あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお付き合いのほどをお願いします。
1年の始まりの新聞の1面は昔なら富士山と初日の出の写真が多かったと記憶していますが、、、マア時事ニュースが少ないでしょうからこういうもので埋めなくてはいけなかったのでしょう。
富士山は一番遠くからでは三重県とか奈良県の山の上あたりから見えるらしいのですが、一応肉眼で大きく見える範囲を考えると、関東では東京都、神奈川県、千葉県以外では埼玉では山の上からなら見えるかも知れない。
同様に茨城県なら筑波山の上あたりならきっと見えるでしょうね・・・行ったことが無いので分かりませんが、独立した山なので見えるような気がします。
そして見える場所によって富士山の形がイメージとして焼きつけられる筈です。
東京・神奈川から丹沢とか箱根越しに見える富士山は実は親しみが湧かない感じで、同様に富士五胡方面から見た形もどこか余所行きな感じです。
更に伊豆天城方面から見たものも、伊豆西海岸からの形も。
皆自分の地元から眺めて慣れ親しんだ姿がマイ富士山だと思います
こういうものは毎日見て、網膜と脳裏に焼き付けられた形がある。
今住んでいる千葉からは正月でいつもより空気が澄んでいる晴天の日とか、晴れで風の強い日など、年に数日しか見えません・・・それも高いところから小さく見える富士の姿です。
それでも電車が高架線を走っていて車窓から見えたりすると、気がついた乗客同士が教え合ったりして喜ぶ。(そういう意味でも富士山は偉大ですね)
マイ富士山は「田子の浦湯・・・」ではありませんが、駿河湾方向から見た形、日本平から低い山並み越しに見たもの、三保の海岸から海越しに臨んだもの、薩捶(さった)峠からの富士山。
裾野があって、特に右肩に宝永山がついていないとどうも落ち着かないものなのです。
旧暦的な考えで言うと新年は夜が明けてから始まるわけですから、夜明け前の初もうでは新暦としての習慣ですね、同様に夜が明ける前の夢はまだ旧年ですからこれは初夢では無くて最後の夢となる筈です。
従って新暦と旧暦を合体させて1月1日の夜から2日の朝にかけて見る夢が初夢と言うことになるのですね。
初夢で縁起の良い物としては「一富士 二鷹 三茄子」と言いますが、講談調の知識で言うとこれは徳川家康が駿河に隠居する時に言ったとか。
つき従う大奥の女性陣が江戸を離れるのを嫌がっているのを、家康が「駿河は良いぞ、富士が奇麗に見えるし、鷹狩りが出来る、それに特産の茄子が美味しい」と説得したとか・・・(鷹は女性と関係ないように思いますが)。
ともあれ富士は良く見える筈。
但し普段彼女たちが江戸城から見ていた富士山の裏側姿なので初めは戸惑ったかも知れませんね。
子供時代はこの「一、二、三」の中身を知らなかった。
何故鷹狩りが縁起が良いのか不明なものの、鷹狩りそのものは時代劇に出て来るのでイメージは出来る・・・三番目の茄子が分からなかったのです。
特に珍しい野菜でも無いし薬でもない。
ただ、「秋ナスは・・・食わすな」と言うくらいだから、食品の種類が少ない時代に旬の茄子は美味しかったのでしょう。
そしてこの茄子は「三保の特産の茄子」だったと言うことです。
江戸時代には有名だったのか、あるいは献上品みたいな形で食べることもあったのかもしれませんが、私は食べたことが無い。
「三保茄子」と言うものも聞いたことが無い・・・きっとどこでも作るようになったか、他に美味しい茄子が作られて特産と言うことでは無くなったのでしょう。
野菜の中では茄子は好きです・・・自分で野菜売り場に行って買い物をする機会があると思わず「茄子・小カブ・キノコ類」を駕籠に入れてしまいます。
茄子は焼いても煮ても天ぷらも、漬けものでもいいし・・・富士から茄子に行ってしまいました・・・食べ物の方が富士より強いのです。
最近は冬でも茄子が食べられる。
その分旬感覚が薄れたか、あるいは地球の裏側の茄子なんだろうか、、、いずれにせよいつでも食べられるのは幸せのような不幸なような。
ところで大晦日のネット対局は1勝1敗。
1敗は「鹿を追う漁師」をやってしまいました。
適当なところで安全運転に切り替えなくてはいけないのに山奥まで鹿を追いかけた結果帰り道を失ったのです。
兵法で言えば「偽兵」に釣られて追いかけた結果、包囲殲滅させられてしまった形・・・引き返すチャンスは何回もあったのに・・・。
しかしマアこれが年末の碁で良かったです。
年末ですと、これで「今年の総決算」みたいに「悪い碁はここまで」のように切り替えが出来そうです。
それが年初めだったら「今年もこの調子で1年打つことになるかも知れない」ように何やら黒い雲に覆われたイメージです。
そういう意味で年初めの1局目はザルとはいえ大事な対局かも知れません。
1月1日未明・・・新暦的には新年・・・ネット碁で相手は起きているだろうか?
