
古田織部を主人公にした『へうげもの』が第14回手塚治虫文化賞でマンガ大賞を受賞。
その贈呈式の入場券が運よく当たったので、昨日行ってきた

もっとも、ワタシの目的は後半のトークイベントを聴くこと
トークイベント 「数寄とひょうげ――古田織部から現代へ」
対談=荒俣宏さん(作家)、竹内順一さん(永青文庫館長)
↑ネ? 茶の湯ブロガーとしては取材したいネタだと思いません?
(会場が新聞社で、出版関係者とおぼしき方々が多かったので、つい記者気分に
)
竹内先生の講演、五島美術館にいらっしゃった頃に何度か聴ける機会はあったんだけど
当時は茶道の勉強にはなはだ不熱心だったので、ことごとくサボってしまった
(今から思うと、とてももったいないことをしたなぁ
)
まさか、朝日新聞社に行ってまで聴くことになろうとは思わなかったヨ
肝心の山田芳裕さん(作者)は「〆切が迫っていて多忙
」でお帰りになっちゃった
その分、気楽になったのか、お二人で打ち合わせなしのアドリブトークを展開
古田織部の茶の湯の世界って、「要するに、“何でもあり”なんだよねぇ」と、
ホントに「好き勝手言ってるなぁ
」という感じで、愉快な話が次々と飛び出して、非常に面白かったデス。
そもそも『へうげもの』は2005年に第1巻が世に出て、翌年には結構話題作になっていたのに、
「なぜ?今頃に大賞受賞なの?」という素朴な疑問はある。
選考委員の説明によれば、「長編の場合、賞を与えるタイミングは難しい
」とのこと。
実際、過去に候補に挙がりつつも選ばれなかった年もあったようで。
それが今回の受賞
となった決め手は「利休の死(が描かれた)」こと。
去年の夏に出た第9巻にそのシーンが登場、話の展開として盛り上がりを見せたことが評価につながったらしい。
確かに、師匠である利休の切腹以降、織部ワールドが一気に開花するワケだから、
“後半”に向かって、ますます期待できる流れではある。
(実際、第10巻では朝鮮の登り窯や歪んだ茶碗を完成させる場面も出てきて、盛り上がってる)
ほーっ。そんなものかぁ
と、ただただ感心。
自宅には全巻揃ってはいる。
2005年の時点で友人が「面白いから読んでみて」と薦めてくれたのだが、マンガのタッチがね
と躊躇していた。
さすがに2008年になって「読まねばっ」と思い、当時出版されていた第6巻までを大人買い
それからは新刊が出るたびに購入して
でもね、斜め読みしてる程度
(←話題にのぼった時、ついていけるレベル)
なので、今回のトークイベントを聴いて、「これは思ったよりも深いマンガだ」とビックリ
山田さんはよく調べた上で描いていらっしゃるけれど、創作の部分もかなりある。
織部の史料は少なく謎の多い人物ではもあるしね
竹内先生は陶芸史の専門家でいらっしゃるから、その辺の説明もバッチリ。
例えば、京都三条に織部焼きの店の名称は「瀬戸屋」ではなく「瀬戸物屋」が正しいとか、
登り窯は朝鮮に行って直に見て、美濃へ持ってくる展開にたぶんなるだろうけど、
実際は九州の登り窯をスパイして造ったらしい
とかね。
そもそも美濃焼は“ブランド”としては存在せず、存在が注目されたのは昭和5年からだと。
(↑それは荒川豊藏さんによる発掘ってことだよなぁ。→参考)
瀬戸焼が“長男の兄貴分”だとすると、次男三男は「美濃へ行け」という具合だったと。
ゆえに、トレンドを敏感に取り入れていく柔軟さがあったのでは~という意味の話をされて
そもそも「織部焼」が文献に登場するのも、織部の死から60年も後のこと。
さらに「織部焼」の呼び方が定着するのは100年も後のことらしい。
(たしか、主に食器で30年くらい流行して、後は姿を消しちゃうんだよねぇ→参考)
それに荒俣先生の独特の風俗史の話がミックスされるから、面白い。
例えば、マンガで描かれている時代劇らしからぬ豊かな表情。
ワタシはアレが苦手
なんだけど、あれは作家の好みだけではなく、
本当に日本人が気持ちを表情に出すようになったのはあの時代からではないかと。
というのは、当時はキリスト教が伝来して、宣教師が布教活動をしていた。
セミナリヨを建て、そこで聖歌を歌った。
織田信長もその歌を聴いていたのではないかと。
メロディーにのった歌を歌うことで、それまでの呼吸法が変わる。
鼻から息を吸い込んで、横隔膜?を使うことによって、結果、表情の表現が豊かになり、
それまでの日本人にはなかった顔の表情になってくる
って、山田サンがそこまで考えて描写していたならスゴすぎるっ
確かに、歴史の中の日本人の肖像画って、確かに表情が乏しい
(源氏物語絵巻とか浮世絵見てても)
たしか、別件でもともと日本人は口呼吸で鼻呼吸が下手だったという説も聞いたことあるなぁ。
他にもハート模様



