今の小学校では父兄会と言う言葉は死語で保護者会と言うのでしょうが、私などの年代では父兄会の方が分かりやすい感じがします。
時計で言えばデジタルよりアナログの方が馴染みがあると言う感じ・・・(少し違う?)。
時計と言えば、私はここ20年は腕時計をしていません。
中学1年の時に父に買って貰ったのですから、使い始めたのは早いのですが、嫌いになるのも早かったのです。
理由は二つあります。
一つは汗疹になりやすいのと、もう一つは時計の重さが気になるから腕時計はしなくなったのです。
入試などの時にはポケットに入れて持って行って、試験中は机の上に置いておくような使い方でした。
話が逸れましたが、今日の本題は「観戦時の野次馬心理」のようなものについて。
今朝は未明から風の音がしていたので、やはり目ざとい年代ですから早く目が醒めました。
しかし、早く起きてもやることが無いので、ネットで観戦。
同じくらいの点数の人が打っていたので入室しましたところ、これが戦いの真っ最中。
大石VS大石で、白の大石が黒に包囲されていて2眼のスペースがありません。
このままでは白の大石は死んでしまい、実質の大きさは大変なものですが、但し、黒も味悪なところが目につくのです。
そこで、包囲されて目が無い白の大石の唯一のシノギは、包囲網の一端の黒の大石を逆に攻めて取ってしまえば形勢逆転・・・こうなると、両者妥協点は無い戦い・・・そういう戦いの真っ最中。
初めは白の大石を黒が包囲出来るかどうかが戦いの焦点でしたが、次は包囲している黒が白の反攻に耐えられるかどうかに問題が移っている。
逆包囲された黒が白の包囲をかいくぐって外の黒と連絡できるか?、あるいは包囲の白の数子をちぎってシノグか?。
多分対局者当人の黒さんの頭はこれで一杯だったでしょう。
見ている野次馬はと言うと、表題のように父兄会の参観者状態。
つまり戦いには第3の道があったのです。
要する危険に晒されてはいても黒の大石が生きてしまえば即白の大石は死ぬ!。
野次馬には単純な真理だと思うけれど、当事者には意外と見えないことがあるらしい。
黒氏、後手とはいえ生きる手があったのにコウ含みで連絡する手を選択。
当然壮絶なコウが勃発・・・しかも黒氏損コウを連発。
保護者参観では先生の質問に我が子が手を挙げなければイライラして答えを教えに行きかねない保護者はいるものです。
当事者が一番読んでいると言うこともあるけれど、野次馬の方が見えているのに当事者が気がつかないことも多い。
碁会所などのリアルではこういう気配を対局者に悟られないようにするのも大変ですが、ネットではマアそういう心配は無いものの、見ている野次馬も大変です。
実戦は「百人一首状態」→早く気がついた方が有利。
この場合は黒が選択肢を持っていて、「生きました」では無く、あくまでパワーで取りに行ったのですね。
現実は取りに行かなくても、生きれば取れてしまうのに・・・。
他山の石・・・私もやっているに違いない。
時計で言えばデジタルよりアナログの方が馴染みがあると言う感じ・・・(少し違う?)。
時計と言えば、私はここ20年は腕時計をしていません。
中学1年の時に父に買って貰ったのですから、使い始めたのは早いのですが、嫌いになるのも早かったのです。
理由は二つあります。
一つは汗疹になりやすいのと、もう一つは時計の重さが気になるから腕時計はしなくなったのです。
入試などの時にはポケットに入れて持って行って、試験中は机の上に置いておくような使い方でした。
話が逸れましたが、今日の本題は「観戦時の野次馬心理」のようなものについて。
今朝は未明から風の音がしていたので、やはり目ざとい年代ですから早く目が醒めました。
しかし、早く起きてもやることが無いので、ネットで観戦。
同じくらいの点数の人が打っていたので入室しましたところ、これが戦いの真っ最中。
大石VS大石で、白の大石が黒に包囲されていて2眼のスペースがありません。
このままでは白の大石は死んでしまい、実質の大きさは大変なものですが、但し、黒も味悪なところが目につくのです。
そこで、包囲されて目が無い白の大石の唯一のシノギは、包囲網の一端の黒の大石を逆に攻めて取ってしまえば形勢逆転・・・こうなると、両者妥協点は無い戦い・・・そういう戦いの真っ最中。
初めは白の大石を黒が包囲出来るかどうかが戦いの焦点でしたが、次は包囲している黒が白の反攻に耐えられるかどうかに問題が移っている。
逆包囲された黒が白の包囲をかいくぐって外の黒と連絡できるか?、あるいは包囲の白の数子をちぎってシノグか?。
多分対局者当人の黒さんの頭はこれで一杯だったでしょう。
見ている野次馬はと言うと、表題のように父兄会の参観者状態。
つまり戦いには第3の道があったのです。
要する危険に晒されてはいても黒の大石が生きてしまえば即白の大石は死ぬ!。
野次馬には単純な真理だと思うけれど、当事者には意外と見えないことがあるらしい。
黒氏、後手とはいえ生きる手があったのにコウ含みで連絡する手を選択。
当然壮絶なコウが勃発・・・しかも黒氏損コウを連発。
保護者参観では先生の質問に我が子が手を挙げなければイライラして答えを教えに行きかねない保護者はいるものです。
当事者が一番読んでいると言うこともあるけれど、野次馬の方が見えているのに当事者が気がつかないことも多い。
碁会所などのリアルではこういう気配を対局者に悟られないようにするのも大変ですが、ネットではマアそういう心配は無いものの、見ている野次馬も大変です。
実戦は「百人一首状態」→早く気がついた方が有利。
この場合は黒が選択肢を持っていて、「生きました」では無く、あくまでパワーで取りに行ったのですね。
現実は取りに行かなくても、生きれば取れてしまうのに・・・。
他山の石・・・私もやっているに違いない。