民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「足し算か引き算か」 その3

2014年09月09日 00時20分08秒 | 雑学知識
 中島敦と身体のふしぎ ネットより http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/nakajima.html

 1.足し算か引き算か ―『名人伝』に見る教育 その3

 この「引き算」のトレーニングを描いた小説や映画はないかな、と考えて思いだしたのが、映画《スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲》で、ヨーダがルーク・スカイウォーカーにフォース(理力)を解き放つことを教える場面である。フォースというと何だんねん、という感じなのだが、要はジェダイの騎士が使うことができる超能力のようなものだ。

 ジェダイの血を引くルークは、すでにフォースを自らの内に備えている。ただ、その使い方がわからない。その力を引き出し、さらには自分の思うままにコントロールできるようにならなければならない。そのためにヨーダの下で修行するのである。

 映画では、ルークは自分が乗ってきた小型宇宙船を「フォースの力で」宙に浮かせる訓練をする。小石ならば宙に浮かすこともできる。ならば、宇宙船が浮かせられないはずがない。宇宙船は「重いから」というのは固定観念じゃ、といった類のことをジェダイ・マスターのヨーダは言うのである。つまり、ルークがこれまで人間(?)として生きるなかで、意識的無意識的に身についた常識や固定観念を取り除くことが修行の第一歩なのである。映画ではルークは逆立ちしていたが、それはおそらく常識や固定観念が教える身体の意識を切り離すには、日常では決して取ることのない姿勢が必要だったのだろう。

 このジェダイマスターのヨーダ、なんとなく名前といい雰囲気といい物言いといい、中国の仙人っぽい。これだけの貧弱な例で言ってしまうにはムリがあるがそれでも言ってしまえば、「引き算」のトレーニングには東洋的なイメージがあるように思える。

 よく昔の剣豪小説にあるのが、剣の修行をしに師匠のもとに出かけたが、薪割りや掃除や水くみばかりさせられていて、いっこうに剣を教えてくれない、というパターンである。業を煮やした主人公が師匠に剣で切りつけると、師匠はふりむきもせず、木のナベブタでそれをばしっと受け止める、というのを、わたしはいったいどこで読んだのだろう。
 ともかく、たいていの主人公はこうしたわけのわからない修行をさせられているうちに、不意に自分の力を解き放てるようになっているのだ。こういう師匠はたいがい小柄で非力(そう)な老人である。そうして、日本ではごくありふれたこうした発想は、西洋の小説ではまずお目にかからない。映画《スター・ウォーズ》がこういう場面を取り入れたのも、一種のエキゾチズムの効果をねらったにちがいない。

 この奇妙な修行は、一見、非合理的な感じもするのだが、それを「神秘的」「非合理的」ととらえてしまうのは、わたしたちの側にそれを言葉で言い表す概念的枠組みがないからではないのだろうか。

 ただ、ここで思うのは、「力を入れる」にしても「力を抜く」にしても、ともに比喩表現である。どこかから「力」を持ってきて、たとえば腕にそれを注入するわけではない。そうではなくて、自分の意識を腕に集中させることに過ぎない(「意識」も「集中」ももちろんその言葉に対応する実体があるわけではない、メタファーとしての表現なのだが、「人間の概念体系は大部分が本質的にメタファーによってなり立っている」(ジョージ・レイコフ『レトリックと人生』)のだから、メタファーによらない表現などと言い出すと、もう文章など書けなくなってしまうので、ここではそういうふうに書いておく)。


「足し算か引き算か」 その2

2014年09月07日 00時40分50秒 | 雑学知識
 中島敦と身体のふしぎ ネットより http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/nakajima.html

 1.足し算か引き算か ―『名人伝』に見る教育 その2

 ここから先の九年の修行については「誰にも判らぬ」というばかりで、語り手は何もあきらかにしない。だが、修行を終えて山をおりた紀昌がいったいどれほどの名人なのか、だれも知ることはない。その名人ぶりをとうとう披露することもなく、生涯を終えてしまったからである。

 ともかくここに見て取れるのは、足して、足して、もう何も足せなくなった地点が最上級ではない、という考え方だ。そこからこんどは「引き算」の修行が始まっていく。
 ここで引くのは何か。それは「弓を射る」という技術にとって不要なものだろう。甘蠅のように、弓矢は必要ない。さらにその技術を見届けて「名人」と判定する観客も必要ないし、さらには獲物も必要ない。紀昌の意識の面でも、不要なものをすべて削ぎ落としていったあげく、残ったのは、言葉はあまり適切ではないのだが「純粋技術」だけが、人のかたちをとって現れた、そんな状態だったのではあるまいか。

