Information<Shihohkan Dance-Café>
-今日の独言- 法然忌のなぜ?
昨年の今日、JR西日本の福知山線脱線事故、惨劇の図像が想い起される。不慮の死に至った犠牲者と残された遺族たちの間は引き裂かれたままになお宙吊り状態であろうことを思えば、ただ黙するばかり。
ところで今日は法然忌でもあるそうな。浄土宗総本山知恩院では19日から25日まで7日間にわたっての大法要が営まれている。ところが法然の命日は建暦2(1212)年の旧暦1月25日であり、明治維新頃までは正月の19日からの7日間としていたらしい。明治10年から現在のように新暦の4月になったとあるが、その理由がなにを調べてもどうにもよく判らない。いわゆる法難たる土佐配流の院宣が下るのは承元元(1207)年2月18日で、これはユリウス暦(太陽暦)では3月18日だし、生誕の長承2(1133)年4月7日はユリウス暦では5月13日となるが、知恩院では新旧いずれの日にも特段の行事日としていない。釈迦の生誕も旧暦4月8日と伝承されながら、現在では潅仏会も新暦の4月8日で行われているのだから、どういう事情にせよ誕生月である所縁の4月へと移動させたのであろうが、その事情のほどは不明のまま靄の中だ。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<春-55>
散らばまた花にうつらむ恨みまで霞める月におもひわびぬる
下冷泉政為
碧玉集、春、夜花日野会。
邦雄曰く、散る花、霞む月、情緒纏綿として盡きぬ言葉の彩。「花にうつらむ恨み」など、16世紀連歌時代の移り香を思わせる修辞。結句もあわれを盡し、三条西実隆と並称される政為の特徴を示す、と。
桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之
古今集、春下、亭子院歌合歌。
邦雄曰く、貫之の「水」の主題は数多あり、秀作も夥しいが、この落花詠は殊に類を絶する。桜花を吹き散らして風は過ぎた。不可視の風の痕跡は、空にさざなみ立つ花弁、歌の調べもこの幻想につれて、小刻みに顫えきらめき奔る。第二句と結句の照応は殊に美しい、と。
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