-表象の森- 日本語とはどういう言語か -05-
・音声、音韻は文字がつくる
日本語の音節は、表記としての平仮名・片仮名が生まれたことによって、子音と母音とを切り離せない一体として成り立ってきた。中国語とは一線を画する日本語の平板な発音-一般に強弱アクセントではなく高低アクセントとみられる-は、平仮名が生まれた後、平仮名の綴字発音として生まれ、固定された結果であると考えるほうが理に適っている。
子音と母音の一体化した音節発音成立の事情は、孤島の発音がもともと音節的発音であったと捉えるよりも、未だ西欧アルファベットのごとき音素表記法=音素を単位とする音韻認識を知り得なかった段階において、一語=一音節を単位からなる漢字を崩す-応用的に文字を創る-場合に、いっきに音素文字をつくりだす観念が生じず、音節を単位とする文字が生れるしかなかったのである。
東アジアで漢字を崩して生まれる表音文字の第一段階は、この平仮名・片仮名のごとき音節文字であり、次いでこの音節単位をさらに分解することによって、無論そこには西欧アルファベットの音素表記法を知ったことがあるのだが、15世紀後半の挑戦の音素ハングル文字はは生まれたのである。
東アジアでは、表語文字=漢字-大陸-、→音節文字=仮名-孤島-、→ハングル-朝鮮半島-が生まれるという過程を順にたどらざるをえなかった。ここに、日本語と朝鮮語の発音上の差が両語を必要以上に隔たった言語と感じさせることになった。
表記としての文字=綴字は、その属性として、ひとつの言語の発音を根底から変えてしまうのである。否、言-はなしことば-の発音は、文字によって初めて固定され、自覚的なものと化するのである。強いていうならば、無文字時代の言語には、有文字段階のわれわれが考える発音と呼ばれるような確定的なものは存在しないのである。
日本での表音文字の成立がもう少し遅ければ音素文字が生まれ、日本語は音素発音的な、現在の朝鮮語のような発音であったろうし、逆に挑戦が東アジアでいちはやく、10世紀頃に音節文字を開発していれば、朝鮮語は日本語のごとく、子音と母音の一体化した平板な音節発音の言語と化したことは容易に想定できる。ここから有文字段階のすべての言語の発音は綴字発音であると結論づけられよう。だとすればアルファベットから導き出された、言語の声を子音+母音と考える単位はより相対化されるべきである。
たとえば、「雲」が「kumo」と発音されていると考えるのは、あくまで音を子音+母音からなるとの観点からの便宜的な分析にすぎない。むしろ日常では「kmo」と発音されているというのが真相に近い。
また、「雲」の発声は、さらに微細にみていけば、口辺筋肉の運動を伴う発声にほかならないから、筋肉運動と声との中間的発声を含み、「kumo」という音素以下の「wuikwunnmmwoaow」などと発音されているともいえる。
このようにみてくると、声明、朗詠、披講、小唄、端唄、都々逸、謡曲、さらには浪曲、演歌と、日本語には、言葉を引き延ばし、ゆさぶるなどの不思議な声の芸が生まれてきたのもその必然として理解できよう。この音を引き延ばし、ゆさぶり、うねる声は、アルファベットの子音や母音で写し取られるような単純な音ではなく、さらにそれ以下の微少な単位が露出した音声である。
―山頭火の一句― 行乞記再び -02-
12月23日、晴、冬至、汽車で3里、山鹿、柳川屋
9時の汽車で山鹿まで、2時間ばかり行乞する、一年ぶりの行乞なので、何だか調子が悪い、途上ひよつこりS兄に逢ふ、うどんの御馳走になり、お布施を戴く。
一杯引つかけて入浴、同宿の女テキヤさんはなかなか面白い人だつた、いろいろ話し合つてゐるうちに、私もいよいよ世間師になつたわいと痛感した。
※このたびの行乞記では、句が記されていない日も多い。表題句は12月31日付に記されたものだが、この日の掲載は実に計22句を数える。日記とは別にメモされていたものから、それなりの推敲を経たうえでここに集録したものと思われる。
-読まれたあとは、1click-