山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

桜花散りぬる風のなごりには‥‥

2006-04-25 14:12:36 | 文化・芸術
Uvs0504200602

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 法然忌のなぜ?

 昨年の今日、JR西日本の福知山線脱線事故、惨劇の図像が想い起される。不慮の死に至った犠牲者と残された遺族たちの間は引き裂かれたままになお宙吊り状態であろうことを思えば、ただ黙するばかり。

 ところで今日は法然忌でもあるそうな。浄土宗総本山知恩院では19日から25日まで7日間にわたっての大法要が営まれている。ところが法然の命日は建暦2(1212)年の旧暦1月25日であり、明治維新頃までは正月の19日からの7日間としていたらしい。明治10年から現在のように新暦の4月になったとあるが、その理由がなにを調べてもどうにもよく判らない。いわゆる法難たる土佐配流の院宣が下るのは承元元(1207)年2月18日で、これはユリウス暦(太陽暦)では3月18日だし、生誕の長承2(1133)年4月7日はユリウス暦では5月13日となるが、知恩院では新旧いずれの日にも特段の行事日としていない。釈迦の生誕も旧暦4月8日と伝承されながら、現在では潅仏会も新暦の4月8日で行われているのだから、どういう事情にせよ誕生月である所縁の4月へと移動させたのであろうが、その事情のほどは不明のまま靄の中だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-55>
 散らばまた花にうつらむ恨みまで霞める月におもひわびぬる
                                   下冷泉政為


碧玉集、春、夜花日野会。
邦雄曰く、散る花、霞む月、情緒纏綿として盡きぬ言葉の彩。「花にうつらむ恨み」など、16世紀連歌時代の移り香を思わせる修辞。結句もあわれを盡し、三条西実隆と並称される政為の特徴を示す、と。


 桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける  紀貫之

古今集、春下、亭子院歌合歌。
邦雄曰く、貫之の「水」の主題は数多あり、秀作も夥しいが、この落花詠は殊に類を絶する。桜花を吹き散らして風は過ぎた。不可視の風の痕跡は、空にさざなみ立つ花弁、歌の調べもこの幻想につれて、小刻みに顫えきらめき奔る。第二句と結句の照応は殊に美しい、と。


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人は来ず誘ふ風だに音絶へて‥‥

2006-04-24 10:10:44 | 文化・芸術
Nakahara0509180011

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 殻を破る

 無意識にある自分の固有の殻を意識化し、自身を未知の地平へと踏み込ませていくことは、非常に難しいことだし、なにがきっかけとなるかも決まった解がある訳でもない。
昨日の稽古での、ピアノの杉谷君は、偶々か或いはなにか期するところがあったのかは判らないが、その殻を破ったかのような即興演奏を示して、私をおおいに驚かせてくれた。
即興の動き-踊り手-に対して、即興の音-ピアノ演奏-が、もちろん互いに即興であれば当然にあるべきことなのだが、これまでに比して格段の自在さを発揮したように思われた。おそらくは彼自身の音楽的なモティーフや課題意識、従来はそのことに彼なりの拘りがありそれらを追究する意識がつねに動機としてあったと思われるが、その殻がぶっ壊れてしまったかのような飛躍に満ちた演奏ぶりだったのは、特筆に価することかもしれない。
これでひとつ、次回27日のDance-Caféに楽しみが増したというものだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-54>
 人は来ず誘ふ風だに音絶へて心と庭に散るさくらかな  後二条天皇

後二条院御集、閑庭落花。
邦雄曰く、夢に散る花は古今集の躬恒に、庭に散る花は新古今集の定家に代表され、且つ詠み盡された。「心と庭に散る」桜花を、半眼を開き且つ閉じて視る作者の詩魂。訪れる人の足音は無論、微風さえはたと止んだ白昼のその静寂に、うつつと幻の二様の桜は散りしきる。23歳にして崩御、その短かい生涯に新後撰集以下百余首入集を数える、と。


