NHK BS2の「俳句王国」を何となく見ていて、とある評者(主宰者?)の言葉への感度の悪さにびっくり。
意味を離れた言葉の響きの面白さや、多重性を持った複層的表現は、俳句においては評価されないのでしょうか。
自分が面白いと感じた点を評者がことごとく難点として指摘していたのには釈然としない気分になりました。
これは好みの問題なのでしょうか。それとも形式や作法の問題なのでしょうか。
ただただ驚きです。
意味を離れた言葉の響きの面白さや、多重性を持った複層的表現は、俳句においては評価されないのでしょうか。
自分が面白いと感じた点を評者がことごとく難点として指摘していたのには釈然としない気分になりました。
これは好みの問題なのでしょうか。それとも形式や作法の問題なのでしょうか。
ただただ驚きです。
やはり、俳句の評価に対しては皆様けっこう思うところがおありのようですね。
>あきさま
なるほど、一切の無駄を削ぎ落とした美、ですか。
こうしてみると、俳句の美というものは幾何的な美に通じるものがあるのかもしれませんね。
でも、俳句は意味を担う言語で構成されているので、どうしたって幾何的・数学的な美は成し得ないと私なんんかは思うのですよ。
むしろ言語の持つ曖昧さと多義性は最高の面白味であって、そのせっかくの面白味を使わないなんて勿体無いなあ、と。
言葉の面白さと形式的な美しさと情景的な美しさは矛盾するものではないと信じたいです。
>さとーひろしさま
俳句評を眺めていると、俳句と川柳のあいだには、外側からは見えない壁があるような印象を受けます。
でも、これもきっと歌壇が勝利者史観に基づいて勝手に想定しているお行儀の良い価値観のような気がします。
長い歴史を遡ればもっと奔放な俳句詠みが居ないはずが無い(笑)。
時代性という文脈に依らない表現、やっぱりこれが肝要ということですね。
>白片吟K氏さま
>観光パンフレットの写真みたい
なるほど!それです!
没個性というか、『こういうのがいいとされている既存セオリーで作りました』と角書きしてあるかのような。
そういう方向性を感じてしまって釈然としなかったんです。
ピア・プレッシャー的なものが大嫌いなわたくし。そういう性向は、やっぱり芸術嗜好にも表れてしまうようです(笑)。
増田明美氏の作る句、私も気になります。
時間があったら観てみます(笑)。
>mogさま
表現の上で自らに制約を課すことはとても良いことだと思うんです。
その制約を超えるために思わぬ創造性が発揮されますから。
そして、制約に甘んじること無く様々な可能性に挑んでこそが芸術。
理論的には俳句は有限です。
50音に濁音半濁音拗音等を加えた125文字の17乗句。
その有限世界をさらに狭めてしまうような価値判断はいかがなものかなあと思ってしまうこのごろです。
俳句、は季語と形式を重んじていて、今様な感覚は邪道とまではいわないけれど疎んじられているように思います。
受け狙いもすきじゃありませんがあまり型にはめ込みすぎても表現が固まってしまうのではないかな、そういうのやりたい奴は川柳で遊んでおけ、ということでしょうか。
17文字で情景を再現することを重視していて、それ以外のことは全部不要なことのように思われました。
この主催者の作る句は、情景ははっきりと浮かびますが、
その情景はなんだか観光パンフレットの写真みたいで面白みがありません。
それより、ゲストが増田明美の回が気になる・・・。
デザインとアートの違いとか
境界線のないおれはおもしろがったもん勝ちみたいな!(笑)
わたしはその番組は見ていないので実際どんな部分をどのように評されていたのかわからないのですが、以前、別口で少し感じたことがありました。それは、俳句は人によっては非常に形式美というものを尊重しているな、ということ。「ムダ」と思えるものを削ぎ落とした美しさを求める、というか。その時に、ああ、自分に俳句は無理だなと思ったのでした。
言葉に存在する含みとか
偶然に重なった響きの楽しさや心地よさとか
人によって感じるものが違ってくる可能性とか
一見ムダに見えるかもしれないものが大好き人間です・・・きっといつまでも^^