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山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

今は咲け深山がくれの遅桜‥‥

2006-04-12 23:58:57 | 文化・芸術
Uvs0504200971

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言-> 金子みすず

 眼下に見える桜、真向かいの小学校の正門横にそれはあるのだが、その桜も昨日今日と一気に葉桜に変わりつつある。花の見頃は雨にも祟られて駆け抜けてしまったようだ。
 昨日といえば、1903(明治36)年の4月11日は、薄幸の童謡詩人として復活ブームとなった金子みすずが誕生している。いとけない幼な児を遺して自死したのは30(昭和5)年3月10日、満27歳を迎えずしての短い生涯だったが、その薄幸の人生が哀しみを湛えた無垢の詩魂と相俟って、またたくまに国民的詩人ともいうべき地位を獲得した。今ではみすずの詩は、小学校の国語ではどの教科書にも必ず載っているというほどにポヒュラーな存在である。三年前の生誕100周年には故郷長門市仙崎にみすず記念館が設立、二年余で40万人が訪れるという活況ぶりだ。青海島に対面して日本海に小指を突き出したような小さな岬の町並みの一角がみすず通りと名付けられ、そのエキゾチズムが全国からみすずファンを惹きつけてやまないらしい。


  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのやうに、
  夜がくるまで沈んでる、
  晝のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。
                  ――― 金子みすず「星とたんぽぽ」より


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-45>
 今は咲け深山がくれの遅桜思ひ忘れて春を過ぐすな  源経信

大納言経信卿集、春、深山遅桜。
邦雄曰く、命令形初句切れ、禁止の結句という珍しい文体、はずむような急調子、春の歌としては例のない印象的な一首。詩・歌・管弦三船の才は、半世紀前の藤原公任と並び賞された、と。


 咲けば散る咲かねば恋し山桜おもひ絶えせぬ花のうへかな  中務

拾遺集、春、子にまかりおくれて侍りける頃、東山にこもりて。
延喜12(912)年頃?-正暦2(991)年頃?、宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢の子。藤原実頼・師輔らとの恋多きを経て、源信明と結婚したとされる。紀貫之・源順・清原元輔ら歌人と交流、各界歌合や屏風歌に活躍、後撰集時代の代表的女流歌人。後撰集初出、勅撰入集66首。
詞書にあるように、子に先立たれた頃、東山の寺に籠って詠んだ歌である。
邦雄曰く、逆縁の母の歎きを、花に譬えて歌ったもので、哀傷歌の趣きも加わるが、人事に重ねてしまわず、詞書にさりげなく謳って、歌はただ桜への思いとしているところが心憎い。母・伊勢譲りの歌才抜群、と。


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この世には忘れぬ春のおもかげよ‥‥

2006-04-10 11:04:11 | 文化・芸術
060409016

Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 毛馬の水門、花の下にて饗宴の舞

 今年の造幣局の桜の通り抜けは12日からだが、その大阪造幣局の東を流れる大川の桜並木を上流へと上っていくと、まず東岸に桜之宮公園が連なり、さらに上流には川を挟むようにして、西岸に毛馬公園、東岸には毛馬桜之宮公園があり、二つの公園が尽きたあたりに毛馬橋が架かっている。橋から北に見える淀川の河川敷を眺めながら500メートルほど歩くと、淀川と大川とを分かつ毛馬の水門に達する。現在の新しい水門は昭和43(1968)年の建造だが、その内懐に明治43(1910)年に造られたという旧の閘門(コウモン)が当時を偲ばせるように残されている。
 奇友デカルコ・マリィが満開の桜の花の下にて一興の舞をと、大道芸よろしく得意の妖怪踊りを演じたのは、その閘門の土手にあたる処だった。見事な老木の大樹とはいかないが枝振りもひときわの桜がほぼ満開。その樹の下を舞台に見立て一差し15分。彼の十八番を観るのはもうずいぶん久し振りのことだったが、肝心の赤い布に包まりこんだヌッペラボウもどきのシーンが少し端折られたか、ちょっぴり不満が残った。
一座はしばらく休憩をとって、今度は閘門の下へと降りて、嘗ては水路だった筈だが埋められて細長い通路状になった処を舞台に移して20分ばかり。これには彼の仲間数名に加えて、うちのメンバー二人もお邪魔虫を決め込んで即興で参加したのだが、まあそれはそれで一応の功はあったと見えた。
花も昨日が盛りと見えて、落花狼藉と散り乱れるなかでと注文どおりにはいかなかったが、一週間早くても遅くても時機を失したろうことを思えば、温暖な日和にも恵まれて良しとせねばなるまい。もちろん私用だったのだが、前日の、日帰りで津山まで車を走らせた疲れが残っていた身体には、陽気の下の酒も堪えたが、古い馴染みの顔ぶれにも会えたことだし、心地よい休日のひとときではあったか。