 風にさぞ散るらむ花の面影の見ぬ色惜しき春の夜の闇
                                    藤原道良女


玉葉集、春下、春夜の心を。
生没年未詳、生年は建長3(1251)年頃か?九条左大臣藤原道良の女、九条道家・藤原定家の曾孫にあたる。祖父為家に愛されたらしく、御子左家の主要な所領や歌書を相続。続拾遺集初出、勅撰入集26首。
邦雄曰く、暗黒に散る花を主題としたのは、作者の独特の感覚の冴えであり、これを採ったのは、玉葉集選者の慧眼というべきか。第四句の「見ぬ色惜しき」にも並ならぬ才は歴然。同じ玉葉・春下の「目に近き庭の桜の一木のみ霞のこれる夕暮の色」も非凡、と。


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うつつには更にも言はじ桜花‥‥

2006-04-22 12:09:31 | 文化・芸術
Kogera0604171

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- コゲラ展

 昭和5年生れという小学校時代の恩師が、退職後の日々の徒然に手慰みとしているのが木版画だというのは、昨年の暮にお宅を訪ねた際に聞いたことだった。
今日が最終日だが、その毎日文化センター木版画教室の「コゲラ」展が西天満のマサゴ画廊で開催されているというので、小学校時代の級友たちにプチ同窓会よろしく観に行こうかと誘いかけてみた。急な呼びかけだったもののどうやら5、6人は集まるようで、恩師にとっては些か面映くもあろうが悦ばしい時ともなればそれにこしたことはない。


 「コゲラ」というのは写真の絵のごとく啄木鳥の一種で、全長15センチほどのスズメ大で、日本産キツツキ類では最も小さいらしい。図鑑によれば写真のように背中には白斑がまだら模様にあると。日本各地に生息しており、その生息地帯によってさまざまな亜種に分類されているというが、はてお目にかかったことがあるのやらないのやら、幼い頃から自然や動植物への興味も関心も希薄なままに育ってしまった朴念仁には、たとえお目にかかっていたとしてもそれと知る観察眼のありよう筈もないというものだ。
ともあれ、午後からは、石田博君の個展に行った2月初旬以来の、マサゴ画廊行きだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-53>
 うつつには更にも言はじ桜花夢にも散ると見えば憂からむ
                                   凡河内躬恒


躬恒集、上、亭子の院の歌合の左方にて詠める。
邦雄曰く、落花の歌の繊細鮮麗なこと躬恒は古今集歌人中でも抜群。夢中散花も新古今集の「いも安く寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ」、家集中の「桜花散りなむ後は見も果てずさめぬる夢の心地こそすれ」と、眼も彩な詠風。とりわけ後者の憂愁に満ちて冷やかな味わいはこれらを超える、と。


 さくらばな散りかひ隠す高嶺より嵐を越えて出づる月影  正徹

草根集、四、春、月前落花。
邦雄曰く、渺茫たる遠景、嶺の山桜が吹雪さながらに舞い乱れ、尾根も頂上も朧にて、花を吹き荒らす風の向こうから、折しも今宵の夕月が朗々と昇りはじめる。上句下句いずれを採っても一首を構成する眺めになるところを、巧みに三十一音に集約、言葉と言葉のひしめきあうような魅力が生れた。定家壮年の歌風をさらに濃厚にしたような趣きは、好悪の分かれるところであろうか、と。


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おもひすてぬ草の宿りのはかなさも‥‥

2006-04-21 14:19:44 | 文化・芸術
0412190301

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-今日の独言- 官打チ

 「官打チ」とは、官位が器量以上に高くなると、かえって苦労したり、不運な目に遭ったりすることをいう。無論、迷信・迷妄の類に過ぎないであろうが、平安期や鎌倉期の宮廷では本気で信じられていたようで、13世紀初葉、後鳥羽院は鎌倉の三代将軍実朝に対し、元久元(1204)年の従五位下から、たったの十年間で、建保元(1213)年には正二位にまで昇進させており、さらに甥の公暁に暗殺される建保7(1219)年の前年には、1月に権大納言、3月に左近衛大将、10月に内大臣、12月に右大臣と、めまぐるしいまでに昇任を与える。下記の後鳥羽院の歌解説にあるように、最勝四天王院が鎌倉方調伏のためとされる風聞がまことしやかに伝えられるのもむべなるかな。最勝四天王院障子和歌の成立は建永2(1207)年だが、計460首を数えた絢爛たる名所図と歌の競演の裏に、陰湿なる呪詛が籠められているのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-52>
 おもひすてぬ草の宿りのはかなさも憂き身に似たる夕雲雀かな
                                      宗祇