今年もよろしくお付き合いのほどをお願いします。
1年の始まりの新聞の1面は昔なら富士山と初日の出の写真が多かったと記憶していますが、、、マア時事ニュースが少ないでしょうからこういうもので埋めなくてはいけなかったのでしょう。
富士山は一番遠くからでは三重県とか奈良県の山の上あたりから見えるらしいのですが、一応肉眼で大きく見える範囲を考えると、関東では東京都、神奈川県、千葉県以外では埼玉では山の上からなら見えるかも知れない。
同様に茨城県なら筑波山の上あたりならきっと見えるでしょうね・・・行ったことが無いので分かりませんが、独立した山なので見えるような気がします。
そして見える場所によって富士山の形がイメージとして焼きつけられる筈です。
東京・神奈川から丹沢とか箱根越しに見える富士山は実は親しみが湧かない感じで、同様に富士五胡方面から見た形もどこか余所行きな感じです。
更に伊豆天城方面から見たものも、伊豆西海岸からの形も。
皆自分の地元から眺めて慣れ親しんだ姿がマイ富士山だと思います
こういうものは毎日見て、網膜と脳裏に焼き付けられた形がある。
今住んでいる千葉からは正月でいつもより空気が澄んでいる晴天の日とか、晴れで風の強い日など、年に数日しか見えません・・・それも高いところから小さく見える富士の姿です。
それでも電車が高架線を走っていて車窓から見えたりすると、気がついた乗客同士が教え合ったりして喜ぶ。(そういう意味でも富士山は偉大ですね)
マイ富士山は「田子の浦湯・・・」ではありませんが、駿河湾方向から見た形、日本平から低い山並み越しに見たもの、三保の海岸から海越しに臨んだもの、薩捶(さった)峠からの富士山。
裾野があって、特に右肩に宝永山がついていないとどうも落ち着かないものなのです。
旧暦的な考えで言うと新年は夜が明けてから始まるわけですから、夜明け前の初もうでは新暦としての習慣ですね、同様に夜が明ける前の夢はまだ旧年ですからこれは初夢では無くて最後の夢となる筈です。
従って新暦と旧暦を合体させて1月1日の夜から2日の朝にかけて見る夢が初夢と言うことになるのですね。
初夢で縁起の良い物としては「一富士 二鷹 三茄子」と言いますが、講談調の知識で言うとこれは徳川家康が駿河に隠居する時に言ったとか。
つき従う大奥の女性陣が江戸を離れるのを嫌がっているのを、家康が「駿河は良いぞ、富士が奇麗に見えるし、鷹狩りが出来る、それに特産の茄子が美味しい」と説得したとか・・・(鷹は女性と関係ないように思いますが)。
ともあれ富士は良く見える筈。
但し普段彼女たちが江戸城から見ていた富士山の裏側姿なので初めは戸惑ったかも知れませんね。
子供時代はこの「一、二、三」の中身を知らなかった。
何故鷹狩りが縁起が良いのか不明なものの、鷹狩りそのものは時代劇に出て来るのでイメージは出来る・・・三番目の茄子が分からなかったのです。
特に珍しい野菜でも無いし薬でもない。
ただ、「秋ナスは・・・食わすな」と言うくらいだから、食品の種類が少ない時代に旬の茄子は美味しかったのでしょう。
そしてこの茄子は「三保の特産の茄子」だったと言うことです。
江戸時代には有名だったのか、あるいは献上品みたいな形で食べることもあったのかもしれませんが、私は食べたことが無い。
「三保茄子」と言うものも聞いたことが無い・・・きっとどこでも作るようになったか、他に美味しい茄子が作られて特産と言うことでは無くなったのでしょう。
野菜の中では茄子は好きです・・・自分で野菜売り場に行って買い物をする機会があると思わず「茄子・小カブ・キノコ類」を駕籠に入れてしまいます。
茄子は焼いても煮ても天ぷらも、漬けものでもいいし・・・富士から茄子に行ってしまいました・・・食べ物の方が富士より強いのです。
最近は冬でも茄子が食べられる。
その分旬感覚が薄れたか、あるいは地球の裏側の茄子なんだろうか、、、いずれにせよいつでも食べられるのは幸せのような不幸なような。
ところで大晦日のネット対局は1勝1敗。
1敗は「鹿を追う漁師」をやってしまいました。
適当なところで安全運転に切り替えなくてはいけないのに山奥まで鹿を追いかけた結果帰り道を失ったのです。
兵法で言えば「偽兵」に釣られて追いかけた結果、包囲殲滅させられてしまった形・・・引き返すチャンスは何回もあったのに・・・。
しかしマアこれが年末の碁で良かったです。
年末ですと、これで「今年の総決算」みたいに「悪い碁はここまで」のように切り替えが出来そうです。
それが年初めだったら「今年もこの調子で1年打つことになるかも知れない」ように何やら黒い雲に覆われたイメージです。
そういう意味で年初めの1局目はザルとはいえ大事な対局かも知れません。
1月1日未明・・・新暦的には新年・・・ネット碁で相手は起きているだろうか?