 さて、ではこの「引き算」トレーニング、いったいどういったものなのだろう。わたしたちの身の回りにある「引き算」のトレーニングに該当するような言葉を探してみる。

 雑念を払う。
 余分な力を抜く。
 無我の境地。
 禅の言葉には「心身脱落(とつらく)」というのもあるらしい。

 プラスのトレーニングなら単純だ。筋力を「つける」には、その筋肉に付加がかかるようなトレーニングをする。知識を「増やす」ためには本を読む。技術を「磨く」ためには反復練習、というように、どうすればそれが「得られる」のか、その状態にない人でもある程度は見当がつく。人に教えるのも、つまり言葉によって伝達することも可能だし、その状態にない人が、その言葉を受けとって、自分の身体へとあてはめていくことも容易だ。

 ところが「引き算」は言葉で説明するのがむずかしい。雑念をどうやって払ったらいいのか。どうやって無我の境地に入ることができるのか。「雑念を払う、雑念を払う……」と、一心に考え詰めていたとして、仮にほかの考えをすべて追い出すことができたとしても、「雑念を払う」という意識だけは残ってしまう。「雑念を払う」という意識こそ、何よりも除きがたい「雑念」かもしれない。


「足し算か引き算か」 その1

2014年09月05日 00時04分40秒 | 雑学知識
 中島敦と身体のふしぎ ネットより http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/nakajima.html

 1.足し算か引き算か ―『名人伝』に見る教育 その1

 このあいだ中島敦の『名人伝』を読んでいたら、おもしろいことに気がついた。

 わたしたちはふつう、知識や技術を習おうとするき、いまある自分に何かを「加える」という言葉を使って理解していく。

 知識を「得」る。
 知識・技術を習「得」・獲「得」する。
 身につける。
 与えられる。
 自分のものにする。
 吸収する。
 呑みこむ。
 経験を重ねる。

 上達する、というのも、「上に達する」という意味で、その人がいる場所が高くなる→高さが加わった、と考えられる。さらに技を「磨く」や「洗練させる」も「その質を高めていく」という意味で、「加える」に含めていい。さらに経験を積んだ人間に対しては「ひとまわり大きくなった」という評価のしかたをすることもある。つまり、知識や技術を得、経験を積むというプロセスを、わたしたちは元々の身になにものかを「加えるもの」というかたちで理解しているのである。

 『名人伝』でも、主人公の紀昌は飛衛のもとではこの「足し算」型の修行をしていく。

 機織り機の下に寝っ転がって機躡(まねき)が上下するのを見て、まばたきをしないための修練を「重ねる」。つぎに「小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとく」の訓練として、髪の毛に結んだ虱を見続けるうちに、紀昌はその能力を獲「得」する。

 そこで飛衛は紀昌に射術の奥儀秘伝を「授け」始めた。紀昌の腕前の「上達」は驚くほど速い。とうとう紀昌は師から学び「取る」べき何ものもなくないまでになる。
つまり、ここに至って紀昌にはつけ「加える」べき何ものもない状態に至るのである。

 では天下に並ぶ者もない名人になったのか。 
 飛衛は言う。
「霍山(かくざん)には甘蠅(かんよう)という大家がいる。「老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯に類する」。
 そこで紀昌は甘蠅のもとに赴くのだが、この甘蠅はいきなり、弓も矢も使わずに鳶を射落として見せる。
「弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆(うしつ)の弓も粛慎(しゅくしん)の矢もいらぬ。」と言うのである。
 弓矢を射るのに、その弓も矢も必要でないとは!
 ここから紀昌の「引き算」の修行が始まっていく。


「耄碌寸前」 森 於菟

2014年09月03日 00時37分59秒 | 健康・老いについて
 「耄碌(もうろく)寸前」 森 於菟 (1890~1967)医学者、森鴎外の長男。

 私は自分でも自分が耄碌(もうろく)しかかっていることがよくわかる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらもあやしいものである。時には人の話をきいていても異常に眠くなり、話し相手を怒らしてしまうことすらある。

