「旅に病んで、夢は枯れ野を駆け巡る」
芭蕉の辞世の句とも言われる。トヨタは「Drive your dreem」と「希望に満ちたあんたの夢を操れ!」というが、若い人は「トヨタの車に乗って、夢の世界をドライブしよう」という印象を受けるに違いない。
夢には悪夢もあれば、悪いことが的中する正夢もある。いいことが(例えば、宝くじが当たるような)的中するような正夢は、それこそ、町内の商店街の3等が当たるほども、見ることはない。
一方、老人の夢は、身体健全で動き回る、若かりし過去のことばかり。お花畑を走り回るのではなく、「枯れ野」に、その深い思いがすぐわかる。過去に生きた人たちの思いは、皆、同じだろう。
同じ道を歩くのだ。
で、畑で、ほうれん草に水をやって、玉ねぎを収穫してきた。小さな区画にニンニクと玉ねぎの苗を昨年植えたのだが、紫玉ねぎの苗だとは知らなかったが、立派な大きいのが20個ほど、出来た。隣の集落の畑をする人が見たら「遊んでいるの?」と言われそうだ。実にその通り。遊んでいる。
少なくとも、3百坪ほどの家の前の畑で、玉ねぎだけでも、最低100個くらいは作っている家が多い。しかし、元気な老人世代が熱心に畑をして、いろんな作物を育てても、子供の家族は、然程喜ばない。無関心が多いし、積極的に消費してくれない。苺が出来ても、とうもろこしができても、スイカができても、見向きもされないことが多いのだ。喜んでくれるのは、小さな動物や鳥、猿なのだから、皮肉な時代である。
地元悪友は、母親が元気な間は、畑で作った作物で、漬物でも食卓に出たが、親父が亡くなり、母親が施設に入って、奥さんが病気持ちだから、二人だけの生活では、誰も畑などすることがない。畑も田んぼも山も、「佃煮」にしたくなるほど保有しているが、大根一本、きゅうり一本、取れたものを食べることなく、全部、スーパーで買ってくる。
息子夫婦は同居していないのだから、家の掃除は誰がしているのか、私にはわからない。