日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

パリのベルシー公園ー6歳だった娘と探索①

2008年03月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
最近、お家の大掃除に大忙しで・・・。
古い書類をスキャナーでコンピュータに保存したり、
カセットテープをMDに録音しなおしたり、
サイズの合わない娘のきったない靴などを捨てたり。
人並みに主婦らしい生活にいそしんでいた。

その結果、音楽を人一倍聞く結果となった。
なんせ、嫌いな整理整頓である、
何か余興がなければやる気が起こらない。
そこで、古いCDを聞きながら、
昔懐かしいあのころを思い出しながら、
そうじをしている、というわけ。
で、今はフランク・シナトラを聞きながら
こうしてブログを打っている。
ニューヨークのマンハッタンで、
本当に死にかけていた(まじに)
フランク・シナトラのコンサートを
ラジオ・シティで見たことがあった。
シャーリー・マクレーンとの競演で、
まあ、死にかけたシナトラの残念な部分を
シャーリー・マクレーンが
補ってくれていた。

そう、それはフランク・シナトラ最後の公演となった。
おじいちゃんのシナトラが音をはずしまくって歌うさまは
アメリカの一時代
(華やかで健やかな成長期)が確実に
終わったことを象徴しているようだった。
マンハッタンは第一次(パパブッシュ)湾岸戦争を経て、
不況の様相で、日本だけがまだ
バブルで浮かれていた時代だった。

でも、マンハッタンにいれば、やがて日本もバブルが終わり、
不況を迎えるであろうことは簡単に予測できた。
でもでも、日本はバブルに浮かれまくって、
マンハッタンのロックフェラーセンターを
日本企業が買ったりするという
恐ろしい勘違いまでしでかした後だったし、
日本の女の子たちはいい気になってきれいな格好をして
マンハッタンにまで旅行に来ては、
軽薄な行為を繰り返していた。

そんな時代を一部は猛烈に働く編集者として、
残りの一部をマンハッタンに住む貧乏学生として過ごしたのだ。
1990年から1994年の4年間を・・・・・。

さて、最近はもっぱらヨーロッパばかりを旅していて」、
若い時にはすごーく魅力的だったマンハッタンが
今や確実にその色彩をくすませている。
もし、私が若い時(今より、30歳のとき)会社を辞めて、
旅立つ先がマンハッタンではなく、
パリだったらどうなっていただろう。

そう思うのはあながち退屈なことではない。

私は結局、
若くて向こう見ずだったあの頃の自分が
完全に無視していた「保守的」なもの全てを
娘とヨーロッパの町々を旅して回りながら、
母であることの恩恵と共に、今更のように味わってるのだ。

これはどこかアイロニーに満ちていて、
保守的なことが嫌いだったからこそ、保守的なことの
良さが分かるのである。

子育てを通して人生はその濃度が
2乗にも3乗にもなることを実感している。

で、写真はパリのベルシー地区での娘の様子。
最近開発されたすてきな地域で、
さすがおフランスなセンスなのだ。
コメント
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