宗祇集、春、源盛卿許にて歌詠み侍りしに、夕雲雀。
邦雄曰く、世を捨てるつもりでいながら、さて浮世との縁の断ち切れぬ草庵の暮らし、天を恋いつつ鳴き上がって、夕暮ともなれば草生に隠れねばならぬ雲雀、このうつし身、あの春鳥、所詮は同じと溜息をつくように詠う。15世紀末の、古典を究めた高名の連歌師、さすがに和歌の秘奥もしかと体得して、申し分ない調べ。下句は発句にも変わりうる、と。


 み吉野の高嶺の桜ちりにけり嵐も白き春のあけぼの  後鳥羽院

新古今集、春下、最勝四天王院の障子に、吉野山かきたる所。
邦雄曰く、京の東白河に建てられた後鳥羽院の勅願寺、最勝四天王院は、鎌倉の将軍実朝の調伏が目的との流説もある。承元元(1207)年、院27歳、鋭い三句切れといい、「嵐も白き」の胸もすくような秀句表現といい、一首は心なしか必殺の抒情とも呼ぶべき気魄に満ちている。結構を極めた寺院は12年後、実朝の死の直後に廃毀、翌々年承久の乱は勃発した、と。


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帰る雁いまはの心ありあけに‥‥

2006-04-20 13:58:14 | 文化・芸術
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-今日の独言- 奈良散策

 昨日はポカポカ陽気に誘われて久しぶりに奈良へと出かけた。スコットランド国立美術館展を観るためだったのだが、会場の奈良県立美術館は平日だというのにかなりの人出だった。といっても大半は婦人客で、ちらほらと見かける男性はきまって初老の夫婦連れとおぼしきカップル。
総じて印象派前史というべき世界か、スコットランドの風景が微かな光と影のコントラストに深みを帯びる画面の数々、或いはどこまでも素朴な物腰に風土特有の憂愁を湛えたような精緻なタッチのリアルな人物像など、強烈な刺激からはほど遠いものの、鑑賞者を静謐な気分に包み込むように過ぎ行く時間は相応に貴重なものといえようか。


 奈良公園を歩けばあちらこちらに鹿の姿、修学旅行とおぼしき中学生の人群れをいくつも見かける。足を伸ばして新薬師寺で十二神将を拝観、薄暗がりの堂内を因達羅からはじまり伐折羅までぐるりと一体々々と対したうえで、壁ぎわの椅子に腰かけて暫く。彼らそれぞれに率いる七千の眷属神、あわせて八万四千の大軍は地下深く長い眠りについたままか、蠢く気配すらなくひたすら静寂。と、此処にも引率の先生と修学旅行生たちのグループがやってきたが、さすがに彼ら、ずいぶんと神妙に女性堂守の解説に耳を傾けていた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-51>
 帰る雁いまはの心ありあけに月と花との名こそ惜しけれ  藤原良経

新古今集、春上、百首歌奉りし時。
邦雄曰く、正治2(1200)年8月、後鳥羽院初度百首の春二十首の内。帰雁へのなごりを、別れの悲しみを詠ったものは数知れぬが、月と花とが遜色を覚えるほどの美を認め、しかも月・影において讃えた例は稀だ。やわらかく弾み浮かぶ二句切れの妙、三つの美の渾然とした絵画的構成、壮年に入った良経の技巧の冴えは、おのずから品位を備えて陶然とさせる、と。


 入りかたの月は霞の底にふけて帰りおくるる雁のひとつら
                                  永福門院内侍


風雅集、春中、帰雁を。「ひとつら」は一列。
邦雄曰く、「月は霞の底にふけて」とは、そのまま優れた漢詩の一部分に似る。敢えて「帰りおくるる」と、盡きぬなごりを惜しみすぎたものらを、くっきりと描き上げたその才、尋常ではない。14世紀中葉の宮廷にあってその才を謳われ、80歳以上の高齢でなお活躍を続けたと伝えられる、と。


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