日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

2006年春のイタリア旅行を振り返って

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【写真は全て3枚ともシシリア島のチェファルの景色】

この旅で私は初めて、バックパッカー的な旅をした。
40歳後半での暴挙である。しかも、子連れ。

子供を生んでから、一貫して子供に広い世界を見せることを
心に留めてきた。別に大上段に立って、○○教育論とかがあってのことではない。

単純に私が親からそうやって育てられたからだ。
父は車で海、山といろんな所へ私を連れて行った。
その幼い頃の経験ははっきりとした記憶として残るような類のものではなく、
私の肉体の一部となって養分となり蓄えられたのだ。

その養分を人生という過酷な旅の中で、エネルギーに換え、消耗させる。
もし、その養分がなければ私の人生という旅は
味気ないものとなってしまったはずだ。

だから、娘にも同じように養分をたっぷり与えようと決意した。

30歳の時、単身で頼る人もいないマンハッタンへと向かった私である。
そこで4年の月日を過ごしてみて、さらに確信したのだ。
異文化に触れることの大切さ、日本の外に出て日本を客観視することの意義を。

自分には不足していたものを、自分の子には与えてあげよう、と決心した。
それは、「異文化に入ってもものおじしない、国際力」だ。
それには私のように大人になってから海外留学をするのでは遅い。
できれば小さいときから呼吸して吸い込むように体内に取り入れてしまえたら、
と思ったのだ。




長くなったが、旅はそのために私が子供へ与えてあげられる最上で最高の
教育のつもりだ。

そんな中、小学4年生になるにあたって、
娘と2人、地図を片手に手作りの、つまり世界でたったひとつだけの
その一瞬にしかありえない偶然に巡り会うために旅に出たのだった。
娘も洗礼を受けたいと言い出した折だったので、
キリスト教文化にまつわる場所を見て回ることにした。

巡礼地というのは既に手あかが付いてありきたり。
なんか、マイナーでも、意味のある場所は?
と探していて、行き着いたのが聖書のこの箇所だった。
パウロのローマへと向かう宣教の旅の途中でのくだり、
「シラクサに寄港して、三日間とどまり」(使徒行伝28:12)
である。そう、パウロが寄港したシシリア島シラクサへと
行くことを決心したのであった。



ローマからアッシジ(聖フランシスコ)→ローマ経由シシリア島パレルモ→シラクサ→タオルミーナ→チェファル→パレルモ経由でミラノ(ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)

この旅の中心は、偉大な信仰の跡をたどることであり、
身の安全も必要な出会いも神に全部委ねることだった。

そして信仰とは現実をどう生きるかであって、
それは崖っぷちに立っても神を信頼し、神だけに頼ることだということを
体験したのである。そう書くと、他力本願、困った時の神頼み、みたく安易で
お気楽なだけじゃんと誤解されるかな。
自分の意志(想念と呼んでもいいのかも)で、神に全てを明け渡し、
「神を味方につける」ことが大切なのだ。
神を味方につけるのは、実はそんなにたやすい事ではない!

毎日毎日、ありとあらゆる誘惑を受け、霊的には崖っぷちに立っていることを
思い知るべきだ。旅はそんな感覚を呼び覚ましてくれる。
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4月3日、イタリアの旅/ミラノから成田へ、帰国の日

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【ホテル近くのガルバルディ門の前で】

ミラノはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だけを
見るためにやってきた。それを守備良く果たせ、当時話題になっていた
「ダ・ヴィンチ・コード」での説、ヨハネとされている
人物は・・・・実は・・・?を検証した。

私はダ・ヴィンチの絵より、ボッチチェリのが好きだから、
絵を見るなら本当はフィレンツェへと心はなびく。
ウッフィツィ美術館で見た、「ヴィーナス誕生」が忘れられなくて!

でも、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」・・・!
その構図に完璧な天才の技をみるのは子供にとっても有意義だと思った。
13人の人物が長方形のテーブルの同じ側に並んで描かれたのは
美術史上初めてのことだったのだしね。

エアが夜発つ便だったので、朝寝坊して10時に起きても、
ゆっくり朝食をとって、コルソ・コモ探索ができた。


昨晩の夕食に入った、レストラン。
お寿司を食べましたが・・・。きゅうりがイタリアでは入手しにくく、
高いんでしょうね、カッパ巻きがとっても高くてびっくりした。

すごく繁盛していて、お洒落な人であふれていたが、
近くのテーブルにはアジア人軍団がいた。
漏れ聞く言葉からは中国人のようだった。すごいねえ、中国人パワー!