あれも布教活動の流れで、「愛」や「心」の概念をわかりやすく説明するために当時使われたのではないかと。
(ただ、マンガのようにあそこまで派手にはではなかっただろうけど)
そして、「徳川家康がお茶が好きではないように描かれているのがミソ
」
それが終盤の織部切腹への大きな
となってくる。
確かにネ、三井で『江徳川家康の遺愛品』展を鑑賞した時に気にはなった。→こちら
家康さんが日常的に使っていた茶道具は地味だなぁと。
茶の湯はあくまで「実際にお茶を飲む」実用的なものということだったのネ。
文化としての「茶の湯」、「茶の湯」を通したコミュニケーションは好きではなかった。
もっといえば、家康と徳川幕府の方針は“農本主義”。
信長が改革した貨幣経済を象徴する“合理主義”を“お米”で録を換算する世界に戻しちゃった。
という根本的な違いが、結局は織部や大久保長安のようなテクノラートな人々が排除される要因に?
と、時代背景にまで話は展開されたのであった。
という感じで、約1時間はあっという間に過ぎていった。
あのマンガ、実はすごーく奥深い作品だったのねぇ
読み飛ばしている箇所があまりにも多かった
と反省
再度、じっくり読み直すことにしよう。
あまりにも面白かったので、今日は特に長文になってしまった
スミマセン
おまけに夜中に書けなくて(他のこともあって疲労困憊しちゃって
)
早朝にゴソゴソ起き出して書いたので、文脈とかかなり変かもしれません
面白かったけど、あの会場にいたのは出版関係者とマンガファンがほとんどで
茶道関係者はほとんどいなかったのではないかと思う。
日本の陶芸史の話に関して、かなり濃密な内容だったのに、濃すぎて
あれを茶道史の観点から理解できたヒトは少なかった。。。。かも
ま、こういうイベントの参加は初めてだったけど、ワタシ自身はトクしちゃった
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その贈呈式の入場券が運よく当たったので、昨日行ってきた


もっとも、ワタシの目的は後半のトークイベントを聴くこと

トークイベント 「数寄とひょうげ――古田織部から現代へ」
対談=荒俣宏さん(作家)、竹内順一さん(永青文庫館長)
↑ネ? 茶の湯ブロガーとしては取材したいネタだと思いません?
(会場が新聞社で、出版関係者とおぼしき方々が多かったので、つい記者気分に

竹内先生の講演、五島美術館にいらっしゃった頃に何度か聴ける機会はあったんだけど

当時は茶道の勉強にはなはだ不熱心だったので、ことごとくサボってしまった

(今から思うと、とてももったいないことをしたなぁ

まさか、朝日新聞社に行ってまで聴くことになろうとは思わなかったヨ

肝心の山田芳裕さん(作者)は「〆切が迫っていて多忙


その分、気楽になったのか、お二人で打ち合わせなしのアドリブトークを展開

古田織部の茶の湯の世界って、「要するに、“何でもあり”なんだよねぇ」と、
ホントに「好き勝手言ってるなぁ

そもそも『へうげもの』は2005年に第1巻が世に出て、翌年には結構話題作になっていたのに、
「なぜ?今頃に大賞受賞なの?」という素朴な疑問はある。
選考委員の説明によれば、「長編の場合、賞を与えるタイミングは難しい

実際、過去に候補に挙がりつつも選ばれなかった年もあったようで。
それが今回の受賞

去年の夏に出た第9巻にそのシーンが登場、話の展開として盛り上がりを見せたことが評価につながったらしい。
確かに、師匠である利休の切腹以降、織部ワールドが一気に開花するワケだから、
“後半”に向かって、ますます期待できる流れではある。
(実際、第10巻では朝鮮の登り窯や歪んだ茶碗を完成させる場面も出てきて、盛り上がってる)
ほーっ。そんなものかぁ

