ストーリー作品』としての映像を観てみたいなあと思えました。ゲームをするのは嫌だけど内容だけ観てみたい。ものすごいジレンマです。こうやって考えると、私が観たいのはむしろ書物のように自在な参照が可能な『豪華大長編紙芝居』なのかもしれません。しかしよく考えれば、じつはこういう人間は潜在的にたくさん居るのではないでしょうか。そんな気がします。
「CORNELIUS "Fit song"」の辻川幸一郎氏は風邪なのか花粉症なのか、酷く体調が悪そうにしてらっしゃっいました。そのせいか、いまひとつ話が噛み合っていなかったような気がしないでもないですが、シンポジウム自体はなかなか感得するところの大きいイベントだったと思います。

「メディア芸術祭10周年記念シンポジウム『進化するデジタル技術 拡大するゲーム市場』」では、出席者のお三方が旧知の間柄とだけあって きわどい話も多く、なかなかスリリングかつ力の抜けたぶっちゃけ話大会のような趣でした。斉藤氏による『シーマン2』の簡単なお披露目があったり、日本とは対象的な欧米ゲーム業界の盛り上がりについて松浦氏が困惑したように語ったり、斉藤氏が分業化とマニュアル化が苦手な日本の国民性を憂えたり、既存のゲームに思考が縛られてしまっている人材の多さに警鐘を鳴らしたり。ゲーム業界の中でも独自のアイデンティティを保持しているというゲストのお二人を評して『業界の中ではちょっと変わっていてどちらかといえばアートと親和性が高い』と紹介していた司会浜野氏の話には、なんとなく頷けました。
ゲームの未来についてが主な焦点ではありましたが、たいへん多岐にわたる話、こちらもいろいろと感得するところの大きいシンポジウムだったと思います。
ところで、「シーマン2」の説明にあたって客層を知るため、斉藤氏が会場に向かって何関連の人か?と質問したのですが、「ゲーム業界の方どのくらいいらっしゃいます?」「デザイナー関連は?」「あとは学生?」と、見事に「アート好き」や「一般」の存在を失念していらしたことが、アートをめぐる状況を浮き彫りにしているような気がして興味深く思えました。
ゲーム表現世界の方々すら、『自分の仕事がアートや一般人とはほど遠いところにある』と無意識的に思っているのだとしたら、世の中から見てアートはどれほど遠く感じられていることでしょう。
作り手側がこれでは、双方が歩み寄るきっかけすらも掴めないような気がします。
世の中にとってアートがもっと身近なものとして認識されてゆくよう願ってやみません。


プログラムを見返してみて25日の「アート部門受賞者シンポジウム」と、28日の「アートとテクノロジーの出会いが独創を呼ぶ─未来のアーティストを育てるために─」を聴いてみたかったなと悔しがっています。

メディア芸術づくしの2日間。堪能しました。しかしこれでも全然時間が足りないくらいです。
会期の延長を熱望。今後に期待です。