コルソ・コモ通りからまっすぐ繋がっていた通りの様子。
昨晩歩いたときは若くてお洒落なミラネーゼで賑わっていた。

娘は不思議そうに私に言った。
「ここの若い人たち、みーんな黒いTシャツとかシャツに
ジーンズをはいてるね」

そうです。2006年4月2日の夜、コルソ・コモに繰り出してきた
若者たちはほとんど、黒にブルージーンズだったのです。
その時隆盛を極めていた、ヒップハンガーのね。

シシリア島でみた素朴なジーンズ姿はミラノのコルソ・コモにはなく、
三段腹も見あたらず、ここではファッショナブルにジーンズをはけてこそ!
やっと市民権を得られる、といった感じでした。

子連れ旅の最後に「やせなきゃなあ」と思わされたわけでした!
娘のジーンズ姿・・・。やっぱり素朴派ですかねえ。

ミラノのホテル(良かったよ)
Una Hotel Tocq
39 02 62071
https://www.travelnow.com
を開いてA1 Discount Hotels Hotel Reservationから予約した。
ディスカウントのノーリファンド(キャンセルしても払い戻しなし)
という条件で、一泊一室が15,749.83円だった。駅も近いし、
スノッブな雰囲気がお好きならオススメのモダンなホテルです。




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4月2日、イタリア旅行/最後の夜、有名なサッカー選手に会う

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

これが私たち親子の記念すべき、イタリア旅行での「最後の晩餐」!
もとい、最初で最後の宴会でのスナック!

実は夕食は娘のたっての願いで日本食だった。
ホテルの近く、コルソ・コモで2件の和食店を見つけた。
その内のどっちかっているとカジュアルなお店で、
最後の晩はありがたくも妙にお高級になっているカッパ巻きを
娘とほおばったのであった。

食事をして、ホテルに帰ると
↑写真のようなオードブルが、無料&あ食べ放題だとバーの前に
看板が出ていたのだ。お高級なカッパ巻きでは
十分満たされなかった私たちはそのタダ、というのにつられて
ふらふらとホテルのバーへと近づいていった。

9歳の娘にバー(しかも、すごくお洒落)早いのはもちろんだけど、
ちらっとバーをのぞいたら、客が1人もいなくて、
バーテンとしゃべっていたホテルのフロントのお兄さんが
入るのをためらっている私に手招きしてきたのだ。

国際親善! ここは思い切って、と私はバーのカウンターに腰を下ろした。
娘ははなから食べ物目当てで、まったくもって、
動じることもなく、むしろ恥ずかしげもなくスナックに手を出した。
「こら、飲み物を頼んでから」とたしなめたが、
カウンターにいたフロントのお兄さんが「どうぞどうぞ」と愛想がいい。

そっからはラテンのノリの楽しい楽しい夜となった。
途中からアメリカ人女性が1人カウンター席に加わった。
彼女がカクテルを頼むと、バーテンのお兄さんが
おどけてダンスを踊りながら、カクテルを作るので本当に盛り上がった。

娘もコーラで酔ったのか? と疑いたくなるほどバーテンのお兄さんに
合わせるようにおどけてみせる。コレがうけた!
多分その時流行っていたお笑いタレントの動作をしたのだと思った!
誰のギャグだっけ?


この写真↑の男の人、イタリアでは有名なサッカー選手なんだって。
何度も何度も名前を聞いたのに、忘れる前に、覚えられもしなかった。
フロントのお兄さん(仕事が終わってバーでくつろいでいた)
がいうには、イタリアで5本の指に入る有名な
プロのサッカー選手なんだって。

で、ミーハーな私はそのサッカー選手に記念の写真を撮ってもいいか、
と聞いてみた。すると、こんな感じに・・・。
な、何も膝の上に乗らなくても、と思うだろうが
お兄さんがひょいと娘を膝に乗せてしまったのだから仕方ない。

2006年の春の旅行のことだったので、その後のワールドカップでは
のお兄さんが出場しないかと、ちょっと期待した。
5本の指に入るなら、代表選手だろう、と思ったからだ。
でも、イタリアのチームにこの写真の選手がいたのかどうか、
まったく分からなかった。
サッカーのお兄さんは気さくで、翌日の朝食時にもレストランで会ったが、
ウインクまでしてちゃんと挨拶をしてくれた!

ところで、この選手、本当に誰?
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