 「私はもう耄碌しかかっているのでう、このあわれな老人をそっと放置しておいて下さい」といっても世間の人々は時に承知せず、ただ赤児のように眠りたい老人を春日の好眠からたたき起こそうとするのだ。私は本年とって数え年の73、世間ではまだまだはなばなしく活躍している人もいる。またある私大の医学部長を定年退職した私に、お世辞には違いないが、「今から好きな研究がお出来になりますね。ご自分の研究所をお建てになりますか」などと言ってくるるものもある。しかしながら私は自分の頭脳状態が研究どころではないことを知っている。今から老いの短日を過ごすために、世間の老人並に草花をいじろうと思っても、その草花の名がおぼえられるかすら覚つかない。暇つぶしに人の好んでやる碁将棋の類は天性甚だ不得手で慰みにならない。どうやら、これからの私は家族の者にめいわくをかけないように、自分の排泄機能をとりしまるのがせい一杯であるらしい。

 中略

 私は医学を学んだ者である限り、人間の宿命を知っている。凋落を必至とする肉体の上に芽生えた精神の宿命を知っている。大脳機能がおとろえをみせはじめたときの思考の混乱と低迷はいかなる天才といえどもまぬがれがたいのだ。天才は夭折すべきである。相撲の横綱にも引退ぎわが大切なように、知能の横綱にも退きどきというものがある。

 中略

 その点私は自分が凡庸の生まれつきであることは本当に幸せと思う。若くして才気煥発だった人が顔をそむけたくなるほどの老醜をさらすのは同情に価するが、そこは私は気が楽である。私は世間になんらのきがねもいらない。安んじて耄碌現象を辿ろうと思う。そして人生の下り坂の終着駅たる墓場に眠る日を待つのだ。

 私はある種の老人のように青年たちから理解されようとも思わない。また青年たちに人生教訓をさずけようとも思わない。ただ人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。そして人生は模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。というのはあまりにも意識化され、輪郭の明かすぎる人生は死を迎えるにふさわしくない。活動的な大脳が生み出す鮮烈な意識の中に突如として訪れる死はあまりにも唐突すぎ、悲惨である。そこには人を恐怖におとしいれる深淵と断絶とがある。人は完全なる暗闇に入る前に薄明かりの中に身をおく必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。すでに私の老化した頭の中では人生はその固有の生々しさの大部分を失いはじめている。ざらざらしたあるいは軟らかな現実の手ざわりや血のにおいのする愛着もない。それは実質を失いほとんど形骸であるイメージになりかけている。つまり人生の実質である肉はなくなり、人生の剥製のみが人間界の名残を伝えているだけだ。つらつら思うに人生はただ形象のたわむれにすぎない。人生は形象と形象が重なりあい、時には図案のような意味を偶然に作り出しては次の瞬間には水泡のようにきえてゆく白昼夢である。

 中略

 老人は狂人の夢を見果てない。現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである。私は死を手なづけながら死に向かって一歩一歩近づいていこうと思う。若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に馴れ親しみはじめたようだ。私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように耄碌の薄明かりに身をよこたえたいと思う。若者たちよ、諸君がみているものは人生ではない。それは諸君の生理であり、血であり、増殖する細胞なのだ。諸君は増殖する細胞を失った老人にとって死は夢の続きであり、望みうる唯一の生かもしれないと一度でも思ったことがあるだろうか。若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉すら不要なのだ。

 所載「老いの生き方」 鶴見俊輔  筑摩書房 1988年
 底本 「群像」 1961年 6月号

「減退」 山田 太一

2014年09月01日 01時42分45秒 | エッセイ(模範)
 「月日の残像」  山田 太一 著  新潮社  2013年

 「減退」 P-28

 70歳になっても、20代の頃といくらも変わらない内面で街を歩いている自分に気づくことがある。
 鏡の前で、内面の若さに比べて肉体ばかりが年老いてしまったような悲嘆が過(よ)ぎることもある。
 しかし、事実は内面も肉体と前後して齢(よわい)を重ねているのだろう。肉体のようにまざまざと老齢が見えないので、まだまだ若いと錯覚する余地はあるが、否応なく加齢は内面にも及んでいると考えるのが自然だろう。

 それを悲しんでいるわけではない。
 大体、70で20代の内面(とまでいわなくても40代50代の内面)を持っているなどということに、それほど取柄があるとも思えない。同じ人間なのだから、時がたったからといって、なにもかも変わるわけではないのは肉体と同じで、20代40代の自分が70代の内面にも生きているのは当然だが、それを捜して落穂拾いのように若さを生きるのではなく、せっかく70代に入ったのだから、70代だからこその変化を進んで意識し、たとえばその容赦のない無常の体験を面白がってしまうくらいの姿勢を持つことこそ70代の甲斐性というものではないだろうか――などと、どうもわれながら上すべりな物言いをしてしまうところが、まだまだ老いを扱いかねている証拠かもしれない。
 