自宅には全巻揃ってはいる。
2005年の時点で友人が「面白いから読んでみて」と薦めてくれたのだが、マンガのタッチがね

と躊躇していた。
さすがに2008年になって「読まねばっ」と思い、当時出版されていた第6巻までを大人買い

それからは新刊が出るたびに購入して

でもね、斜め読みしてる程度

なので、今回のトークイベントを聴いて、「これは思ったよりも深いマンガだ」とビックリ

山田さんはよく調べた上で描いていらっしゃるけれど、創作の部分もかなりある。
織部の史料は少なく謎の多い人物ではもあるしね

竹内先生は陶芸史の専門家でいらっしゃるから、その辺の説明もバッチリ。
例えば、京都三条に織部焼きの店の名称は「瀬戸屋」ではなく「瀬戸物屋」が正しいとか、
登り窯は朝鮮に行って直に見て、美濃へ持ってくる展開にたぶんなるだろうけど、
実際は九州の登り窯をスパイして造ったらしい

そもそも美濃焼は“ブランド”としては存在せず、存在が注目されたのは昭和5年からだと。
(↑それは荒川豊藏さんによる発掘ってことだよなぁ。→参考)
瀬戸焼が“長男の兄貴分”だとすると、次男三男は「美濃へ行け」という具合だったと。
ゆえに、トレンドを敏感に取り入れていく柔軟さがあったのでは~という意味の話をされて
そもそも「織部焼」が文献に登場するのも、織部の死から60年も後のこと。
さらに「織部焼」の呼び方が定着するのは100年も後のことらしい。
(たしか、主に食器で30年くらい流行して、後は姿を消しちゃうんだよねぇ→参考)
それに荒俣先生の独特の風俗史の話がミックスされるから、面白い。
例えば、マンガで描かれている時代劇らしからぬ豊かな表情。
ワタシはアレが苦手

本当に日本人が気持ちを表情に出すようになったのはあの時代からではないかと。
というのは、当時はキリスト教が伝来して、宣教師が布教活動をしていた。
セミナリヨを建て、そこで聖歌を歌った。
織田信長もその歌を聴いていたのではないかと。
メロディーにのった歌を歌うことで、それまでの呼吸法が変わる。
鼻から息を吸い込んで、横隔膜?を使うことによって、結果、表情の表現が豊かになり、
それまでの日本人にはなかった顔の表情になってくる

って、山田サンがそこまで考えて描写していたならスゴすぎるっ

確かに、歴史の中の日本人の肖像画って、確かに表情が乏しい

(源氏物語絵巻とか浮世絵見てても)
たしか、別件でもともと日本人は口呼吸で鼻呼吸が下手だったという説も聞いたことあるなぁ。
他にもハート模様




あれも布教活動の流れで、「愛」や「心」の概念をわかりやすく説明するために当時使われたのではないかと。
(ただ、マンガのようにあそこまで派手にはではなかっただろうけど)
そして、「徳川家康がお茶が好きではないように描かれているのがミソ

それが終盤の織部切腹への大きな

確かにネ、三井で『江徳川家康の遺愛品』展を鑑賞した時に気にはなった。→こちら
家康さんが日常的に使っていた茶道具は地味だなぁと。
茶の湯はあくまで「実際にお茶を飲む」実用的なものということだったのネ。
文化としての「茶の湯」、「茶の湯」を通したコミュニケーションは好きではなかった。
もっといえば、家康と徳川幕府の方針は“農本主義”。
信長が改革した貨幣経済を象徴する“合理主義”を“お米”で録を換算する世界に戻しちゃった。
という根本的な違いが、結局は織部や大久保長安のようなテクノラートな人々が排除される要因に?
と、時代背景にまで話は展開されたのであった。
という感じで、約1時間はあっという間に過ぎていった。
あのマンガ、実はすごーく奥深い作品だったのねぇ

読み飛ばしている箇所があまりにも多かった


再度、じっくり読み直すことにしよう。
![]() | 『へうげもの(1)』 (モーニングKC (1487))山田 芳裕講談社このアイテムの詳細を見る |
あまりにも面白かったので、今日は特に長文になってしまった


おまけに夜中に書けなくて(他のこともあって疲労困憊しちゃって

早朝にゴソゴソ起き出して書いたので、文脈とかかなり変かもしれません

面白かったけど、あの会場にいたのは出版関係者とマンガファンがほとんどで
茶道関係者はほとんどいなかったのではないかと思う。
日本の陶芸史の話に関して、かなり濃密な内容だったのに、濃すぎて

あれを茶道史の観点から理解できたヒトは少なかった。。。。かも

ま、こういうイベントの参加は初めてだったけど、ワタシ自身はトクしちゃった

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おはようございます。
読んでいただき、凝縮です。
そちらにコメントした時はおぼろ気な記憶しかなかったのですが、
自分でも読み返してみて、おぉ~と思いました。
自分の言葉でしっかり記録しておくことは大事ですね。
gooブログのアーカイブ検索は重宝してます。
織部から家康に至るまでの種々の所見、なかなかに興味深かったです。
織部の自刀に至るまでの本当のところは実に興味あります。今更分かるものではないのでしょうが...