「高等遊民について」 ネットより http://www.ryuichiro-misaki.jp/world/leisure
特に日本の定年退職を迎えて社会の第一線を退き、会社から解放されて自由の身になった世代において、高度経済成長時代の価値観をもって自身の生活を測り、やることを見出せない、虚無感を抱きながら元気なく生きる人々が増えている。
そのような世代の人々に、教養を磨いて、世俗的な欲望(出世、名声、財産)や多忙さから開放されて、独自のオリジナル生活をエンジョイする“現代の高等遊民”を目指そう、と提言したい。一言で言えば、お金持ちより心持ち、物持ちよりも心持ちの生き方である。その信条は“欲しがらない”ということだ。
夏目漱石は、「こころ」や「それから」といった作品の中で描いた、高等教育を受けながら、時代の風潮を受けきれず、仕事にもつかずにぶらぶらして暮らしている人たちを、「高等遊民」と呼んだ。これらの人々は教養人であり、帝国主義的体制という時代背景になじめなかったインテリであるが、我々のこの時代に、いまさらこの明治大正期の「高等遊民」をすすめようというのではない。
わずらわしい世俗を半分捨てるという「半隠遁」の思想を持ち、金よりも面白味のある仕事を続けながら、誰にも気兼ねしない暮らしをしてみよう、というものだ。
目覚まし時計で起きなくてもいい生活、
満員電車に乗らなくてもいい生活、
スケジュール帳を持ち歩かなくてもいい生活、
寝たいときに寝て起きたいときに起きる生活、
人に命令も強制もしない、あるいはされない生活、
そして何よりも演技をしなくてもいい生活。
これをやろうということである。
そんなことができるのか。できるのである。ただし世俗の見栄や体裁を捨て、地位とか名誉とか財産とか、世間の多くの人が求めている欲求を捨てたらの話であるが・・・。
特に日本の定年退職を迎えて社会の第一線を退き、会社から解放されて自由の身になった世代において、高度経済成長時代の価値観をもって自身の生活を測り、やることを見出せない、虚無感を抱きながら元気なく生きる人々が増えている。
そのような世代の人々に、教養を磨いて、世俗的な欲望(出世、名声、財産)や多忙さから開放されて、独自のオリジナル生活をエンジョイする“現代の高等遊民”を目指そう、と提言したい。一言で言えば、お金持ちより心持ち、物持ちよりも心持ちの生き方である。その信条は“欲しがらない”ということだ。
夏目漱石は、「こころ」や「それから」といった作品の中で描いた、高等教育を受けながら、時代の風潮を受けきれず、仕事にもつかずにぶらぶらして暮らしている人たちを、「高等遊民」と呼んだ。これらの人々は教養人であり、帝国主義的体制という時代背景になじめなかったインテリであるが、我々のこの時代に、いまさらこの明治大正期の「高等遊民」をすすめようというのではない。
わずらわしい世俗を半分捨てるという「半隠遁」の思想を持ち、金よりも面白味のある仕事を続けながら、誰にも気兼ねしない暮らしをしてみよう、というものだ。
目覚まし時計で起きなくてもいい生活、
満員電車に乗らなくてもいい生活、
スケジュール帳を持ち歩かなくてもいい生活、
寝たいときに寝て起きたいときに起きる生活、
人に命令も強制もしない、あるいはされない生活、
そして何よりも演技をしなくてもいい生活。
これをやろうということである。
そんなことができるのか。できるのである。ただし世俗の見栄や体裁を捨て、地位とか名誉とか財産とか、世間の多くの人が求めている欲求を捨てたらの話であるが・・・。