1800年代、共和国広場周辺の
大規模な取り壊し、再整備が行われましたが、
目と鼻の先にありながら、
ぽつんと残された「中世」の趣を残す場所。
Palazzo dei Capitani di Parte Guelfa周辺。
かつてギベリン派(皇帝派)と対立した
グエルファ(教皇派)の本拠地であった場所。
そのため建物の天辺にはグエルファ派を示す狭間が。
正式名があるにもかかわらず、
フィレンツェ人にはこの建物を
なぜかPalagio di Parte Guelfaと呼ぶ人が多い。
正面に堂々とつけられた外階段は
中世の雰囲気を醸し出してはいるものの
実は19世紀に取り付けられたもの。
内部は現在「Calcio Storico(古式サッカー)」の
こまごまとしたものを展示してあったり。
一番奥の大広間が「ブルネッレスキの間」と呼ばれていて
最近はよく展示会場として使われています。
*「古式サッカー」の本拠地は
この建物に向かって右手にあるPalazzo Canacci。
2月28日まで
「ネコを題材にした現代芸術作品」の展示会。
本日は特別に「講演会」があったので覗いてきました。
ボッティチェッリの「Primavera(春)」を題材にして
三美神の下に三匹のネコを描いた
Silvana Lonardiの作品が気に入りました。
猫って「絵になる」のですよねぇ。どんな形でも。
この建物自体あまり見向きもされないのですが(笑)
建物の裏手に当たるVia Capaccioはもっと寂れています。
しかし、そこには貴重なものがあります。
元々この通りはラテン語でcaput aquaeと呼ばれた場所で
古代ローマ時代の水路が引かれていた場所。
由緒正しき市民生活の起点です。(爆)
で、この通りに面した壁面に
突然一部だけ突出したLoggiato(空中開廊)があります。
これは、かのVasari(ヴァザーリ)の手になるもので
その開廊の中に納まるようにして
Giambologna(ジャンボローニャ)作の
メディチ家の紋章なんかもこっそりついています。
そうそう
グエルファ派だったフィレンツェには
「角ばったシンプルな」狭間が多く、
ギベリン派の「ツバメの尾」の形の狭間は少ないのです(皆無)。
因みにボローニャはギベリン派ということで
こんな感じ。↓
大規模な取り壊し、再整備が行われましたが、
目と鼻の先にありながら、
ぽつんと残された「中世」の趣を残す場所。
Palazzo dei Capitani di Parte Guelfa周辺。
かつてギベリン派(皇帝派)と対立した
グエルファ(教皇派)の本拠地であった場所。
そのため建物の天辺にはグエルファ派を示す狭間が。
正式名があるにもかかわらず、
フィレンツェ人にはこの建物を
なぜかPalagio di Parte Guelfaと呼ぶ人が多い。
正面に堂々とつけられた外階段は
中世の雰囲気を醸し出してはいるものの
実は19世紀に取り付けられたもの。
内部は現在「Calcio Storico(古式サッカー)」の
こまごまとしたものを展示してあったり。
一番奥の大広間が「ブルネッレスキの間」と呼ばれていて
最近はよく展示会場として使われています。
*「古式サッカー」の本拠地は
この建物に向かって右手にあるPalazzo Canacci。
2月28日まで
「ネコを題材にした現代芸術作品」の展示会。
本日は特別に「講演会」があったので覗いてきました。
ボッティチェッリの「Primavera(春)」を題材にして
三美神の下に三匹のネコを描いた
Silvana Lonardiの作品が気に入りました。
猫って「絵になる」のですよねぇ。どんな形でも。
この建物自体あまり見向きもされないのですが(笑)
建物の裏手に当たるVia Capaccioはもっと寂れています。
しかし、そこには貴重なものがあります。
元々この通りはラテン語でcaput aquaeと呼ばれた場所で
古代ローマ時代の水路が引かれていた場所。
由緒正しき市民生活の起点です。(爆)
で、この通りに面した壁面に
突然一部だけ突出したLoggiato(空中開廊)があります。
これは、かのVasari(ヴァザーリ)の手になるもので
その開廊の中に納まるようにして
Giambologna(ジャンボローニャ)作の
メディチ家の紋章なんかもこっそりついています。
そうそう
グエルファ派だったフィレンツェには
「角ばったシンプルな」狭間が多く、
ギベリン派の「ツバメの尾」の形の狭間は少ないのです(皆無)。
因みにボローニャはギベリン派ということで
こんな感じ。↓