 去年(2004年)、私は一つの挫折を体験した。
長い小説を書くつもりで一回目の50枚「朝のカフェで」を雑誌に掲載して貰ったのだが、次の50枚を書き終えたところで、どうしても先へ進めなくなった。
 こんなことははじめてで苦しんだが、とうとう断念して取りやめにして貰った。申し訳なかった。立ち直るのには時間がかかった。主題は老いに関するものだった。

 「渋谷の雑踏を歩いていても、気がつくと私はほとんど若い女たちを見ていない。それはたぶん向こうが私を見ていないのと同じくらいに。同じ道を歩きながら互いに眼中になく、実は別の街を歩いているのだという幻覚が過(よ)ぎることがある。」(「朝のカフェで」)

 架空の人物の語りという体裁だが、それだから自分の老いを立ち入って書けるという野心だった。
70にさしかかるころ、私は体の芯に大きな変化が来ているのを感じた。長いこと、異性を見ると、反射神経のように性欲で分別するところがあった。これは不随意筋のようなもので、いけないといったってどうなるものでもない。それは女性だって同じだろう。
 その針が動かなくなった。鈍くなった。どうでもよくなった。これはひそかな驚きだった。
こうことがあるののか、と思った。

 70ぐらいでなにをいってる、という人がいるだろう。事実老人ホームの色恋沙汰は時折耳にするし、70代で子供をもうける人も、結婚する人もいる。私だって状況次第ではなにがあるかも分からない。
 しかし、私は減退が新鮮だった。別の世界へ足を踏み入れたぞ、という小さな興奮があった。
負け惜しみだと笑われそうだし、幾分その通りかもしれないが、減退を意識しそれを受け入れると、肩の荷をおろしたような気持ちになった。

 「性欲を通さずに異性を見ると、それは多くの場合しらじらと味気なかった。恋愛を美しく唄い上げる歌手はあまりに多くの現実を無視しているように思え、路上でどんなに不潔かもしれない口を吸い合っている男女を見ると、性欲で判断力を失っている憐れを感じた。しかし、人間の大仕事は何より生殖にあるのだから、それに関する情熱を迷妄と感じるこっちの方こそ迷妄の中にいるとも思い、むき出しの現実を見ているようでいて、抜け殻の現実しか見えなくなっている悲哀のようなものも、時折こみあげるのだった。」(同前)

 とまあ言葉にすればなんとか歯切れがいいが、小説はそれではすまない。この先はすぐには書けない。たしかに私は体の芯に変化を感じたが、それはスイッチを切ったというようなものではない。いまその変化を足掛かりにして書きすすむと踏みはずしてしまうぞという不安定な気持ちがつきまとって離れなかった。
 
 中略(体の芯の変化をはじめて体験したエピソード)

 70歳の変化にそんな激しさはない。困るということもない。ただ、底流にいつも性欲があった世界を離れたような感覚は、くりかえすようだが、私には新鮮だった。
 街を歩いていても人に会っても自然を見ても、別の物を見ているような解放感があった。
 しかしそれは減退に当惑して慌てて手に入れようとした世界かもしれなかった。理(ことわり)に傾き、細部の具体性に及ぶと無理がある。その無理にこそ小説の主題があるのかもしれないのだが、それも私の実際を置き去りにするように感じた。減退を根拠にして新世界如きものを小説に綴って来たが、結局のところこの老人にもひそかで切実なこのような性欲があったというようなかたちで人間の業を描くのでは、どんどん自分の現実から離れてしまうという思いがあった。

 挫折して、いくらか回復して、いまはまた勝手な空想の中にいる。
 ひとりの70代の男の性欲の減退を描こうとしたけれど、そんな話を書かせようとしたのは、僭越ながら時代なのではないか、という手前味噌である。
 日本の社会に性欲の減退があるのではないか。社会が性の過剰より性の減退を探りはじめているのではないか。
 お前如きに、時代がなにを託すのだ、いわれればその通りだが、時代はその時代を生きる誰に対しても時代の限界を強いるものだし、誰に対してもなにかを託すものだといえなくもない。
 減退が頭を離れない。                                    (2005,5)