もう、10年以上前に亡くなってしまった先輩だが、自分の繊維会社を閉鎖して、工場跡地を団地造成して販売。その際、不動産屋に転身。彼と私と当時の宅建協会の会長の3人だけが、業界の福井大学卒業生だからと、仲良くなった。
いくつか、一緒に仕事をして、ゴルフもした。負けず嫌いの彼は、肋骨を疲労骨折するほど練習し、自信を重ねて自慢する。「社長、私の目標は、社長に1打、勝つことですわ」などと、全く練習しない私がけしかけると、「よっしゃ、勝負しよ」と芦原に出かけた。
その際、全く偶然だが、最終ホール直前で、彼が一打勝っていた。その最終ホール、私はドライバーを右に曲げて、松林の中の赤杭で囲まれた、低地(水のない池みたいなところ)にボールが転がっている。彼は、フェアーウエイ真ん中の木を避けて、ナイスショットで、左のフェアウエイ。楽にグリーンが狙える100ヤードほどの地点。
私は松の木が周りを囲んでいて、木の間からグリーンも旗も見えるが、直接は狙えない120ヤードほどの地点。得意だった八番アイアンを持って、上を見ると、空があいている。思いっきり空に向けて打ったら、思いもかけず、ピン横1mについて、まさかのバーディチャンス。それを見た、彼はよほどショックを受けたのか、あるいは負けまいと力が入ったのか、彼の第2打はダフってチョロ。2、30ヤード前に進んだだけ。気を取り直して、何とか。グリーンに乗せてきたが、パーパットには遠い。
そこで、彼はボギーを打って、私はバーディ。2打ひっくり返って、絵のような逆転。1打勝ってしまった。悔しがること、悔しがること。再戦もしたのだが、また私が勝ってしまって、「お前は天敵だ、2度とゴルフはしない」と宣言されてしまった。
そんな社長は石川銀行の常務に頼まれて、最後に5000万円の株券を残したまま、紙屑にさせられた。銀行を相手に訴訟の経験がある彼は、金沢地裁で全面勝訴した北國新聞の朝刊を抱えて、翌日福井駅に戻った私は、駅から近い彼のホテル(不動産屋から、ビジネスホテル業に転身した)に届けると、躍り上がらんばかり喜んでくれて、「奇跡だ、お前は天才だ」と叫んだのを思い出す。
その後、彼は急に亡くなってしまって、平成25年最高裁の棄却決定で、13年間、65%の利息のついた勝訴金を見ることなく(息子が受け取った)この世を去った。
今朝の夢の中では、元気で立派なスーツ姿に身を包み、社長室に座って、なんの商談か知らないが、驚くほどの数の大手企業の営業マンが、列をなして順番待ちして、名刺交換しながら挨拶を交わしている。その姿を、なぜか私は、横に座って眺めていた。
あの世で、何をしているのだろう?