Decalco Marieよ、オツカレサン。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-44>
 見る人の心もゆきぬ山川の影をやどせる春の夜の月  藤原高遠

大弐高遠集、山川にて、月見る人あり。
邦雄曰く、朗々たる春月を、心ゆくばかり仰ぎ見る歓びが、二句切れ、体言止めの、緩・急よろしきを得た構成で詠われた。「山川の影をやどせる」の第三・四が、森羅万象を一瞬に照らし出すあたり、高遠の技倆は圧倒的。家集には長恨歌や楽府から詩句を選び出し、当意即妙の和歌で唱和する試みもみえ、相当多力の歌人であったことが知れる、と。


 この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に  式子内親王

萱斎院御集、百首歌第二、春。
邦雄曰く、生ある限りは忘れえぬほど心に残る眺め、その春の面影とは朧月夜の花。伸びやかに且つ切ない三句切れの上句、「花の光」を際やかに描く倒置法結句。夜露をふくむ花のように鮮麗な作だが、どの勅撰集にも採られていない。この百首中から玉葉集へは5首採られているのも記憶に値する、と。


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面影のかすめる月ぞ宿りける‥‥

2006-04-09 09:02:58 | 文化・芸術
0412190291

Information「Shihohkan Dance-Café」

-今日の独言- 借本がイッパイ

 先日(4/3付)触れた辻惟雄「奇想の系譜」は文庫版で読んだのだが、なにしろ図版の多いことゆえ文庫体裁では些かさびしい。因って初版本を図書館から借りることにした。遠い記憶の「絵金」についても再度見てみたいし、そんなこんなで図書館からの借本が、先月からの「芭蕉秀句」と合せて限度一杯の8冊(図書館規定)にまで膨らんでしまった。

今月の購入本
 G.ドゥルーズ「スピノザ-実践の哲学」平凡社ライブラリー
 ドストエフスキー「虐げられた人々」新潮文庫
 富岡多恵子「波うつ土地/芻狗」講談社文芸文庫
 扇田昭彦「才能の森-現代演劇の創り手たち」朝日選書


図書館からの借本
 広末保・藤村欣市郎編「絵金-幕末土佐の芝居絵」未来社
 広末保・藤村欣市郎編「絵金の白描」未来社
 辻惟雄「奇想の系譜」平凡社
 辻惟雄「奇想の図譜-からくり・若冲・かざり-」平凡社
 斉藤慎璽・編「塚本邦雄の宇宙-詩魂玲瓏」思潮社
 岡井隆・編「短歌と日本人-1-現代にとって短歌とは何か」岩波書店
 富岡多恵子・編「短歌と日本人-4-詩歌と芸能の身体感覚」岩波書店


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-43>
 面影のかすめる月ぞ宿りける春や昔の袖のなみだに  俊成女

新古今集、恋二、水無瀬恋十五首歌合に、春恋の心を。
先出、業平の恋歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ‥‥」の本歌取り。
邦雄曰く、袖をぬらす懐旧の涙、その涙に映る月、月にはかつて逢い、かつ愛した人の面影が霞む。心と詞がアラベスクをなして絡み縺れつつ、余情妖艶の極致を示す新古今きっての名歌、と。


 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき  大江千里

新古今集、春上。
生没年不詳、寛平・延喜頃の漢学者。在原行平・業平の甥にあたる。寛平6年(894)、句題和歌を宇多天皇に詠進。古今集に10首、後撰集以下に約15首。
邦雄曰く、源氏物語「花宴」では、「朧月夜に似るものぞなき」と誦じつつ来る女と、微薫を帯びた源氏の出会う名場面がある。この歌は白氏文集のの中の一句「明らかならず暗からず朧々たる月」を歌にしたもの。結句の、敢えて一言言い添えたところが、古今集時代の特徴であり、この歌のめでたさ、と。


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月やあらぬ春や昔の春ならぬ‥‥

2006-04-08 00:09:58 | 文化・芸術
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Information「Shihohkan Dance-Café」
 
