Information<Shihohkan Dance-Café>
-今日の独言- 一茶、喜びも悲しみも
這へ笑へ二つになるぞ今朝からは
文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。
露の世は露の世ながらさりながら
同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。
「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。
幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<春-50>
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢 俊成女
新古今集、春下、千五百番歌合に。
邦雄曰く、艶麗無比、同趣の歌数ある中に、俊成女の技巧を盡した一首は抜群の輝きを放つ。現実の花の香りと夢の中のそれが、渾然としてこの世のものならぬ心象風景を創造した。桜にも「香」を幻想するのが12世紀の慣い、と。
梢より露色添ひて咲く花の光あらそふ月の影かな 邦輔親王
邦輔親王集、永禄五年正月、花色映月。
永正10年(1513)-永禄6年(1563)、伏見宮貞敦親王の王子、16世紀中葉の代表的歌人。
邦雄曰く、定家の「軒洩る月の影ぞあらそふ」を仄かに写したこの梢の花は、さらに露を添え、さながら露・月・花の弱音の三重奏を聴く心地がする。句題の優雅な修辞を凌ぐ歌であり、他にも「あひあふや同じ光の花の色も移ろふ月の影に霞める」があり、勝るとも劣らぬ味わい、と。
⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。