おつえ
2010-08-16 | 日記
今日の写真は四国88番大窪寺にあります『原爆の火』です。
これは福岡県の方が広島で取った火を郷里に持ち帰って灯し続けていたものを
こちらに移したものと碑に書いてあります。
この後ろの方にあるのは『宝杖堂』というもので、
お遍路さんがこちらにお参りしたときに納めさせてもらったものがしまわれています。
金剛杖は弘法さんの化身と言われるものですから大事に一緒に遍路してくるのですが
最後の札所ですからこちらに納める方が多いわけです。
納めない方も多くて、私も家まで持って帰りました。
私は菅笠も白衣も全部家にしまっています。
昨日の池部良さんのエッセイの続き。
天丼の話です。
面白い親父さんが『店屋物なんか取って食うのは江戸っ子のやることじゃない』と
言いながら、
良さんが中学二年生のとき急に昼飯を天丼にすることになって、
どうするかと言うと、
近所の店に頼みに行くことになったのだけれど、
おやじさんの注文は
『おれがエビ三本、かみさんがエビ二本、子供たちが芋とカボチャでいい、
ご飯は家で炊いたのを持たせろ』というもの。
戦前の家父長制がよく表れていますし、
ご飯も持っていくこともあったようです。
へーえ、面白いものだと思いました。
50年よりももっと前でしょうか、我が家で出前を頼むときはうどんが思い出されます。
すうどんだったです。
しょう油がらい出汁にうどんが入っていて、ねぎと唐辛子をかけるだけ。
おいしかったです。
出前なんて贅沢だったんだと思います。
他に大切なお客さんのときはお鮨を取っていました。
昔のお客さんはその握りずしを全部平らげないで、
その家の子供のために一個か二個残しておいてくれたもので、
子供もそれを喜んで食べたものでした。
いやー好い時代でした。
これは福岡県の方が広島で取った火を郷里に持ち帰って灯し続けていたものを
こちらに移したものと碑に書いてあります。
この後ろの方にあるのは『宝杖堂』というもので、
お遍路さんがこちらにお参りしたときに納めさせてもらったものがしまわれています。
金剛杖は弘法さんの化身と言われるものですから大事に一緒に遍路してくるのですが
最後の札所ですからこちらに納める方が多いわけです。
納めない方も多くて、私も家まで持って帰りました。
私は菅笠も白衣も全部家にしまっています。
昨日の池部良さんのエッセイの続き。
天丼の話です。
面白い親父さんが『店屋物なんか取って食うのは江戸っ子のやることじゃない』と
言いながら、
良さんが中学二年生のとき急に昼飯を天丼にすることになって、
どうするかと言うと、
近所の店に頼みに行くことになったのだけれど、
おやじさんの注文は
『おれがエビ三本、かみさんがエビ二本、子供たちが芋とカボチャでいい、
ご飯は家で炊いたのを持たせろ』というもの。
戦前の家父長制がよく表れていますし、
ご飯も持っていくこともあったようです。
へーえ、面白いものだと思いました。
50年よりももっと前でしょうか、我が家で出前を頼むときはうどんが思い出されます。
すうどんだったです。
しょう油がらい出汁にうどんが入っていて、ねぎと唐辛子をかけるだけ。
おいしかったです。
出前なんて贅沢だったんだと思います。
他に大切なお客さんのときはお鮨を取っていました。
昔のお客さんはその握りずしを全部平らげないで、
その家の子供のために一個か二個残しておいてくれたもので、
子供もそれを喜んで食べたものでした。
いやー好い時代でした。