-今日の独言- 放哉忌

 今日は放哉忌。
大正15年4月7日、癒着姓肋膜炎から肺結核を患った尾崎放哉は、小豆島の南郷庵にて41歳の若さで死んだ。放哉もまた酒に溺れ自棄と破綻を重ねた、生き急ぎ死に急いだ生涯だった。萩原井泉水の肝煎りで南郷庵にやっと落ち着いたのが前年の8月20日、時すでに病魔は取り返しがつかぬまでに身体を蝕んでいた。明けて3月初めには咽喉結核が進行し、ご飯が喉を通らなくなっていたというから凄まじい。やっと得た安住の南郷庵暮しは8ヶ月にも満たなかった。
驚くべきは、病魔に苦しみながらこの短期間に各地の俳友・知友たちに出した手紙が、公表され判明しているだけでも420通もあるとされていること。それも内容たるや各々かなりの長文で自らの述懐を叙したものだと。句作もまた旺盛で「層雲」誌主宰の井泉水に毎月200句以上送っていたらしい。


  海が少し見える小さい窓一つもつ
  肉がやせて来る太い骨である
  爪切ったゆびが十本ある
  ゆうべ底がぬけた柄杓で朝
  障子あけて置く海も暮れきる
  なんと丸い月がでたよ窓
  風にふかれ信心申して居る
  枯枝ほきほき折るによし
  墓のうらに廻る


戒名は「大空放哉居士」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-42>
 ながめこし心は花のなごりにて月に春あるみ吉野の山   慈円

拾玉集、花月百首、月五十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年九月の十三夜、慈円の甥、藤原良経邸での花月百首の中の一首。35歳の壮年僧の、豪華でざっくりした詠風は、新古今前夜に殊に精彩を加えた。「心は花のなごり」「月に春ある」等の、意識的な新風はまだ二十歳を超えたばかりの良経を魅了したことだろう、と。


 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
                                    在原業平


古今集、恋五。
邦雄曰く、古今・巻五の巻頭第一首。詞書には伊勢物語第四段とほぼ同一の物語が記されている。後の清和天皇妃となる藤原高子と業平の堰かれる恋を叙する段、「睦月の十日あまりになん、ほかへ隠れにける」とあり、あたかも梅の花の盛りであった。後世あまたのすぐれた本歌取りを生んだ恋歌の一典型。初句6音も見事に極まった、と。


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入相の声する山の陰暮れて‥‥

2006-04-06 23:29:25 | 文化・芸術
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Information「Shihohkan Dance-Café」

-四方のたより- 願わくば花の下にて

 願わくば花の下にて、浮かれ舞をばしてみしょうぞ、と
デカルコ・マリィとその仲間たちが、9日の日曜日、毛馬の水門-閘門跡地-界隈に出没する。
もちろん仲間内の花見もかねてのことだが、花だよりでは毛馬桜之宮公園の桜はすでに満開とか、あわよくば落花狼藉のなかでのパフォーマンスとなるやもしれぬ。
パフォーマンスは12時頃から14時頃までの間、神出鬼没の構え。
花よし時候もよし、滅多と見られぬ眼の保養となるやも。
近在の方はお出かけあって是非ご覧じませ。


毛馬の水門については下記ページを参照されたし。
http://www.citydo.com/prf/osaka/area_osaka/kenbun/rekishi/osaka010.html


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-41>
 あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらむひとに見せばや
                                     源信明


後撰集、春下、月のおもしろかりける夜、花を見て。
延喜10(910)年-天禄元(970)年、光孝天皇の曾孫、源公忠の子。名所絵の屏風歌を村上天皇に奉ず。中務との贈答歌多く、彼女との間に女児をもうけた。三十六歌仙、家集に「信明集」、後撰集初出で、勅撰入集26首。
あたら夜-惜夜、明けるのが惜しい夜。
邦雄曰く、花月の眺め筆舌に盡しがたく、自分ひとりで見ているのもまた「あたら夜」もののあはれを知る人と共に見たいとの心。胸中を述べただけの一首ではあるが、その春夜のさなかに、ゆらりと立つ姿さながらの調べである。家集「信明集」、歌風はのびやかで清新の気あり、と。


 入相の声する山の陰暮れて花の木の間に月出でにけり  永福門院

玉葉集、春下、題知らず。
邦雄曰く、丹念な修辞の跡や精巧な彫琢の名残りが、一首の処々にうっすらと残っているのも、永福門院とその時代の和歌の面白さの一要素であろう。「山の陰暮れて」「花の木の間に」などその一例、この歌の急所であろうか。詠み古された題材を、敢えて今一度極め、蘇らす業は、新奇な世界を探検しかつ導入するよりも、さらに困難なものであろう、と。


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