コラム(375):メディアの凋落が物語るもの
他者への激しい攻撃が自分に跳ね返る
反トランプ報道で経営危機を脱した米ケーブルテレビ報道チャンネルCNNの視聴率がトランプ氏の退陣後再び低迷し、大幅な経営見直しをはかっていると報じられています。CNNは米民主党を支援し、ジョー・バイデン大統領実現の立役者となったのに、これは一体どうしたことなのでしょうか。バイデン氏の人気下降と一緒に沈没しているようです。
この現象、日本でも同様のことが起きたことがありました。朝日新聞を中心とした反体制左派メディアがこぞって自民党を攻撃し、民主党政権実現に大きく寄与しましたが、民主党沈没とともに彼らも沈んでいきました。
今では、民主党政権のふがいなさと同時に、推進母体であるメディアも世論を操作する力を失っています。安倍元総理が復活後、国会や報道で執拗な反安倍キャンペーンを行っても、また、世論が反自民に固まっているように見せかけても、不倶戴天の敵である自民党は変わらず政権を維持し続け、彼らが応援する左派政党は選挙で巻き返せません。
直近の総選挙でも「変えよう」というスローガンを掲げていた立憲民主党の代表が選挙敗北の責任で「変えられる」という皮肉な現象も起きました。反体制左派メディアが作り出したイリュージョンを真実と見誤った結果です。
メディアは影の存在であることを忘れている
では、これら一連の現象をどうとらえるか。一言でいえば、これらはメディアという存在が反体制左派メディアのみならず、また、反体制野党などの批判する存在が、批判対象の「影」の存在でしかないことを物語っています。もちろん、批判される側に問題があるのは事実ですが、批判する側は相手方を打倒することが目的で批判するばかりで、本来批判すべきことは何もしていないところに本質的な欠陥があります。そこに気づかず同じ過ちを延々におこなってきていました。
事実、ここ数年、日本では安倍元総理(菅前総理)を激しく攻撃することで、米国ではトランプ前大統領をこき下ろすことでメディアの存在が注目され、彼らはそれで飯を食うことができたわけですが、両者とも退陣した後は、攻撃対象が不鮮明になったいま、日本の反体制左派メディアもCNNも凋落の一途をたどらざるを得なくなっています。光があるからこそ影の存在が許されるわけで、影は光なしには存在しえません。
言い方を変えれば、メディアという存在は、仮に事実を公平に報道すると言っても、所詮は何らかの事象、事件、事故が発生しない限りは報道することができないわけで、あくまでもあらゆる事象に付随する存在、付録品にしかすぎないのです。
メディアの生き残り方
しかし、今日、その付随物が、いつのまにか大きな顔をして自分たちが世の中に影響を与え世界を動かしていると思いだしたところに大きな勘違いを生み、今日の騒がしい世の中を作り出しているのです。これがメディアの傲慢といわれる所以であり、その傲慢さが人びとのメディア離れを促進させ、今日のメディア報道の凋落を加速させている原因になっています。
したがって、今後メディアが生き残るための方策は二つの方向性しかありません。一つは、今よりも一層激しく体制批判を行うこと。もう一つは、メディア自身が自らの存在を、世の中に起きるあらゆる現象の影あるいは付随物と認識し、自分の価値観を押し付けることなく現象をありのままに伝えることに徹するか、の二者択一しかありません。
パレートの法則を応用して考えると、前者を選択すれば最大二割の世論的支援を取り付けることは可能です。ただし、この二割の部分にはすでに共産党を初めてする先取特権を持つグループが存在していますので、新規参入は排除されやすいし、仲間内で激しいポジション争いに苦労すると思います。最近の記者会見を見てもフリーのジャーナリストが政治家に必至で食い下がっているのはこの理由によるものです。
一方、後者を選択すれば、最大八割の世論支持を取り付けることができると思います。ここには政治的な無党派といわれる層で多く存在し、意外にこの分野は未開拓のように思えます。損得勘定からいってもこちらがいいと思えるのですが、そこはジャーナリズムの「世の中を動かしているのは俺たちだ」というプライドが邪魔をしてなかなか踏み込めないのも実情です。
いずれにせよ、ジャーナリストという肩書を持つ人や、メディアが世界の中心であると思い込んできた人たちにとって、どう生き延びていくのかの選択は悩ましいと思いますが、今後、社会に役立つためのメディアとしての意味に気づいていった人たちには、新たな展望が見いだせるときであるように思えます。